支笏ガイドハウスかのあ
環境省エコツーリズム大賞「大賞」受賞実績の松澤直紀が、北海道の持続可能な観光推進とインクルーシブツーリズムを世界に発信
北海道支笏湖でのカヌーツアーを運営する「支笏ガイドハウスかのあ」(北海道千歳市、代表:松澤 直紀)の代表 松澤直紀が、2025年5月1日付で「北海道観光大使」に就任することをお知らせします。
本年2月に環境省主催「第20回エコツーリズム大賞」において最高賞である「大賞」を受賞した実績に加え、長年にわたる支笏湖国立公園でのエコツーリズム推進、環境保全活動、地域活性化への貢献が高く評価され、この度の就任に至りました。
今後は北海道観光大使として、北海道全体の持続可能な観光の振興と、誰もが楽しめるインクルーシブツーリズムを国内外に広く発信してまいります。
支笏湖ガイドハウスかのあ公式サイトはこちら:https://gh-canoa.com/
■北海道観光大使就任の背景:長年の活動とエコツーリズム大賞「大賞」受賞の実績
支笏ガイドハウスかのあ代表の松澤直紀は、2010年の事業開始以来、支笏湖の豊かな自然を活かした「ネイチャークルージング」を提供し、4歳から94歳までの幅広い年齢層、さらには病気や障害を抱える方々にも自然体験の機会を創出してまいりました。
特にツインカヌープログラムは、参加者同士のコミュニケーションを促進し、自然への深い理解と共感を育む場となっています。 また、湖畔の清掃活動や国立公園指導員としてのパトロール、地域団体と連携した「環境保全協力金制度」の策定・推進など、環境保全と持続可能な地域づくりにも積極的に取り組んでいます。
これらの活動は、「エコツーリズム大賞」の審査員からも「当該地域におけるエコツーリズムによる『まちづくり』の牽引役として今後が期待される」と高く評価されています。こうした長年の実績と地域への貢献が、今回の北海道観光大使就任へと繋がりました。
エコツーリズム大賞 授賞式
■松澤直紀のコメント:持続可能な北海道観光の実現へ
「このたび北海道観光大使という重責を担うことになり、大変光栄に思います。これまで支笏湖で培ってきた環境保全と観光の共存モデルを北海道全体に広げ、持続可能な観光地としての北海道の価値をさらに高めていきたいと考えています。特に、誰もが楽しめるインクルーシブツーリズムと環境保全の取り組みを両立させた新しい観光のあり方を国内外に発信していきます」。
■北海道観光大使とは
北海道観光大使は、北海道の豊かな自然や食、文化、観光資源など多彩な魅力を、国内外に向けて広く発信・PRする役割を担う公式アンバサダーです。
北海道知事が各分野で活躍する著名人や事業者、団体に委嘱し、観光イベントやメディア出演、SNS発信、講演活動などを通じて、北海道のブランド力向上や観光客誘致、地域活性化に貢献します。
自らの専門性やネットワークを生かし、隠れた観光資源の発掘や新しい観光体験の提案、持続可能な観光や環境保全の啓発など、多様な活動を展開しています。
観光大使は、北海道の魅力と価値を国内外の多くの人々へ届け、北海道の未来を切り拓く重要な役割を果たしています。
■今後の展望
北海道観光大使として、松澤直紀は以下の活動に注力してまいります。
- 北海道の自然の魅力発信: 支笏湖で実践してきた体験型ツーリズムのノウハウを活かし、北海道の多様な自然景観やアクティビティの魅力を国内外に発信します。
- 持続可能な観光の推進: エコツーリズムの理念に基づき、環境保全と地域経済の活性化を両立させる持続可能な観光モデルの普及に貢献します。
- インクルーシブツーリズムの奨励: 誰もが楽しめる観光のあり方を提案し、北海道がより多くの人々にとって開かれた観光地となるよう取り組みます。
支笏ガイドハウスかのあは、代表松澤の北海道観光大使就任を機に、より一層地域と連携し、北海道の観光振興に貢献してまいります。今後の活動にご期待ください。
■支笏ガイドハウスかのあ について
「支笏ガイドハウスかのあ」は北海道支笏湖と千歳川を拠点に2010年から活動を開始。
明るい未来に向けて野外活動で多様な可能性を作り出し、一歩一歩、ひとこぎひとこぎ前に進んでいきたい、そのような思いで日々活動をしています。
所在地 〒066-0281 北海道千歳市支笏湖温泉番外地
設立日 2010年6月11日
代 表 松澤 直紀
主な業務内容 アウトドアガイドツアー・カヌー用品販売
許認可 支笏洞爺国立公園支笏湖船舶事業執行許可(環自国許第2112162号)
登録団体 日本セーフティパドリング協会・北海道アウトドア優良事業者制度
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更新日:2025.05.14
【北海道・千歳】エコツーリズム大賞受賞に続き、北海道観光大使に就任!支笏ガイドハウスかのあ代表 松澤直紀、2025年5月1日より新たな役割で北海道の魅力発信
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