東かほり Higashi Kahori
グラフィックデザイナーをしながら映画監督としても活動。監督作『湯沸かしサナ⼦、29歳』(2019年)で第2回きりゅう映画祭グランプリを受賞した他、オムニバス映画『バウムちゃんねる映画祭』(2021年)にて『電⼒が溶けるとき』を監督。初⻑編映画『ほとぼりメルトサウンズ』(2021年)は、第17回⼤阪アジアン映画祭、第22回ニッポン・コネクション(ドイツ)、第14回ソウル国際シニア映画祭(韓国)、第6回JAPANNUAL(オーストリア)に選出された。
東直子 Higashi Naoko
1963年⽣まれ。歌⼈・作家。歌集に『春原さんのリコーダー』『⻘卵』『⼗階』など。2006年に『⻑崎くんの指』で⼩説家デビューし、以降、『とりつくしま』『さようなら窓』『薬屋のタバサ』『らいほうさんの場所』『キオスクのキリオ』『晴れ⼥の⽿』『階段にパレット』『ひとっこひとり』ほか多数の⼩説作品、またエッセイ集『千年ごはん』『⿂を抱いて 私の中の映画とドラマ』、詩集『朝、空が⾒えます』などを発表。1996年「草かんむりの訪問者」で第7回歌壇賞、2016年『いとの森の家』で第31回坪⽥譲治⽂学賞を受賞。
互いへの理解で描き出された、日常への空想の落とし込み
——本作はENBUゼミナール「シネマプロジェクト」の作品で、オファーをもらったかほりさんがいくつか出した企画のひとつが『とりつくしま』だと伺っています。なぜ、本作を候補に挙げたのでしょう?
かほり 死んだ人の魂が、モノに宿る。このテーマが、私にとってすごく身近なものに感じたからです。
コロナ禍などもあって家にいることが増え、「モノ」と向き合う時間は必然的に多くなりました。私も思わずモノに話しかけたり、愛でたりして。もしかしたら、そういう人も多いんじゃないかと思って。
なので、一般的にはファンタジーと認識されている『とりつくしま』ですが、映画化するなら身近な生活につながる話にしたいな、と考えました。
また、今回はENBUゼミナールのワークショップでほとんどのキャストを決めることになっていたので、たくさんの登場人物が出てくる作品がよかった。そういう意味で、さまざまな人物の日常が描かれている短編集というのも、相性がいい。
観ている人に、登場人物に自分を重ねてもらえたら。そう思って、この作品を選びました。
——かほりさんが企画に『とりつくしま』を選んだことを聞いた時、直子さんはどう思いましたか?
直子 うれしかったですね。今までも、それこそ『散歩の達人』で一緒に歩く、というような「母と娘」での仕事はいくつかやってきました。でも、今回ははっきり「原作者と監督」という関係で、ひとつのものを一緒に作ることとなる。
本当に「大人になってくれれば」、「自立してくれれば」という気持ちでかほりを育ててきたので、まさかこんな機会が訪れるとは。これほどうれしいことはなかったです。
——原作小説は、実に11編ものエピソードから連なる短編集です。もともと、どのような経緯で作られたのでしょうか?
直子 最初は編集の方から「東さん、怖い話を書きたいんじゃないですか」と言われて。「怖い話といえば、死者だ」と、死者が何かにとりつく話が浮かびました。でも、彼らも愛着のあるものにとりつくはずで、それは結果的に「自分の愛着ある世界をもう一度見守る」というスタンスになる。自然と怖い話ではなく、ハートウォーミングな話になっていきました。
お話をいただいてから2週間後に「ロージン」と「トリケラトプス」を書いて持っていったら、「これで連載しましょう」と。編集さんも「怖い話」っていうの、忘れてたんじゃないかと思います(笑)。
——そんな『とりつくしま』の登場人物は、直子さんの身近な人やモノがモデルになっているそうですね。そういう部分も、かほりさんが映像化する際に役立ったりしましたか?
かほり それはすごくありました。母の書いている小説だから、身近な人物だったり、風景だったり、母の見ているものが出てくる。でも、それは私の見ているものでもあるんです。
「原作者と監督」であると同時に「母と娘」なので、理解し合える部分も多い。私自身、原作ものの長編を作るのは初めてだったのですが、不安よりも楽しみな気持ちが大きかったです。
——かほりさんと直子さんは感性の似ている部分が多い?
