前田利家(達人)の記事一覧

前田利家
達人
前田利家
名古屋おもてなし武将隊
名古屋おもてなし武将隊が一雄。
名古屋の良き所と戦国文化を世界に広めるため日々活動中。
2023年の大河ドラマ『どうする家康』をきっかけに、戦国時代の小話や、戦国ゆかりの史跡を紹介している。
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「真田幸村」の誕生と、江戸時代の出版物規制。前田利家が筆不精といわれた理由とは……
皆々、息災であるか。前田又左衛門利家である。皆は「真田幸村」なる武将を知っておるじゃろうか。知っておる者が多いじゃろうな。戦国武将といえば織田信長様や豊臣秀吉、徳川殿といった戦国三英傑が最も有名であるが、それに次ぐくらいの知名度を誇るのが真田幸村であろう。現世の戦国武将人気番付では三英傑や伊達政宗や武田信玄殿、上杉謙信殿らと鎬(しのぎ)を削る超人気武将でもある。じゃが、真田幸村という戦国武将は存在しなかったんじゃ!江戸時代の軍記物によって創作され、真田十勇士を従えて徳川家康の最後の敵として描かれ人気を博したのが真田幸村という武将である。無論、“完全に”架空の人物ではなく、元となった人物がおる。真田信繁という者じゃな。ここまでは聞いたことがあるよという者もおるじゃろう。故に此度は真田幸村のような存在が創作されたのか、といった話をしてまいろうではないか!
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伊達政宗と真田信之。太平の世を柔軟に生きた戦国武将の話をしよう
皆々、息災であるか。前田又左衛門利家である。これよりは前田利家の戦国がたりの刻である!!本年は大河どらま『べらぼう』にあわせ、江戸時代の話を中心に様々な話を致しておる。此度の戦国がたりでは、江戸時代を生きた戦国武将の話をしてまいろうと思う!現世においては江戸幕府の成立以降を江戸時代、それ以前を戦国時代と分けられることが多いであろう。じゃが、いわゆる戦国乱世が終結したのは秀吉による天下統一と惣無事令の発令がなされた天正18年(1590)である。惣無事令とは勝手に戦をしてはならんという取り決めで、これによって群雄割拠の戦国時代は終わりを告げたのじゃ。徳川殿は、この秀吉が作りし泰平の世の雛形を引き継ぎ、改良したことで260年の安寧の時代を生み出したわけじゃな。
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織田信長様は暦も統一しようとしていた!戦国時代の太陰太陽暦と閏月について語ろうぞ
皆々、息災であるか。前田又左衛門利家である。気がつけば弥生、3月であるがまだ寒い日が続くのう。して、先の2月といえば、一年の中で少しばかり特異なる存在の月である。他の月と比べて日数が少ないことや4年に一度の閏(うるう)日があることがその理由じゃ。令和七年は閏日のない平年と呼ばれる年であるがな。無論、我らの時代は現世とは異なる暦を使っておった。じゃが閏年は今とは別の形で存在したのじゃ!!と言った次第で、此度の戦国がたりは我らの時代の暦と閏年について話してまいろうではないか!!
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大名たちを悩ませた参勤交代は、江戸幕府の存続にも深くかかわっていた? “そろばん武将”利家が費用計算も致すぞ!
皆々、息災であるか。前田又左衛門利家である。これよりは前田利家の戦国がたりの刻である!! 此度の題目は「参勤交代」である。 皆々もなんとなくの知識はあるのではないか?よく語られるのが「行列を横切ると無礼討ちされる」であるとか、「産婆と飛脚は横切ることが許される」であるとかその辺りかのう。江戸の制度や文化において大きな影響を与えた参勤交代について早速見てまいろうではないか!そして折角じゃから、日ノ本で初めてそろばんを国政に用いたことでも有名な儂(わし)・前田利家が、ざっくりであるが参勤交代にかかる費用を計算いたそうではないか!
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「加賀百万石」の前田家。外様大大名の地位を確固たるものにした石高と内政手腕
皆々、息災であるか。前田又左衛門利家である。令和七年は大河どらま『べらぼう』にて江戸時代の日ノ本が描かれておるわな。故にきっと皆々も江戸時代について興味が出てきておるのではなかろうか。というわけで今年は江戸時代についての話を多く記そうと思うておる! 前回の戦国がたりでは戦国時代の終わりと江戸時代の始まりについて話したわな。此度は儂(わし)らにとっての江戸時代の始まり、すなわち「前田家が百万石の大大名になるまで」について話して参ろうではないか!これは語らねばならないことが実に多い!故にいつもの戦国がたりよりも、ちいとばかり話が長いが最後までしかと読み、前田家をよく知るが良い!加えて、儂の息子たちの名前が多く出てくるでな。こんがらがらないように心してついてまいれ!
