蓑毛バス停
バス停から橋を渡ると右手に大日堂。バス停に戻り右手の小路に入る。川沿いの道を下れば棚田。
↓ 20分
緑水庵
棚田からさらに下り標識を見て車道に戻れば左手に水車小屋。そこが緑水庵の入り口。
↓ 15分
才戸入口バス停
県道70号を下って行くと、まもなく小蓑毛の鳥居。さらに下ると才戸入口バス停に。道標「波多野城址」方面へ。
↓ 25分
藤棚バス停
金目川を渡り東公民館の角を左に。東小学校の先で右手に曲がって行くと、県道の藤棚バス停。
↓ 10分
上原入口バス停
県道に出たらまだ下る。上原入口バス停手前から左に入り、名古木の棚田方面へ。標識はない。
↓ 30分
名古木の棚田
棚田から戻り、御嶽神社のほうへ下りる。県道70号へ出たら右手に名古木のバス停が見える。
↓ 25分
ゴール
名古木バス停
郷愁度:★★☆
歩行時間:2時間5分
歩行距離:約8㎞
アクセス:
行き
新宿駅から小田急小田原線で秦野駅、約1時間。秦野駅から神奈川中央交通バス「蓑毛」行きで終点、約20分。
帰り
名古木バス停から神奈川中央交通バス「秦野駅」行きで終点、約10分、後は行きと同じ。
秦野市の北部、名古木と蓑毛に棚田があるという。名古木の棚田はわりと知られているが、蓑毛は取材時まで知らなかった。秦野駅の観光案内所の人が教えてくれた棚田である。蓑毛といえば、大山に登る西の登山口で、表丹沢の登山口になるヤビツ峠の途中、くらいしか意識になかった。かつて御師の集落として門前町を作っていたという。それが大正12年(1923)の関東大震災の影響で土砂崩れが起き壊滅状態になり、御師の集落としては終わりを告げ、普通の農村集落となったようだ。
山岳信仰の拠点の集落
計画は蓑毛から緩やかな下りの道を南下して、名古木の棚田へ向かうというもの。蓑毛行きのバスに乗って終点下車。バス停近くに大日堂があったので寄ってみる。朱色の仁王門が迎えてくれる。建造は19世紀前半。中の大日堂は享保14年(1729)築。軒下の彫刻が見ものである。
引き返してバス停脇の小路に入る。道には手書きの標識。「ワクワク広場470m」などと書いてある。小路を下りて行くと畑が広がり、遠くには相模湾がきらきらと輝いている。蓑毛から海が見えるとは驚きだ。堤防の道を下りて行くと棚田があった。勾配の緩い棚田で4、5枚くらいの規模。いまや棚田はどこもそうかもしれないが、農家の人だけでは維持できず、市民やボランティアの協力で成り立っている。労働とコメの収益はまったく見合わない。平地の田んぼだって見合わないところが多い。農業機械が入らない、特に小さな棚田は人力しか使えないのだから、これは大変な不均衡だ。
今や観光スポット、名古木の棚田
棚田から、水車のある「緑水庵(りょくすいあん)」に立ち寄る。昭和5年(1930)築の農家を移築した家。裏手には「自然観察の森」も併設されている。庭からの眺めがいいので、のんびり休憩。
道脇には無人販売所が多く、商品は100円ポッキリが多い。先に小蓑毛の鳥居が見えてきた。大山参りの名残だろうが、両脇が車道で鳥居は中央に立っている。珍しい。
途中から県道を逸れて田原ふるさと公園へ行く脇道に入った。東田原のバス停からうっすらと富士山が見える。また県道に合流し、上原入口のバス停手前から名古木の棚田のほうへ左折する。途中で一回地元のおばさんに道を尋ねてから坂道を上がって行くと、畑や茶畑が見えてきた。さらに上がると棚田。稲刈りが終わった時期に行ったので、様子がわかりにくいが、まさしく棚田だ。
棚田の向こうには秦野の街並み、その奥には箱根の山々が横たわっている。帰り道、水が張られた田植えの季節にまた再訪しようと思った。
取材・文=清野編集工房
『散歩の達人 首都圏日帰りさんぽ』より