かほり そうですね。モノに対する見方が、ちょっと変わっている部分が似ているので。母と一緒に歩いていると、目線とか、興味を示すモノが近い。そういうところは共通点があると思います。
直子 二人とも世の中からはみ出ているモノというか。見向きもされないようだけど、なんだか妙に味わいがあるモノとか。そういうのが好きですね。
でも、私が直感的に「いいな」と思ったものを、かほりは「なぜ」と背景まで考察するところもある。
かほり ああ、確かに。同じようで全然違ったりもするから、面白いのかも。
映画ならではのアレンジで彩られた4つの物語。温かみあふれる制作秘話も
——原作11編の中から、映画には4編のエピソードが選ばれています。それぞれ、どのようにセレクトしたのかを教えていただけますか。
かほり まず、最初に「モノ目線の物語である」ということをわかってもらう必要があると思って「トリケラトプス」を持ってきました。
この話はマグカップにとりつく話で、魚眼レンズを使うことで「モノ目線」を表現しています。最初のエピソードでモノにとりついていることが伝われば、それ以降はモノ目線をそこまで入れなくても伝わるだろうと。マグカップ自体、多くの人にとって身近で、受け入れやすいモノでもありますし。
あと、私が原作で一番好きなエピソードだったのも大きいですね。
直子 「トリケラトプス」は、かほりの持ち味がすごく出ていると思いました。ちょっとした小ネタとか、夫婦のやり取りなどから感じる、原作テキストにはない肉感というか。
まだ一緒に暮らしたかったはずの若い夫婦の悲しみがじわっと広がる様子が、押しつけがましい形ではなく、自然に表れている。それでいて、クスっと笑える感じもあって、人の愛らしいおかしみを掬(すく)い取るのがとてもうまい。
写真も、小道具も、人物の表情も、切り取り方が「かほりっぽい」と感じました。
——次の「あおいの」は、原作にないアレンジが多くて、印象的でした。
かほり 「あおいの」も、原作で大好きなエピソードなので、選びました。ただ、小説ではすごくいいと感じていた主人公の男の子の寂しさが、映像だとより生々しく伝わって、悲しい話になってしまいそうだと思って。ここに仲間がいたら寂しくないだろうと、原作にはないサブストーリーを展開したんです。
直子 「公園に誰がいたら面白いかな」なんて話をしたよね。
かほり どっちが言い出したかわからないけれど、「公園って、お笑い芸人が練習してるよね」なんて話をして、芸人が出てきたりとか。
あと、原作の「くちびる」というエピソードをオマージュしたサブストーリーも入れています。4つのエピソードの中で、「あおいの」は一番自由に描かせてもらった気がしますね。
——あのジャングルジムは、かほりさんが幼少期に遊んでいたものがモデルだそうですね。
かほり 今でも幼少期を過ごした八王子市に残ってるんですよ。ただ、エピローグの演出の関係で、今回の撮影では使えなくて。案外、青一色のジャングルジムって、なかなか無いんですよね。カラフルだったり、あまり高さがなかったり。制作部の方が、見つけるのにかなり苦労したと言っていました。
「あおいの」の主人公を演じた楠田悠人くんも、ああいう大きなジャングルジムは初めて見たようで、とってもはしゃいでいたんです。撮影の合間も、終わってからも夢中になって遊んでいて。おかげで、演技ではない素の彼を撮ることができたと思います。
——次の「レンズ」は、「トリケラトプス」と同じくモノ目線で繰り広げられるエピソードですが、また味わいの違うエピソードですね。
かほり 「レンズ」は、ギリギリまで原作の「日記」と迷っていて。でも、「とりつくしま」になってから知らない人と巡り合う、新しい出会いにつながるという話の設定が「もの悲しいだけじゃなくていい」と思って、箸休め的なエピソードとして入れました。
直子 私は小説の「白檀」や「マッサージ」もどうかな、って話をしてたんですよ。個人的に、好きなエピソードで。
かほり そのあたりもいいよね。「白檀」も入れたかったなあ。もし、「とりつくしま2」を作ることがあったら、やりたいエピソードです。原作が短編集だから、そういうのも作りやすいと思うんですよね。
