背格好まで似た母娘。直子さんいわく「笑ったとき浮かぶ頬骨がそっくり」。
背格好まで似た母娘。直子さんいわく「笑ったとき浮かぶ頬骨がそっくり」。

【母・歌人】東 直子 Higashi Naoko (写真左)

歌人、作家、イラストレーターなど、幅広く活躍。
代表的な歌集に『春原さんのリコーダー』『青卵』など。小説『階段にパレット』には、谷根千界隈をモデルにした描写も。

【娘・映画監督】東 かほり Higashi Kahori (写真右)

グラフィックデザイナーをしながら、映画監督として実績を重ねている。2022年には初の長編作品『ほとぼりメルトサウンズ』が全国で公開。2023年2月にはDVD化が決定している。

illust_2.svg

「谷根千には、2018年ごろから暮らし始めました。迷路みたいな路地とか、文学者や芸術家が住んでいた名残とか、歴史が蓄積しているところが気に入って」
と、直子さん。一方かほりさんは、
「昔ながら80%、新しさ20%くらいの街並みが心地よく感じて、落ち着くんです」。
たびたび一緒に散歩するふたりだが、今日は趣が違う。初共作のネタ集めに行くのだ。

かほりさんのフィルムカメラは「父が放置してたの、もらっちゃいました」。
かほりさんのフィルムカメラは「父が放置してたの、もらっちゃいました」。

目に映る暮らしの、その先へ。膨らんだ想像力が作品に宿る

根津の細路地を歩き始めるや、ふたりは周囲を見回し、互いに気になるものをワイワイ語り合っている。
「『いいな』と直感的に感じたら、メモに残して持ち帰る」。
そう語る直子さんの手帳をのぞいてみると、店の看板のロゴや街路の標識、雑貨店で見かけた鳥かごなど、目に映った風景が、文字、絵で記されている。
「しばらく経ったら見返して、浮かんだ情景や感情を、歌にしたり、小説にしたり。浮かばなければ『それはそれ』と、深追いせずに忘れます(笑)」。
一方かほりさんは、人々の会話に耳を傾ける。
「先日、すれ違ったおばあちゃんが『谷根千は、人生最後の住みどころとして最高』と言っていて、妙に納得しちゃって。そういう心に残った言葉を映画の登場人物の台詞(せりふ)に使うことが多いです」。

根津2丁目の裏路地の空き地の片隅に小さな畑が。手書きの立て札に心躍る。
根津2丁目の裏路地の空き地の片隅に小さな畑が。手書きの立て札に心躍る。

ふと、空き地の前で直子さんが立ち止まった。
「たぶん、あの場所が勝手口で、そう考えるとここは台所で……」。
かつて立っていたであろう建造物を想像している。かほりさんの視線の先には、窓辺にかかる洗濯物が。
「布団の干し方とか、軒先の植栽の並べ方とか、暮らしている人のマイルールが見えて好きなんです。それって人が生きるうえで大事なことだと思うので」。
目にしたモノの先にある、歴史や暮らしを想像するのは共通の思考。界隈は、その素材たる風景に事欠かない。

コインランドリーはかほりさんのお気に入り。作品でもたびたび登場する。
コインランドリーはかほりさんのお気に入り。作品でもたびたび登場する。
「谷根千は歴史を感じる道が多い」と、直子さん。三崎坂もそのひとつだ。
「谷根千は歴史を感じる道が多い」と、直子さん。三崎坂もそのひとつだ。

へび道や三崎(さんさき)坂を通り過ぎ、よみせ通りのあたりまで来ると、東家の生活により近しい場所が増える。
「買い物は大体、この辺で。いい店が揃っています」。
『鮮魚 山長(やまちょう)』や『カジツ』など、なじみの店に立ち寄りながら、弾む足取りで進む直子さん。

よみせ通りの『鮮魚 山長』。直子さんはここでよく刺し身を買って帰るそう。
よみせ通りの『鮮魚 山長』。直子さんはここでよく刺し身を買って帰るそう。
果物は東家の食卓に必須。「『カジツ』は店員さんが親切」と、直子さん。
果物は東家の食卓に必須。「『カジツ』は店員さんが親切」と、直子さん。

だが、突然足を止め、立ち尽くした。
「ここ、『木村屋』という駄菓子屋だったんです。少し前は開いていたのに、閉店してる……」。
駆け寄ったかほりさんは、引き戸に貼られたメモを指差す。
「見て、お客さんからの手紙」。
しばし、肩を寄せ合い、閉店を惜しむ小さな手紙に目を通すふたり。
「こういう店って、永遠にあるように錯覚しちゃうよね」。
直子さんは、ポツリと呟いた。

長さの同じふたつの影は、寄ったり、離れたり、不規則に歩みを進める。
長さの同じふたつの影は、寄ったり、離れたり、不規則に歩みを進める。
「土偶ワークショップとか、気になる」と、かほりさん。すずらん通りにて。
「土偶ワークショップとか、気になる」と、かほりさん。すずらん通りにて。

似ているけれど、どこか違う。母娘の目のツケドコロ

谷中ぎんざを抜け、夕焼けだんだんに到着。初共作にあたり、互いの印象を振り返る。
「私は人の生活が見える景色が好きだけど、母は歴史や自然を好むように感じました。あと、何気なく発する言葉が鋭く的を射て、ハッと納得させられる瞬間も多い。母の特殊能力ですね」
と、かほりさん。対して直子さんは
「興味を引かれるものの方向性は似ているけれど、キャッチの仕方が違う。同じものを見ても、私は直感的に『いいな』と感じるのですが、かほりは『なぜ』と背景まで深く考察していて。すごいなあ、と思います」。
そして、ふたり顔を見合わせ、
「落ち着きがないのは、お母さん譲りだけど」
「やっぱり、私から強く遺伝してるよねえ」
と、笑う。

互いにリスペクトを抱きつつ、姉妹のようにじゃれ合う母娘の初共作『時のひだまり分け合いながら』。そこには、暮らしの温もりに包み込まれてきらめく、谷根千の街が映っていた。

illust_9.svg

『時のひだまり分け合いながら』

短歌=東 直子
写真=東 かほり

〔小さな手〕

入らないでください花は咲くのです
会いたいときはココニオリマス

 

〔居残りせいかつ〕

入り口はたぶんあそこの石のあたり
草は光をのみほしている

 

〔ひとまず、ここに〕

柔軟剤の匂いを淡く放ちつつ
こんなところの角で待ってる

 

〔今日のごはんのにおい〕

傘も枕もシーツも干してそよそよと
歳月も干す路地のあかるさ

 

〔忘れるように思い出す〕

10円を握ってやってきた僕が
ガラスに映る長いお休み

 

取材・文=どてらい堂 撮影=鈴木愛子
『散歩の達人』2023年1月号より

いまや東京を代表する散歩スポットととなったこのエリア。江戸時代からの寺町および別荘地と庶民的な商店街を抱える「谷中」、夏目漱石や森鴎外、古今亭志ん生など文人墨客が多く住んだ住宅地「千駄木」、根津神社の門前町として栄え一時は遊郭もあった「根津」。3つの街の頭文字をとって通称「谷根千」。わずか1.5キロ正方ぐらいの面積に驚くほど多彩な風景がぎゅっと詰まった、まさに奇跡の街なのである。