角打ち&立ち食いそばの画期的なスタイル
色が濃く旨みの強いツユにゆで麺。カラッと揚がったかき揚げはツユなじみよく、玉ねぎの甘みがよく出ている。神泉にある『みさわ』のかき揚げそばは、特に変わったことのない、王道の立ち食いそばだ。
しかし、王道ではないのが、この店自体。立ち食いカウンターの背後には、酒類がズラッと並んだ冷蔵ケースがある。そう、『みさわ』は、立ち食いそば店と角打ちのハイブリッド。立ち食いそば好きなら一度は考える、「この天ぷらで一杯やりたいな」という理想を、見事に叶えてくれた素晴らしい店なのだ。
そんな『みさわ』があるのは、渋谷区神泉町。最寄り駅は京王線神泉駅になるのだが、渋谷駅から行くルートもなかなか楽しいので、紹介しよう。
まず渋谷駅のハチ公口を出たら、道玄坂をのぼっていく。以前よりも歩いている人は少ないが、やはり渋谷。さまざまな人が行き来して、なんともにぎやかだ。
ホッとする街、神泉
道玄坂をそのままのぼり、玉川通りとぶつかる交差点近くに『みさわ』はあるのだが、そのルートではなく、道玄坂上交番前を右にそれてみる。まっすぐではなくクネクネ曲がる道は、旧道の証。この旧道が神泉の商店街で、かつてはさまざまなお店が並んでいた。
今は裏渋谷通りと名づけられ新しい飲食店も増えているが、つい先ほどまでいた渋谷のにぎやかな雰囲気はなく、どことなく落ち着いた雰囲気が漂っている。住宅もオフィスも多いため人通りは多いのだが、やかましい感じはなく、なんというか、歩いていてものすごくホッとするのだ。
その商店街をしばらく楽しんだら、味のある「洋食とんかつ白樺」(現在は閉店)の看板がある道を左に曲がり、すぐにまた左に曲がると玉川通りに出る。左に少し行くと、ようやく『みさわ』に到着だ。
近くにオフィスは多いものの、大通りの交差点近くという、およそ飲食店には似つかわしくない立地。コンビニなら繁盛しそう、と考えたあなたは大正解。実は『みさわ』、コンビニから角打ち&立ち食いそばへ、大胆な商売替えをした店なのである。
90年続く老舗
三代目である三澤一寿さんによると、90年ぐらい前にこの地で祖父が「三澤酒店」を開業。二代目の父親時代にはかなり繁盛していたようだが、時代の変化もあり、2000年にコンビニエンスストア「スリーエフ」に商売替え。これまたお客さんに恵まれて繁盛していたようなのだが、2017年に現在の『みさわ』にまた商売替えをした。
「コンビニ時代は、多いときで1日3000人のお客さんが来たこともありました。従業員もたくさん雇ってフル回転でしたけど、忙しくて募集をかけても、人手不足の時代。なかなか応募してくる人がいなくて、きつい状態が続いていたんです」(三澤さん)
商売は順調だが、内情はいっぱいいっぱい。そんなときに「スリーエフ」が「ローソン」と事業統合することになり、フランチャイズの再契約をしなければならなくなった。かねてから「コンビニやめたら立ち食いそば店を」と考えていた三澤さんはそのタイミングで、新たなスタイルの、角打ち&立ち食いそばという商売を始めることを決めたのだ。
人の縁が生んだ新しい店
このとき、飲食店未経験だった三澤さんにいろいろアドバイスをしてくれた、意外な協力者がいた。株式会社丸山製麺である。
コンビニ時代、次は立ち食いそばもやろうと思う、と常連さんに話したところ、「それならいいやつがいる」と連れてきたのが、丸山製麺の社長のご子息。実は近くの会社で働いていて、コンビニ『みさわ』の常連でもあったのだ。そのご子息に間をつないでもらい、丸山製麺が立ち食いそば店経営について教えてくれたり、仕入れ業者を紹介してくれたりと、開店に向けて全面協力。新生『みさわ』の立ち食いそばを仕上げ、開業にこぎつけることができたのだ。
人の縁が生んだ、新しい『みさわ』。思い切った方向転換だったが、それまでの「スリーエフ」の常連さんが、変わらず通ってくれたという。
「うちは酒店時代から、地域密着型なんです。父親のやり方なんですけど、お客さんに話しかけて、すぐ仲良くなっちゃう。それはコンビニ時代も変わらなくて、従業員も積極的に話しかけるものだから、常連さんがたくさんいたんですよ。普通のコンビニでは、あまりない話ですけどね」
人の縁がしっかり生きている。なんだか、先ほど歩いていた、神泉の商店街の雰囲気が蘇ってくる。神泉で長く商売をしているのだから、当たり前かもしれないけれど、『みさわ』は、実に神泉らしい店なのだ。
『みさわ』ならではのそばを楽しむ
さて、せっかく角打ち&立ち食いそばの店に来たのだから、この店でしかできないそばを食べてみる。頼んだのは、ホテイのやきとりたれ味、宝の焼酎ハイボールドライ、そしてかけそばだ。
まずはやきとりでハイボールを楽しんだら、残りのやきとりをかけそばにイン! ここにしかない、ホテイのやきとりそばの完成である。
鶏肉の旨みがたっぷりなたれが、ツユと相まってなかなかのもの。香ばしい風味も、そばに合う。やきとり以外にも、缶詰はいろいろ揃っているので、『みさわ』に行ったら、ぜひほかのオリジナルレシピも試してほしい。個人的にはサバの水煮缶あたりが、けっこう合うと思うのだが。
以前は毎夜、酒とそばを楽しむ客でにぎわっていた『みさわ』だが、今はコロナ禍もあり、だいぶ落ち着いてしまっているという。状況が落ち着いたら、ぜひ商店街を歩いて行ってみてほしい。すぐそばの渋谷にはない、神泉らしい雰囲気が楽しめること、間違いないはずだ。
『みさわ』店舗詳細
取材・文・撮影=本橋隆司(東京ソバット団)