——「ロージン」は、原作では最初のエピソードであり、映画では最後のエピソードとなります。
かほり 最初から「ロージン」はやるつもりでいました。この話は、野球少年だった兄の存在から生まれたものでもあって。
直子 そうそう。長男に「野球の試合で使うもので、とりつけそうなもの、何かない? できれば消えていくものがいいんだけど」と、相談して教えてもらったのが「ロージン」だったんです。
ちょうどこれを書いていたのが2006年で。夏の甲子園で、田中将大くんと斎藤佑樹くんの延長15回引き分け再試合が話題になっていた。あれで、お守りみたいにロージンをぽんぽんしているのも見て、そのあと1週間くらいで書いた記憶があります。
かほり このエピソード、原作では「消えた」、「空中に飛び散った」といった描写が多くて、モノ目線のシーンが少ないんですよね。だから、「モノから見た目線」という設定を伝える役割は「トリケラトプス」に任せて、「ロージン」はラストを飾ってもらいました。白い粉が宙を舞って、青空に溶けていくラストシーン。これを描くことで、物語として広がりのある終わり方にできると思ったんです。
直子 私、原作の各エピソードは「ラストシーンの一言」が浮かんでから書いていたんです。「ロージン」は、「夏空の光の向こうに、ゆくね。」で締めくくられる。だから、映画の最後で青空の中へ消えていくイメージと、全体がそこへ集約されていく様子は、私の中ですごく納得がいくラストシーンでした。
かほり あと、この話では川口の野球少年たちを撮らせてもらったんですけど、舞台となっている野球場は取り壊しが決まっていたんです。親御さんも、少年たちも思い出がいっぱいあるから、「ぜひ撮ってください」と言ってくれて。撮影後、みなさんすごく喜んでくれたのもうれしかったですね。
小泉今日子演じる「とりつくしま係」に映る、母の面影
——本作での最も大きな原作からのアレンジといえば、「とりつくしま係」の小泉今日子さんかと思います。
かほり もともと原作では、目と口があるだけのぼんやりとした存在なのですが、日常の延長線上の世界観を作るために「人」にしたかったんです。
直子 小説では、『ゴーストバスターズ』にでも出てきそうな、漫画っぽいキャラクターとして描いたからねえ。
かほり 小説を読んだ時、「とりつくしま係」は男性だと思っていました。でも、見守る感じの役だから、映画では女性がいいなと思って。
実は、ぼんやりと「小泉今日子さんがいいなあ」と考えていたんです。以前、母が小泉さんのラジオに出演した時、小泉さんが「とりつくしま」を紹介していて。「ロージン」などのタイトルを読み上げていた声が、すごく頭に残っていたんです。
直子 私は私で、かほりから「女性がいい」と聞いたりして、いろいろ考えて、「小泉今日子さんはどう?」と聞いたことを覚えています。
——奇しくも、二人とも小泉さんを思い浮かべていたのですね。
かほり 小説の「とりつくしま係」は人ではないので、明確なイメージが無かったのですが、実際に小泉さんに声を出してもらったり、動いてもらったりすることで、「こう見えるんだ」と、形が見えていきました。
そうして撮影を進めていき、自分の中でいろいろなイメージが合致していく中で、ふと、気付くんです。「女性であること」とか、「見守ってくれる感じ」とか、「安心する声の雰囲気」とか。私は「とりつくしま係」に母を投影していたんだなって。
——そして、その小泉さん。実は「とりつくしま係」のシーン以外にもちらほら出演しているという噂も……?
かほり 各エピソードに1カ所ずつ、“隠れとりつくしま係”で小泉さんの声が入っています。自分が案内した人の世界で、実は見守っているみたいな。特に「ロージン」はなかなか見つける難易度が高いですよ(笑)。そんなところも、ぜひ楽しんでいただきたいですね。
生きている今も、いつか来るその時も、きっと優しく受け入れられる
直子 私は小説でいっぱい「とりつくしま」について書いているので、もう自分は何にもとりつかず、昇天してしまっていいかな、と思っていました。
けれど、こうして素敵な映画が出来上がった今、この映画のデータにとりつきたいと思っていますね。
——えっ……素敵だ。かほりさんは、いかがでしょう?
