サンマリノパビリオン
国家元首および万博を担当する観光担当国務長官が率いる代表団が来日予定
サンマリノ共和国は、2025年大阪・関西万博におけるナショナルデーを記念し、公式祝賀イベントを開催いたします。本イベントには、両執政(国 家元首)であるデニーズ・ブロンゼッティ氏およびイタロ・リーギ氏、そして万博を担当する観光担当国務長官フェデリコ・ペディーニ・アマーティ氏が率いる公式代表団が来日予定です。
2025年大阪・関西万博 サンマリノパビリオン内
国際的な万博を訪れる来場者に向けて、世界最古の共和国であるサンマリノが大切にしてきた「自由」「アイデンティティ」「対話」といった価値を表現する、文化的な音楽プログラムが展開されます。
祝賀イベントは、5月2日(金)よりスタートし、EXPO ホール「シャイン ハット」を会場に、サンマリノと日本のアーティストによるコンサートやパフォーマンスが披露されます。プログラムの幕開けは午後2時からで、「サンマリノの心から大阪湾へ:音楽の架け橋」と題し、サンマリノ音楽院のアンサンブルが演奏を行います。
午後3時と3時15分には、著名なヴァイオリニストであり、この度パビリオン・アンバサダーに任命された川井郁子氏のコンサートと、サンマリノクロスボウ連盟による伝統的なパフォーマンスが続き、サンマリノの歴史と中世の文化を印象的にご紹介します。
午後3時30分からは、サンマリノパビリオンのあるコモンズC館のセントラルステージにて、サンマリノ音楽院による「ボヘミアン・ハーモニー: パリからサンマリノへの音の旅」が披露されます。出演者は、アルド・カピッキオーニ氏とミケーラ・ザノッティ氏(ヴァイオリン)、アンセルモ・ペッリッチョーニ氏(チェロ)、マルコ・トルサーニ氏(クラリネッ ト)、矢谷明子氏(ヴィオラ)です。
5月3日(土)のナショナルデー当日には、国家元首をはじめとする代表団 がサンマリノパビリオンを訪問し、運営チームやボランティアの出迎えを受けます。これは、彼らにとって実際にサンマリノを代表する展示空間を初めて視察する貴重な機会となります。
代表団はまた、イタリア共和国パビリオン(マリオ・ヴァッターニ総館長の出迎えを予定)および、2030年に次回万博が開催される予定のサウジ アラビアパビリオンも訪問する予定です。
午後4時30分からは、EXPO ナショナルデーホールにて公式セレモニーが行われます。デニーズ・ブロンゼッティ氏、イタロ・リーギ氏、そしてフェデリコ・ペディーニ・アマーティ観光担当国務長官が出席し、国旗掲揚、 国歌斉唱、日本およびサンマリノ両国の代表によるスピーチが行われます。
文化・音楽プログラムは午後3時よりスタートし、夢洲会場を囲む大阪・ 関西万博の象徴的な木製構造物である「大屋根リング」にて、サンマリノクロスボウ連盟による旗振り隊や太鼓隊、パフォーマーによる華やかなパレードが展開されます。
続いて、「音楽という普遍的な言語:サンマリノ in ジャパン」と題したコンサートが行われ、川井郁子氏とサンマリノクロスボウ連盟による演奏が披露されます。
このイベントプログラムは、サンマリノと日本との文化的・制度的な交流をさらに深め、万博という国際的な舞台においてサンマリノの存在を広くアピールする貴重な機会となります。
フェデリコ・ペディーニ・アマーティ(観光担当国務長官)のコメント: 「ナショナルデーは、万博参加国にとって最も重要な行事です。両執政 (国家元首)がこの日をご一緒くださることを大変誇りに思います。サンマリノの自然、文化、製品、そして伝統を世界に向けて発信する絶好の機会です。世界中の注目が私たちに集まり、非常に感動的な一日になるでしょう。」
最新情報はこちら
公式サイト: https://www.sanmarinoexpo.com/ja
Instagram: sanmarinoexpo2025
Tiktok: sanmarinoexpo2025osaka
Facebook: sanmarinoexpo2025
LinkedIn: san-marino-pavilion-at-expo-2025-osaka
企業プレスリリース詳細へ
PR TIMESトップへ
おすすめするスポットやお店のメニューなど、みんなの「こりゃいいぜ!」を絶賛募集中です!!
さんたつ公式サポーター登録はこちら
新着記事

江戸の出版業界を席巻した「耕書堂」、店を構えた日本橋界隈を訪ねる。大河ドラマ『べらぼう』ゆかりの地を歩く【其の伍】
ドラマ『べらぼう』も中盤に入り、個性的な登場人物が次々に登場。現代でも高い評価を得ている芸術家や文化人と、彼らが生み出す作品を世に送り出した稀代のプロデューサー蔦屋重三郎(以下・蔦重)のアイデアが、一気に花開いていく様子が描かれている。その小気味の良い展開に、すっかり虜(とりこ)となってしまった人も多いようだ。安永2年(1773)、吉原五十間道に立っていた「蔦屋次郎兵衛店」を間借りして、書店「耕書堂」を始めた蔦重。本屋としての地歩を着実に固めた後、天明3年(1783)にはついに日本橋の通油町(とおりあぶらちょう)に耕書堂を構えた。“ついに”と表現したのは、ここは鶴屋喜右衛門といった江戸の名だたる地本問屋が軒を連ねる書店街だったからだ。まさしくこの時に、出版界に「耕書堂あり!」となったのである。