観光地でスイーツはよく巨大化する

そんなわけで、現実世界で巨大な食品の模型を見かけるたびに「巨人の食べ物」と連想するクセがついた。以前竹橋の科学技術館にあった、覗き込むと牛乳ができる過程が見える巨大な牛乳パック型の展示物も、私のお気に入りであった。いつか巨人がニューッとやってきて牛乳パックをつまみ上げるさまを思い浮かべて、ドキドキしながら覗き込んだものである。

そして今、街を歩いてみれば、割とあちこちに巨大な食品模型は存在する。有名どころとしては「かに道楽」の巨大カニ模型が挙げられるが、あれを食材と見るかマスコットキャラクターと見るかは難しいところではある。そのような巨大食品模型を眺めているうちに、いくつかのパターンがあることに気が付いた。

まずは、観光地で他店との差異を図るために導入されているパターン。各地でよく見かけるソフトクリームの模型はその源流であろう。全体の傾向として、アイスやシュークリームなどのスイーツ類が多いようである。

京都・銀閣寺付近の妖怪のようなシュークリーム(2016年撮影)
京都・銀閣寺付近の妖怪のようなシュークリーム(2016年撮影)

京都・銀閣寺付近の店で見かけたシュークリームの巨大模型は、クリームが妖怪の舌の如くベローンと垂れ下がっており、「美味しそうかどうか」より「目立つかどうか」に主眼が置かれているつくりであった。きっと巨人の目にも留まりやすいだろう。

その店の名物も、よく巨大化する

次に、その店の名物となる食品を巨大化しているパターンがある。カラオケ店「パセラ」の各店舗の入り口には、名物のハニートーストの巨大模型が置かれている。「パセラと言えばハニトー」というイメージを作り上げるのに、この巨大模型が果たした役割は計り知れない。

カラオケ店「パセラ」のハニートースト(渋谷・2020年撮影)
カラオケ店「パセラ」のハニートースト(渋谷・2020年撮影)

もちろん名物はスイーツに限った話ではない。オムライスなどの料理が大きくなる場合もある。

巨大オムライス(京都・2013年撮影)
巨大オムライス(京都・2013年撮影)

このパターンの中で特に秀逸な出来なのは、箸で持ち上げたラーメンやそばがビヨンビヨン動く巨大模型だ。この動く模型は雑誌『幼稚園』の付録にも採用されたほどの注目度であり、誰もがこのギミックの魅力に抗うことは難しい。きっと巨人も楽しんでくれることだろう。

ビヨンビヨンラーメン(横浜ラーメン博物館の看板・2017年撮影)
ビヨンビヨンラーメン(横浜ラーメン博物館の看板・2017年撮影)

一つ一つのアイテムは巨大ではないが、大量に積み上げることで巨大化を図っている模型もある。広島・宮島に行った折には、わらび餅や牡蠣カレーパンが山のように積み上げられた模型を目にした。きっと巨人ならばザラザラと口の中に流し込むに違いない。

広島・宮島のわらび餅(2018年撮影)
広島・宮島のわらび餅(2018年撮影)
広島・宮島の牡蠣カレーパン(2018年撮影)
広島・宮島の牡蠣カレーパン(2018年撮影)

渋谷で見かけた大量の手羽先模型の場合、骨を一本一本取り除くのは大変そうではある。

手羽先の山(渋谷・2016年撮影)
手羽先の山(渋谷・2016年撮影)

進撃するタピオカミルクティー

ところでこの巨大模型に最近、新たな勢力が加わった。タピオカミルクティーである。各地に新しいタピオカ店が増えるに従って、タピオカ巨大模型もまた街に増殖しつつある。

横浜・中華街のタピオカ(2020年撮影)
横浜・中華街のタピオカ(2020年撮影)

このタピオカ巨大模型の設置目的は「他のタピオカ店との差異を図る」ことと「メインの商品であるタピオカミルクティーをアピールする」という、前述の2つのパターンの複合型であると考えられる。

タピオカの巨大模型に近づいてみれば、黒々としたタピオカの粒々がカップの上面に浮かび、まるで大仏の螺髪のようだ。実際のタピオカはカップの底に沈むものだろうから、ある意味誇張表現でもある。

私は巨人がタピオカをすする姿などを思い浮かべながら、その行方を見守っていきたいと思う。

高円寺のタピオカ(2019年撮影)
高円寺のタピオカ(2019年撮影)
渋谷・センター街のタピオカ(2020年撮影)
渋谷・センター街のタピオカ(2020年撮影)

絵・撮影・文=オギリマサホ

ひとはなぜ、平らな台があると上にものを置きたくなるのか。冷蔵庫の上に電子レンジ、ブラウン管テレビの上に木彫りの熊、ダイニングテーブルの上に郵便物、チェストの上に読みかけの本。こうして雑然とした部屋はできあがっていく。
平成を過ぎて令和の世となり、昭和の面影を残すものがだんだんと姿を消すようになってきた。「としまえん」の段階的閉園のニュースもその一例である。「そのうちに行こう」と思っていた施設が、いつの間にかなくなっていたということも増えてきた。