かほり いろいろ考えすぎちゃって。その時によって答えが違うんですけど。
直子 子供の頃、「雲になりたい」って言ってたよ。
かほり 子供の頃は、そうだったね。でも、撮影前は「祖母のゴーグル」と答えていたんです。私って全然泳げない人なんですけど、おばあちゃんがすごく泳げる人だから、その目線になってみたいと思って。おばあちゃんの会話って面白いし、ちょうどいい頃に捨てられそう、みたいな。
——では、今は?
かほり 「母の使い捨てコンタクトレンズ」ですね。2ウィークじゃなくて、ワンデーの。それで1日だけ、「母の見ている世界」を過ごしてみたいです。
直子 私、最近は眼鏡の日が多いんですけどね。
かほり そう。だからこそ、コンタクトを付ける日は、おしゃれして、目いっぱい楽しむ日のはず。そういう一番いい時間を見て、いなくなりたい!
——1日で終わる。「潔い」ですね。
直子 私、「ロージン」以外は「明確にこうなったら『とりつくしま』が消える」ということを考えていなかったのですが、最近は「長居はあまりしない方がいい」って思うんです。あんまり居すぎると、嫌なモノも見えてしまうし。互いにとっていいんじゃないかなって。
かほり 多分、「とりつくしま」は自分の中で納得したら消えるような気がするんですよね。きっと映画の登場人物も、思い残しがなくなったら一緒に消えていく。
私もあまり、長居はしたくないかな。楽しい気持ちのまま終われば、それは納得したということだと思うんで。
——では最後に、映画『とりつくしま』への思いをお聞かせください!
直子 この話は、もともと「生きている私が亡くなった人を想像して、生きている世界を死者の目線で見る」という、ちょっと複雑な構図で書いた物語なのですけれど。
映画になることで、「死」は「生」の時間と地続きで存在しているような。
過去の時間は、消えてしまうのではなく、漂っているような。そういう空気感が感じられて。
今、生きていることも、いつか亡くなることも含めて、恐怖ではなく、優しく受け入れることができるような作品になったのではないでしょうか。
きっと観終わったら、身近なモノに宿る気配のようなものを、新しく感じられるはず。そんな気がします。
かほり 誰かを失った時、その喪失感は計り知れなくて。洗濯物をたたんだり、顔を洗ったり、薬局で買い物したり、日常の中で不意に思い出して、悲しくなる。もう会えないとわかっているから、モヤモヤも残る。とても辛くて、残酷な時間だと思います。
でも、もしかしたらモノにとりついて、そばにいるかもしれない。
そう思えたら、その人にとって救いになるかもしれない。
そうなればいいな、と願いながら撮りました。
この映画を観たことで、モノに対する眼差しが、たまに、ほんの少し、変わってくれたらうれしいです。
映画『とりつくしま』
「この世に未練はありませんか。あるなら、なにかモノになって戻ることができますよ」
⼈⽣が終わってしまった⼈々の前に現れる「とりつくしま係」が、そう問いかける。
夫のお気に⼊りのマグカップになることにした妻、だいすきな⻘いジャングルジムになった男の⼦、孫にあげたカメラになった祖⺟、ピッチャーの息⼦を⾒守るため、野球の試合で使うロージンになった⺟。
死んでしまったあと、モノになって⼤切な⼈の近くにいられるとしたら……?
⼈⽣のほんとうの最後に、モノとなって⼤切な⼈の側で過ごす時間。
原作は、2007年の刊⾏以降、累計約14万5900部を数えるロングセラーとなっている東直子の小説『とりつくしま』。上⽥慎⼀郎監督『カメラを⽌めるな!』などを生み出したENBUゼミナール「シネマプロジェクト」の第11弾作品として制作され、ワークショップからキャスティングされた、71名のキャストが参加している。
【公開日】2024年9月6日(金)新宿武蔵野館 ほか 全国順次公開
監督・脚本:東かほり 原作:東直⼦『とりつくしま』(筑摩書房)
出演:橋本 紡、櫛島想史、小川未祐、楠田悠人、磯西真喜、柴田義之、安宅陽子、志村魁、小泉今日子 ほか
2024年/カラー/アメリカンビスタ/5.1ch/89分
映画公式サイト:https://toritsukushima.com/
映画公式X:https://twitter.com/toritsukushi_ma
映画公式Instagram:https://www.instagram.com/toritsukushima_movie/
取材・構成=どてらい堂