錦糸町はどんな街?
人形焼の『山田家』は、JR錦糸町駅の南口から徒歩約2分、四ツ目通り沿いにある。
錦糸町駅周辺は再開発が進み、北口にはファミリー層に人気のアルカキット錦糸町やオリナス錦糸町が、南口には丸井やPARCOなどの商業施設が立ち並び、大規模マンションの開発も続く。東京スカイツリーまでの散歩の起点としても人気がある。一方で、飲み屋街や歓楽街、場外馬券売り場WINSなども健在で、様々な顔を持つユニークな街だ。
そしてもう一つ、見逃せないのは“本所七不思議”のゆかりの地であること。江戸時代のころから伝わる奇談・怪談を今に伝えるのにも一役買っているのが『山田家』の人形焼だ。
“本所七不思議”にちなむ人形焼
人形焼の『山田家』の創業は昭和26年(1909)。元々は、鶏卵・食品問屋で、鶏卵を生かせる商売としてはじめたそうだが、現在は人形焼一筋。今回お話を伺った取締役専務の山田満さんの甥、山田弥実(ひろみつ)さんが現社長で3代目として店を継いでいる。
人形焼といえば、その形も大きな魅力。『山田家』の人形焼は店のある本所(東京都墨田区)が舞台の“本所七不思議”をモチーフにしている。
元々は“本所七不思議”7つにちなむ型があったそうだが、焼き上がりの良さや折り詰めにした際の収まりのよさから、今では“置行堀(おいてけぼり)”に登場する狸(たぬき)と“津軽太鼓”の太鼓のみが残る。
これに加えてまん丸の三笠山(みかさやま)と餡なしの紅葉の4種類を焼いている。
『山田家』の人形焼は包み紙から味わい深い。漫画家で江戸風俗研究家でもあった宮尾しげを氏が、同店のために描いた本所七不思議7話が載る。『山田家』をひいきにしているという直木賞受賞作家の宮部みゆき氏は、この包み紙をヒントに『本所深川ふしぎ草子』を執筆し、吉川英治文学新人賞を受賞したそうだ。
鶏卵問屋からスタートした『山田家』。卵へのこだわり
元鶏卵問屋だけあり、『山田家』の卵への思いは強い。60年以上使い続けているのは、鮎の釣り場としても知られる清流久慈川近く、茨城県のひたち農園直送の奥久慈卵。『山田家』の人形焼は、一般的な人形焼の生地よりも卵の割合が多い贅沢な配合だ。濃厚な卵黄としっかりとした卵白が特徴の奥久慈卵を使うことで、柔らかな口溶けの良さを求めて粉を減らしても、生地に十分な張りが出るという。
人形焼を手に取ると、ふんわりしっとり。半分に割り、薄紫色のこし餡がたっぷり入る人形焼を口に運ぶと甘く香ばしい香りが鼻をくすぐる。この沿線に住んで以来、10年以上山田家の人形焼を食べてきた。口に入れる瞬間のこの香りは飽きることがない。たまらない。
たっぷり卵を使う『山田家』の人形焼はともすると卵の香りが勝ちすぎるそうだ。「生地に蜂蜜を加えることで、卵の香りがマイルドになる」と満さん。隠し味の蜂蜜が香ばしさにも深みを添えているようだ。
『山田家』では、奥久慈卵をたっぷり使うカステラ様の生地を一晩寝かせてから焼き上げる。
消費期限は4日間。焼きたての1日目はふっくらとして香ばしい。食べ頃は全体がなじむ2日目だ。生地に水分が戻り、北海道産の小豆でつくるなめらかなこし餡との一体感が増す。生地の香りは香ばしいのに食感はしっとり。理想的な食感が楽しめる。
一度ビニールの包みを開いてしまうと生地の乾燥が進むので、すぐに食べないときは1つ1つラップでくるみ、乾燥を防ぐのがおすすめだ。常連さんの中にはラップで包んだものを電子レンジで温めて楽しむ人もいるという。試してみると、しっとりとして全体がなじんでいるのに焼きたてのように香り高い。1日目と2日目のいいところをとったような感じだ。
“置行堀”の舞台を歩く。
本所の堀で釣り人に、「置いていけ」と恐ろしい声が呼びかけたという奇談・怪談“置行堀”。声の主には狸やカッパなど諸説ある。『山田家』では声の主は愛らしい狸の姿をしているけれど、お店から100メートルほどの場所、四ツ目通りを向かいに渡り、まっすぐ進んだところにある墨田区立錦糸堀公園には、声の主としてカッパの像が立つ。戦利品の魚を担いで満足げだ。
そこからさらに7分ほど、都立墨東病院を過ぎて横十間川を渡ったあたりにおいてけ堀の碑が立つ。碑の隣にある明治42年(1909)当時の地図と説明によれば、現在は江東区立の中学校の敷地内にあたるこのあたりは“オイテケ堀”と記されていたらしい。
おいてけ堀と呼ばれた場所は一カ所ではないらしく、奇談・怪談の“置行堀”の舞台にも諸説あるそうだ。声の主にも諸説ある中、『山田家』の人形焼の声の主は狸でよかったとしみじみ思う。愛らしいし、何よりふっくらとしたお腹にたっぷり餡が詰まっていてうれしい。
取材・文・撮影=原亜樹子(菓子文化研究家)