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江戸時代の始まり。徳川殿の天下はいつから?権力の象徴「天下普請」について語ろうぞ
皆々、息災であるか。前田又左衛門利家である。新年あけましておめでとうさん、本年も皆に面白き歴史や武士の話を確と届けていく所存である!年が変わったということは大河どらまも新たになるということであるわな。今年の『べらぼう』は江戸時代の版元、現世で申すところの出版社を営んだ蔦屋重三郎殿を主役として町人視点の江戸時代が描かれるようじゃ。徳川殿が群雄割拠の戦国時代を終わらせ、260年にわたる泰平の世を実現されたことで、のびのびと生きることができた民たちによって多くの町人文化が華開いたのじゃ!戦国時代を武士の世とするならば、江戸時代は町人の世といっても過言ではないわな。『べらぼう』ではどんな描かれ方をするのか。楽しみじゃな。 して、新年一本目の此度の戦国がたりでは我ら武士に深いかかわりのある「江戸時代の始まりと天下普請」について、記して参ろうではないか!いざ参らん!
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前田利家も里帰り!故郷・愛知県荒子を巡る「犬千代ルート」を案内いたす!
皆々、息災であるか。前田又左衛門利家である。早いものでいよいよ年の瀬、令和6年もこのさんたつにて様々な歴史の話を紹介して参った。本年最後となる此度の戦国がたりは折角だで“散歩の達人”らしく、名古屋の街へ繰り出してまいろうではないか!それでは早速、いざ出陣!
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織田信長、伊達政宗、明智光秀……戦国時代の歌はいかなるのものか。歴史に残る様々な歌は、どんな思いで詠まれたのか?【後編】
皆々、息災であるか、前田又左衛門利家である。これよりは前田利家の戦国がたりの時。此度は歴史に残る歌、戦国編を記して参ろうぞ。 前編では藤原道長様の望月の歌と、歴史に残る三つの歌を紹介したわな。此度は戦国編であるが、皆は「戦国時代の武士の歌」といえばやはり辞世の句が思い浮かぶのではないか?戦国の乱世で武士が死に際したときの最期の言葉、これにはそれぞれの生き様が色濃く顕れるでな、辞世の句には皆にも注目してほしいところではある。のじゃが、此度は辞世の句以外の戦国武将が残した「歌」について紹介いたそう。ちなみに儂(わし)は武士の辞世の句についても記しておるで、読んでおくがよかろう!
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平安時代の恋の歌に忠臣蔵の辞世の句。歴史に残る様々な歌は、どんな思いで詠まれたのか?【前編】
皆々、息災であるか。前田又左衛門利家である。本年の大河ドラマ『光る君へ』にて、ついに道長様が「望月の歌」をお読みになったわな!『このよをば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば』天皇家の外戚として実権を握り藤原家の最盛期をもたらした道長様が詠んだ「満月に欠けたところがないように天下は余すことなく自分のものになった」という意味の一句として現世には伝わっておる。然りながら、道長様としては「この世」ではなく「この夜」と詠んだつもりで、「この穏やかな夜のような世の中にしていきたい」であったり、字面の通り「満月の良い夜だなぁ」といった意味にも捉えられるで、誠に何を思ってこの句を読まれたのかは道長様のみぞ知ることであろう。ちなみにこの歌が読まれたのは新暦で11月26日のことである。ということで此度の戦国がたりでは歴史に残る様々な歌について取り上げてまいる。儂(わし)らは様々な場面で、様々な歌を詠んだ。どんな思いで歌を詠んだのか、それぞれの歌を追いかけようではないか!遠い時代の話ながら身近にも感じられる恋の歌、政治的な思惑を伝えるための歌、そして武士の覚悟と生き様を示した歌と、異なる魅力を持つ歌を、我が独断で三つほど選んでみた。
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我らが「名古屋おもてなし武将隊」15周年である。前田利家、改めて名乗ろうぞ!
皆々、息災であるか。前田又左衛門利家である。これよりは前田利家の戦国がたりの時である!「さんたつ」にて現世を生きる皆々に、我らが生きた戦国時代の蘊蓄(うんちく)やおもしろき逸話を伝えておるこの戦国がたり、うれしき事にまもなく開始から2年となるわな!この連載を訪れてくれておる者たちのなかに、儂(わし)の記事は幾度か読んだことあるが、そもそもこの武士は誰なんじゃと思うとる者はおらぬか?ということで此度は久々に儂の自己紹介と、我らに関する案内をいたそうではないか!それでは、いざ参らん!!
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