インドネシア共和国
人口2億7000万人を誇る東南アジアの地域大国。日本にはおよそ9万8000人が暮らすが、およそ半数が技能実習生。首都圏各地や愛知県、大阪府を中心に日本全国に散在し、漁業、工場、建設、介護などでの分野で働いている。特定技能、留学生も多い。
「世界一おいしい料理ランキング」でトップに選ばれたルンダン
「技能実習生の子たちがよく来てくれるんです。男の子はとび職とか、型枠とか、現場関係が多いかな。体を使う仕事だから、みんなよく食べるんですよ(笑)」
店主の佐々木スーサンティさんの言うとおり、男子たちは確かにもりもり食欲旺盛だが、かぶりついているのは骨付きのでっかい鴨肉だ。お店の一番人気だという。
「生姜やニンニク、コリアンダーパウダーなどでマリネして冷蔵庫でひと晩寝かしたあとにゆでて、それからじっくりローストするんです」
香ばしく焼きあがったところに、自家製のサンバルをじゅわっとかける。インドネシア料理には欠かせない、唐辛子ベースの調味料だ。
やわらかく仕上がった鴨肉は独特の甘みがあって、サンバルの辛さがこれを引き立てる。ごはんが進む。
ヒジャブをかぶった女の子たちは、みんなで写真を撮り合ったりしてわいわいにぎやかだ。スーサンティさんも彼女たちにせがまれて、一緒に写真に収まっている。
「女の子も実習生が中心だけど、介護職が多いね。たいへんなこともたくさんあるみたいだけど、インドネシアではお年寄りの面倒を家族で看るのが当たり前だから、みんな慣れてる」
どのテーブルでも頼んでいるのはルンダン、インドネシア風牛肉の角煮だろうか。インドネシアのソウルフードのひとつといえるメニューだが、なかなかに手間も時間もかかる一品だ。
「レモングラス、ガランガル(ショウガ科の一種)、エシャロットやニンニク、ココナツオイルなどで牛肉を5時間ほど煮込みます。スパイスはターメリックやナツメグなど。そこにクミリ(キャンドルナッツ)も入れると、甘みが出るんです」
さまざまな食材が牛肉のうまみと引き立て合う、いわばインドネシア版のビーフシチューだろうか。これまたごはんが止まらない味だ。ちなみにこのルンダン、アメリカのCNNテレビによる「世界一おいしい料理ランキング」で2017年のトップに選ばれたこともある。
首都圏各地から、インドネシア人が訪れる
このお店を教えてくれたのは、実は新宿・歌舞伎町にあるモスクの人々なんである。繁華街の隙間にある狭い裏路地に立つこのモスクはインドネシア人たちによって運営されていて、僕の住む新大久保から近いこともあってときどき訪れる。そこで「インドネシア人のコミュニティーになっているレストラン知らない?」と聞いたところ、集まっていた人たちがいち押ししてくれたのが『クタ・バリ・カフェ』というわけだ。
新宿から中央線特快で40分、実際に来てみれば「土日はお客さんの90%がインドネシア人」とスーサンティさんが言うほどの盛況だ。インドネシアの食材や自家製サンバルなんかも売られているし、在日インドネシアたちで催されているフットサル大会のトロフィーまであって、なるほどコミュニティーとして愛されている場所のようだ。
「誕生日とかのパーティーもよく開かれているんですよ」
それだけたくさんのインドネシア人が集まってくるのは交通の便がいいからだ。八王子を多摩南部の片田舎と侮ってはいけない。古くは甲州街道の宿場町として栄えた交通の要衝なんである。現在もJR中央本線、横浜線、八高線、それに京王線が交差するターミナルで、つまり東京西郊だけでなく、山梨東部、埼玉県西南部、それに神奈川西部ともアクセスが良く、各地で働くインドネシア人たちが休日に電車でやってくる。ランチを楽しんでいた女子3人組は達者な日本語で言う。
「今日は藤沢から来たんですよ。神奈川にもインドネシアのお店はあるけど、ここがいちばん」
加えて八王子近郊は大学も多い。郊外なので広いキャンパスを確保できるからだ。つまり留学生もたくさんいる土地柄で、彼らも『クタ・バリ・カフェ』の客だ。
また近くには八王子モスクがあり、ラマダン明けなどイスラム教の大きな儀式のときはお祈りのあとに店で食事をするのも慣習になっているとか。
一方で日本人には平日のランチが人気だ。とくにインドネシア定食ともいえるナシ・チャンプルは具材が日替わりで、この日は自家製ケチャップマニス(大豆ベースの甘いソース)をかけた揚げ鶏、豚の耳や皮と野菜をスパイスで和えたバリ島の伝統料理・ラワールなどが盛られてなかなか豪華だ。
また「インドネシアの納豆」とも呼ばれる大豆発酵食品テンペを使った料理もいろいろあって、これも日本人にはなじみやすい。日本の納豆と違ってブロック状に固めたものなので、切ったり揚げたり炒めたりと調理のバリエーションが広い。
技能実習生たちの悩み相談所でもある
スマトラ島南部ランプン州出身のスーサンティさんが日本に来たのはもう2003年頃のこと。日本人との結婚がきっかけだ。夫の故郷である八王子に住み始めた。
「昔から、近くで働く技能実習生を家に呼んで、みんなでごはんを食べたり遊びに行ったりしてたんです」
ときには異国暮らしの悩みや、仕事のつらさについて相談されることもある。お店を開く前からスーサンティさんはインドネシアコミュニティーの中心だったのだ。だから2019年に『クタ・バリ・カフェ』がオープンすると、すぐに大人気となった。開店3周年のお祝いには、大勢のインドネシア人が訪れたそうだ。
「みんなが楽しそうに食事をしているのを見るのが大好き」
スーサンティさんはそう笑う。
『クタ・バリ・カフェ』店舗詳細
取材・文=室橋裕和 撮影=泉田真人
『散歩の達人』2023年9月号より