前田利家(達人)の記事一覧

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秀吉と織田家四天王。本能寺の変によって分かれた明暗とは?
皆々息災であるか、前田利家である。大河ドラマ『豊臣兄弟!』では織田家の後継争いが描かれておる。尾張一国の時代から共に力を合わせ、信長様を支え続けた織田家家臣団は、敵同士となったのじゃ。此度は家臣団が如何なる経緯で後継争いに臨んだのか、大河ドラマで描かれておる状況の前日譚を話して参ろうではないか。何故秀吉が天下を取れたのか、そして一人の織田家家臣の裏切りについても話して参ろう。
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【約240kmの実踏記録】岡山・備中高松城から京都・山崎まで、前田利家の令和版・中国大返しをご覧あれ!
皆々、息災であるか。前田又左衛門利家である。豊臣秀吉には逸話が数多くある。信長様の草履を温めた草履とりや、敵の目の前に一夜で城を築き上げた「墨俣一夜城」、三木城を攻める前に城下の米を高値で買い付け、兵糧戦を大幅に短縮した「三木の干殺し」などなど、誠かどうかもわからぬような神がかりの話が残っておるわな。そして、秀吉の逸話の最たるもので、天下を掴む決定打ともなったのが「中国大返し」である。備中高松城を攻めておる最中に本能寺の変の報を聞いた秀吉が、備中から京都・山崎の地まで恐ろしい速度で引き返し、光秀殿の虚をついて信長様の仇討ちを果たした、これが中国大返しである。距離にして230kmを大軍で駆け抜けた神懸かりの進軍であったのじゃが、要した日数も5〜10日と軍記物によってまちまちで、近年ではそもそも山崎の戦いに間に合っておらんかったのではないかとも言われておる。名が知られておるわりに、実像が定かではない中国大返し。中国大返しがいかなるものか確かめるべく儂、前田利家、実際に中国大返しをして参ったぞ!!秀吉が歩いたとされる道を通り山崎まで参ったでな、道中の様子を皆に伝えて参ろうではないか!改め、超散歩の達人・令和の中国大返しへいざ出陣!!
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本能寺の変の裏に四国あり? 長宗我部家、光秀、信長を取り巻く関係性について記して参る!
皆々、息災であるか。前田又左衛門利家である。大河ドラマ『豊臣兄弟!』にて、ついにきてしまった本能寺の変。本年の大河では津田信澄様黒幕説や、明智光秀殿本能寺の変不在説などこれまで大河で触れられてこなかった、本能寺の変の新たな姿が描かれておる。中でも儂が驚いたのは明智光秀殿の謀反の動機である。従来の軍記物からの「怨恨説」や「野望説」。近年主流となりつつある「室町幕府黒幕説」。そして明智光秀殿の大河ドラマ『麒麟が来る』で描かれた、天下静謐のためなど数多の説がある中で、此度の動機はいわゆる「明智光秀殿鬱病説」、幾重もの心労によって気を病み突発的にやってしまったというような描写であったわな。そのきっかけの一つとして信澄様の叛心が描かれておった。これを深掘っても良いのじゃが、この辺りの説が難しいのは全て光秀殿の内心の問題であること。現世に生きる者は勿論のこと、同輩である我ら織田家家臣であっても光秀殿が何を思っておったのかは推し量ることしかできぬのじゃ。故に此度の戦国がたりは明確に光秀殿の名誉が傷つき本能寺の変のきっかけの一つとなった「長宗我部説」について記して参ろうではないか。いざ参らん!!
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播磨の別所家が離反に至った背景とは? 辞世の句から浮かび上がる戦国の無情
皆々、息災であるか。前田又左衛門利家である。此度の戦国がたりは前回に引き続き、戦国時代の播磨について。中でも此度はとある家に注目して参ろうと思う。
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豊臣兄弟と播磨攻め。播磨の歴史的背景と、山中幸盛について語って参る!
皆々、息災であるか。前田又左衛門利家である。大河ドラマ『豊臣兄弟!』では長篠の戦いや長島の戦いといった大きな戦が省かれ、早くも秀吉が中国地方の雄・毛利家と対峙しておるわな。秀吉は織田軍の西方軍の大将、織田家でも指折りの重臣へと出世した訳じゃ!その中でも大河ドラマでしっかりと描かれた播磨(はりま)攻め。秀吉が上月(こうづき)城を、秀長が竹田城を攻め落とし、無血開城をかなえた秀長と城兵の家族を見せしめの磔にした秀吉の様子が描かれておった。大河では城兵の亡骸を磔にするという筋書きであったな。この播磨攻め、これまでは中々大河ドラマや歴史物語で描かれることがなかった戦。故になじみのない者も多かろう!此度は戦国時代の播磨情勢について語って参ろうではないか!いざ参らん!!
