酒屋から、女手だけでもできる大衆酒場へ
引き戸を開けると、天井も高く開放感もある造り。木の風合いをそのまま生かした木製のテーブルがいい雰囲気だ。
壁は赤茶けた手書きのお品書きや、レトロなビールのポスター、清酒名が書かれた鏡などで埋まり、飴色の空間を作っている。
なかでも歴史を感じさせるのが、店内左手奥にある木製看板。掘り文字で「斎藤酒店専売」の文字が見える。
「昭和3年(1928)の開業当時は、大きな酒屋だったんです」と3代目の女将さん。店主の祖父が小僧時代に修業に入った店が「斎藤酒店」で、のれん分けして開いた店だった。
「大きなお店で、寮もあって、住み込みの小僧さんもたくさんいたと聞いています。当時の酒は専売制でした。ここから大きな荷台を引いて、近隣の店にお酒を配達していたんですよ」と女将さん。
そんな酒屋が、酒とつまみを出す大衆酒場に姿を変えたのは戦後から。
「おじいちゃんが満州に抑留されて帰れなくなり、店に男手が足りなくなりました。男手がないとお酒も配れません。だから、女手だけでもできる酒場になりました」
酒場にしたのはいいものの、当時、店を任された娘さんは、まだ女学校を出たばかりだったそう。酔客相手の酒場を切り盛りするのは、並大抵の苦労ではなかったと思う。
酒のつまみに特化した品ぞろえ
つまみは340円のポテトサラダやモツ煮込み、コロッケや串カツ360円などの定番数種と、うるいやあさつきなどの季節もの。毎日来るような常連さんは季節ものを注文するそう。ポテトサラダもカレー風味のコロッケも、ビールによく合う濃いめの味付けだ。お通しはピーナッツ2つで、チャージ料金はなし。日本酒は220円〜と良心的な価格。毎日通っても懐が痛まない。
中島らも著『せんべろ探偵が行く』の表紙に
「せんべろ」という言葉はあんまり好きじゃないんですが、との前置きで「中島らもさんの『せんべろ探偵が行く』(小堀純氏との共著)で、店の写真が初版本の表紙になりました」と女将さん。
初版本の発行は2003年。なんと今から18年も前に、中島らもさんが「せんべろ」という言葉を使っていた。作家・中島らもさんは「今夜、すべてのバーで」の著作もある。無類の酒好きとして有名だ。
一説には「せんべろ」という言葉は、らもさんの造語といわれている。店内には、その時に撮った写真も飾られている。
なんでも当時大阪に住んでいたらもさんが、タクシー運転手から、この店の評判を聞き、新幹線で駆けつけたのだそう。
ほかにも、ぶらりと来る客の中には昭和の大スターや歌手、俳優、政界の大物など顔が知れた人も多いという。しかし、騒いだりサインをねだるような人は皆無。皆、それぞれの酒を楽しみ、深追いはしない。粋な大人の楽しみ方がここにある。
「ほかのお客さんに絡んでくるような人には注意しますよ。あんまり酷いようだったら帰ってもらってる」と女将さん。この気配りが、女性一人でも飲める風通しの良い雰囲気を作っているのだ。
取材・文・撮影=新井鏡子