『散歩の達人』創刊と安倍首相辞任が一緒に載っている“驚異の年表”
- パンス
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普通出版されないですよね(笑)。自分のなかでこういうものが商品になるって全く思っていなかったから、百万年書房の北尾さんから完全版を出そうという話をいただいた時はうれしかったです。『ポスト・サブカル焼け跡派』に入れる際は、泣く泣く削ったので……。
- パンス
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ポスターにしたら面白いんじゃないかって、急にデザイナーさんからアイデアが出て。物量をアピールしたかったんです。でも実際作ってみたら、なかなか広げる場所がなかった(笑)。
データでリリースして検索できる仕様にしたら便利は便利なんですけど、そこまでしたくなかったんです。たぶんそうするとツールとしてしか使われなくなっちゃうから。バーっと見た時の楽しさを重視しました。
- パンス
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そうそう、だから偶然目に入っちゃうみたいなものを増やしたかったんです。
- パンス
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自分ではまだ驚異だという実感があまりなくて。ライフワークとしてずっとやってきたことなので、みんなにびっくりされてこっちが驚いているという感じです。
- パンス
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そこには結構執着があって、日付までわからないとモヤモヤしちゃうんです(笑)。文頭に「●」がついているものは日にちがわかるもの、「■」はわからないものです。本の出版年月日は奥付と実際に店頭に並ぶまでにズレがあるので、「■」にしてあります。
- パンス
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はい。好きなCDのリリース年月日をノートにメモして、それを学校に持って行って一人で眺めて楽しんでいました(笑)。
いちばん最初は12歳くらいだったかな、覚えた人の名前を書いていたんです。小5の時に親に頼んで買ってもらった、『毎日ムック 戦後50年』という、僕の原点となる本があるんですけど、そこに出てきた人名をノートにメモっていたんです。赤瀬川原平とか寺山修司とか、文化人も政治家もジャンルを問わず。
僕の場合、興味のある時代が先にあって、その時代に活躍した人に興味を持って本を読むようになるという、時代から入るパターンが多いですね。
- パンス
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そこはすごい意識していて、ブックガイド、ミュージックガイド的な使い方もできるようにしました。
自分史と年表を重ねる楽しさ
- パンス
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オウムの頃から、身近に危険な人がいるかもしれない、といったような不安感が生まれたといえますね。そういう意味では、今のコロナ禍とも東日本大震災とも違った経験で、多分今後もなかなかないだろうと思います。
- パンス
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中学入学が1997年で、その頃っていろいろ読んだり知ったりするからやっぱり思い出が多いんですよ。その年一番大きかった事件は神戸連続児童殺傷事件、通称「酒鬼薔薇聖斗事件」ですね。
- パンス
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『もののけ姫』『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』がちょうど7月の同時期に公開されましたね。あと、山梨県の天神山スキー場で行われた「FUJI ROCK FESTIVAL」第1回もこの7月でした。
──濃い7月! 今振り返ると、自分たちが多感な時期だったせいもあるのでしょうが、社会面でもカルチャー面でも、現在に大きな影響を与えた転換点になっていた年のように感じますね。
社会の変質を年表とともに考える
- パンス
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この年表の始まりである1968年ですね。なぜ68年から始まっているのかとよく聞かれるのですが、それは、「現代に直接つながっている過去」がこのあたりから始まっていると考えているからです。さらに、学生運動の盛り上がりがピークに達していたということも重要だと思っていて。
学生運動について知ったのは15歳くらいの頃。当時は思春期真っ只中だったこともあって、なんとなく学校で生きづらさを感じていたりもして、そういうのをどうやって解消すればいいだろうと答えの出ないことをずっと考えていたんです。そこに、「こんなふうに暴れたり物を投げたり壊したりしている人たちがいたんだ!」と知って、テンションがぶち上がった。村上龍さんの高校全共闘の体験を元に描いた『69 sixty nine』を当時読んで、純粋にかっこいいなと憧れていましたね。当時はまだ学生運動の負の側面などは全然知らなかったので。
その頃から、社会に対してどうやって異議申し立てすればいいんだろうみたいなテーマはずっと考え続けています。
- パンス
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そのあたりについては今、改めて考えていこうとしているんです。
21世紀に入るくらい、もしくはオウム以降くらいから、日本社会が変質したんじゃないかという持論があって。どう変質したかというと、異質なものをどんどん排除するように社会のセキュリティが整備されていき、日本人の精神的な状況もどんどんそういうふうにシフトしていった。