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爆弾正、戦国三大梟雄といわれた松永久秀。爆死に三悪、逸話の多い人物の真の姿に迫る!
皆々、息災であるか前田又左衛門利家である。大河ドラマ『豊臣兄弟!』にて壮大なる退場を致した爆弾正こと松永久秀殿。現世においては随分と人気の高い武士であると聞く。これは、大河でも派手に爆死して果てたのが描かれたが、最後に名物平蜘蛛茶釜に爆薬を詰め爆死した逸話をはじめ、現世の者にとって華々しい、あるいは香ばしい逸話が多く残る武士である故であろう。じゃが、斯様な逸話が先行し正しき姿が描かれぬお方でもある。故に此度は松永殿がいかなる人物であったのかに迫って参ろうではないか!いざ参らん!!
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前田利家、ウズベキスタン・サマルカンドへ! 青の都の建築、文化、料理と見どころ多き“憧れの地”
皆々、息災であるか。前田又左衛門利家である。本年は主に大河ドラマ『豊臣兄弟!』に合わせた話を届けておるこの戦国がたりであるが、此度は歴史探訪記、儂自ら赴いた史跡を皆に紹介して参ろう。これまでも長篠古戦場や、大高城、本年は大河ドラマ館と数多くの地を紹介しておるのじゃが、此度紹介するは国内に非ず、この前田利家、ウズベキスタンへと行って参ったぞ!!此度は散歩の達人海外編、いざ出陣!
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“蘭丸の父”と信長・利家との結びつき。森可成が最期に見せた最大の活躍とは?
皆々、息災であるか。前田又左衛門利家である。皆は大河ドラマ『豊臣兄弟!』確と見ておるかのう。本年の大河は信長様が上洛されてからを実に丁寧に描いてくれておるわな。是迄はあっさりと描かれることが多かった戦にも焦点が当たっておるのはうれしきことである。じゃが!古くからの織田家家臣団に将軍家に使える面々、そして浅井・朝倉をはじめとした敵方も数多く登場致す。故に、此度は大河では描かれなかったけれども皆に注目してほしい武将を紹介いたそう!すなわち、人物紹介と参ろうではないか!!いざ参らん!!
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東京国立博物館の特別展「百万石!加賀前田家」を紹介いたす! 刮目すべき国宝、重要文化財、そしてとある書状とは
皆々、息災であるか。前田又左衛門利家である。儂の死後、前田家は、泰平のため天下の盟主の座を徳川殿に譲った。そして、江戸時代を通して幕府に確と歩みを合わせ、260年にわたる平和に大いに貢献したのじゃ。徳川家に次ぐ力を持っておった前田家が不穏な動きを見せれば、我ら武士が築き上げた泰平の世が揺らぎかねんでな。故に我が子孫たちは徳川家との仲を良好に保つことを徹底した次第である。その証左とも言えるのが我が金沢城。前田家の力を持ってすれば、さらに大きな城に改修することは難しくはなかった。じゃがそれをすれば波風が立ちかねないとして、代わりにいくつかの寺町を作ることで平穏に城下の守りを固めるに留めたわな。斯様にして、武の領分において前田家は塩梅を見極め、慎重に事を為していった。じゃが! それだけで終わらぬのが我ら前田家である!代わりに工芸や芸能、文化の発展に力を入れたのじゃ!前田家はその中で数多の書や絵画をはじめとする逸品を収集、日ノ本の物のみならず異国からの珍品も多く集めておった。無論、集めただけではないわな。戦道具作りで培った技術を工芸に転用し、日ノ本中から腕の立つ職人を招き、能や茶の湯を家臣にすすめ、また学問にも力を入れたのじゃ!この文化奨励によって加賀の文化は徳川家に劣らぬほどに栄え、日ノ本屈指の文化都市となった。ちと長く前段を話して参ったが、此度はそんな前田家が誇る伝統と文化を一挙に味わえる、特別なる催しへと行って参ったぞ!!戦国がたり、久方振りの探訪記である。改めいざ参らん!!
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三英傑の前にいた“もう一人の天下人”。三好長慶はいかにして日ノ本を治めていたのか?
皆々、息災であるか。前田又左衛門利家である。大河ドラマ『豊臣兄弟!』では信長様が京へ上られ、将軍・足利義昭様をお支えして天下の政に携わられておるわな!!のちに信長様が自ら天下の政をなさるようになり、いわゆる“天下人”になられるわけじゃ。そしてこれは皆も知る通り、その後は豊臣秀吉、徳川家康殿が天下をとり、俗にいう三人の天下人が誕生するわけじゃな。現世の者はこの三人を戦国時代に天下を治めた武士だと思うておるよのう。じゃが、戦国の世にはもう一人、天下人と呼ばれし武士がおったのじゃ。此度はその話をしてまいろうかのう。いざ参らん!!
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