例えば僕がネットを始めた2001~02年頃、「2ちゃんねる」で「厨二」という言葉が出てきたり、暴走族を「珍走団」なんて呼ぶようになった。その頃から、親とか学校とか社会とか、システムに反抗している人をバカにしようっていう感覚が、ネットの普及とともに顕在化してきたと思っています。
- パンス
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「ダサい」っていうレッテルを貼られるようになって、不良自体があまり目に見えなくなってきた。今では、メインストリームの漫画の題材とかにもあんまりならない。
僕自身は暴走族でもないし、どちらかかというと教室の隅のほうにいる系の人だったから、暴走族をバカにしているほうが立ち位置的には妥当なはずなんです。だけど、「これはおかしいな」みたいな違和感がずっと心の中にある。
- パンス
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僕らが子どもの頃ってそういう場所がまだまだ残っていた。オウム以降は、ゴミ箱が撤去されてしまい、ポイ捨てが増えるのかと思いきや意外にみんなカバンの中に入れて持ち帰るようになった。そのこと自体は悪いことではないけれど、そういう見えづらい浄化が進んだきっかけが、やっぱり1995年にあるなと。
- パンス
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そうですね。遡れば、暴走族や不良たちは、学生運動が沈静化してきた(ように見える)タイミングでだんだん台頭してきているんですよ。そういう意味で、イデオロギーはないけれど、同じ社会へのカウンター運動と見ることができると思うんです。全盛期の70年代半ばには、そういう人たちが今では考えられない規模の騒乱を起こしていたりするので、そういう情報もちゃんと学生運動と同じように入れてあります。
- パンス
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そうですね、1975年6月8日「神奈川県鎌倉の七里が浜で、暴走族600人が乱闘」とか。
──ええ〜、あの平和なビーチでそんな事件が!? 今では信じられないですね。翌日の6月9日にはラジオ関東で大瀧詠一の『ゴー・ゴー・ナイアガラ』が放送開始されています。いろんな意味でギャップが大きな並びですね(笑)。
あの頃はよかったなんて、幻想だ
- パンス
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そうそう。ツイッターを見ていると、何か起こるたびに、まるでありえない危機が今突然起こったかのようにいう人も多いけど、そんなことはない。
「日本はダメになった」とよく言われるけれど、それは今に始まったことではないし、歴史を遡っていくと、よかった頃があったわけではない。むしろ、今よりも生きづらいのは間違いないんです。年表の始まりくらいの社会なんて、光化学スモッグでめちゃめちゃ空気は悪いし、女性差別はひどいし、マイノリティの権利はないがしろにされているし、優生保護法のような悪法もまだあった。それなのに、『ALWAYS 三丁目の夕日』とかではその頃がまるで理想の時代だったみたいな描き方をしている。それはもう違うよって僕は思います。
- パンス
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そうなんです。その辺は教科書的にはなかなか紹介されないけれど、現代を考える上ですごく重要だと思うので、意識的に入れました。学生運動が沈静化して、「敗北した」とか「社会運動はなくなった」という言い方をする人がよくネット上とかにはいるけど、実際は、やっている人はちゃんとやっていた。連綿とした流れがあります。
- パンス
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例えば、炭鉱にまつわる歴史的出来事などは意識的に入れました。
- パンス
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石炭って、エネルギー源として、近代の経済発展においてすごく重要な存在だった。ものすごい数の人が炭鉱に従事していて、近くには学校や立派な娯楽施設もある繁華街ができた。でも、どんどん閉山していって、その繁華街もゴーストタウン化して、忘れ去られてしまっている。平成って、近代日本がつくってきた色々なものが見えなくなってしまった時代だとも思うんです。
- パンス
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2021年を考える上では重要だっていうものはどんどん入れて、かつこれは押さえておくといいと思う出来事は太字にしています。そういうところには僕の偏りが出ていると言えますね。
- パンス
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今は、1968年以前の年表をつくっています。戦前、というか江戸時代後期、1848年から始めていて。
- パンス
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1853年が黒船来航ですね(笑)。
- パンス
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あ、それはいいですね。新しい切り口も探りつつ、今後も、ライフワークとして取り組んでいきたいと思っています!
パンス
『早春書店』店主のコメカさんと共にテキストユニット「TVOD」として活動。歴史好き。ときどきライター。ひまさえあれば年表や地図を手に取って眺めている。最近は韓国を中心に東アジアの近現代史とポップカルチャーを掘る。コロナ禍により海外に行けないので、東京都内でアジア各地の飲食店をめぐる日々。韓国語の勉強中。DJもする。
取材・構成・撮影=鈴木紗耶香 撮影協力=バレアリック飲食店