カンボジア人と日本人が交流できる場所を目指して

日本に避難してくるウクライナ人の数が、1000人を超えた。彼らにどんなケアができるのか注目が集まっているが、同じようなことは40年前にもあった。
インドシナ半島が荒廃していた時代のことだ。泥沼の戦争後に共産化したベトナムとラオス、それにポル・ポトが政権を追われた後も戦乱が続いたカンボジアから、たくさんの難民が国外に逃れ、日本政府は彼らを正式に難民として受け入れることを決断。1979年に難民支援事業が始まると、兵庫県の姫路市、そして神奈川県の大和市に「定住促進センター」が開設された。そしておよそ1万1000人のインドシナ難民がやってきて、センターで日本語や生活習慣を学び、この国に溶け込んでいったのだ。
だからいまも、大和市やその周辺の座間などにはインドシナ3国の人々が多く住んでいる。カンボジア人のリンカ・アオイさん(46)もそのひとりだ。

元ギャル&モデルのリンカさん。いまではこの店のママにして、技能実習生の相談役。
元ギャル&モデルのリンカさん。いまではこの店のママにして、技能実習生の相談役。
常連の元ラオス難民の方(右)と店のカンボジア人シェフ。会話はなんとタイ語。
常連の元ラオス難民の方(右)と店のカンボジア人シェフ。会話はなんとタイ語。

「両親と一緒に日本に来たのは9歳のときです」

まるで環境の違う国での暮らしが始まったが、そこからは持ち前の才覚と明るさか、日本の小学校に編入するとめきめきと言葉を覚え、やがてリッパなギャルとして成長したのであった。
「アパレルで働いていたんですが、職場は渋谷のマルキューとかパルコとか池袋のサンシャインとか。憧れの人はモデルの梨花さん」
なんて笑う。ファッションモデルとして活躍した時期もあったそうだが、ずっと気にかかっていたのは故郷のことだ。平和にはなったが経済的にはまだまだ立ち遅れている。だからリンカさんは現地にサンダル工場を建てて雇用を生み出したり、日本語学校をつくってそこで学んだ人材を日本に送り出すといった活動も続けてきたが、コロナで状況が変わった。サンダルの原料が中国から入らず、入国制限のため人材の行き来もしづらい。それならレストランを開いて、カンボジア人が集まれる、そして日本人とも交流できる場所にしようと、ここ『バイ・クメール』をオープンしたというわけだ。はじめは大和市での出店を考えていたが、なかなかいい物件が見つからず、やはりカンボジア人の多い座間を選んだそうだ。

相武台前駅のすぐ北、雑多なお店が密集するセンタービルの一角にある。
相武台前駅のすぐ北、雑多なお店が密集するセンタービルの一角にある。
特産コーヒーや胡椒も販売。
特産コーヒーや胡椒も販売。

マイルド&ヘルシー 日本人にもなじみやすい料理

「これが伝統料理のアモックです。レモングラスやコブミカン、ウコン、カンボジアのショウガなどをミキサーにかけてココナッツミルクで混ぜて、それを白身魚と一緒にバナナの葉に流して蒸すんです」

プディングのようなケーキのような食感だが、ココナッツの風味がいい。魚はカンボジアのものが手に入りづらいので、鯛で代用しているのだとか。
「カンボジア料理は、タイみたいに辛いものは少ないし、ベトナムのように香草をたくさん使うわけでもなくて、両方の中間のような感じです。ヘルシーで、食べやすいと思います」

サワースープを煮込んでいく。
サワースープを煮込んでいく。

「それと牛肉はよく食べますね」というとおり、お店に来るカンボジア人がだいたい頼むという牛肉のサワースープも並ぶ。ゴーヤもたっぷりだ。タマリンドでさっぱりした酸っぱさを出すのがポイントだとか。
それに牛肉とレモングラスのサラダもさわやかでおいしい。味の決め手は最後にすって振りかけるカンボジア産のカシューナッツだ。
「カレーはココナッツミルクだけで煮込むのがカンボジアスタイル。そのほうがまろやかになるんです」

カンボジア胡椒の効いたパテが自慢のノンパン680円。
カンボジア胡椒の効いたパテが自慢のノンパン680円。

濃厚なコクのカレーはご飯よりもむしろパンに合うだろうか。フランス領だった影響からベトナムと同様にカンボジアでもフランスパンが食べられていて、これを使ったサンドイッチ・ノンパンも好評だ。
「フランスのパンよりバターが控えめで食べごたえが軽いんです」
このノンパンに使うパクチーや、レモングラスやウコン、バナナの葉やミント、唐辛子などは、「綾瀬市に畑があって、そこで育てているんです」

アンコール朝の名君の絵画も。
アンコール朝の名君の絵画も。

苦労してきた難民世代が若い技能実習生たちを支える

お店は昨年末にオープンしたばかりだが、もうすっかりカンボジア人に人気だ。難民世代もやってくるが、多いのは若者たち。技能実習生だ。近隣の自動車関連工場などで働くカンボジア人が、神奈川県でも増えている。
実習生は日本語もそれほどわからないまま単純労働に従事し、日本の産業を下支えしている存在であるのに待遇が劣悪なことから問題視されているが、彼らからの相談ごともリンカさんのところには殺到する。ときには実習生と、雇用先の会社の間に入って、通訳をすることもある。両者の板挟みで心労も絶えないようだが、いまの実習生世代が頼りなくも感じる。

「私たちの頃は通訳も相談できる人もいなくて、電気やガスの料金の払い方がわからずに止められたこともあった。兄は子供がやけどしても救急車の呼び方もタクシーの乗り方もわからず、歩いて病院に行きました。それに比べると、いまはネットでなんでも調べられるし、電話一本で私がかけつける(笑)。そこに甘えて、日本語を覚えようとしない子もいる」

と、苦労してきただけに、なかなか手厳しい。それでも「できるだけ寄り添っていきたい」と話す。
そんなリンカさんに惹かれて店にやってくるのはカンボジア人だけではない。同じ難民世代のラオス人の常連もいれば、日本人も多い。また米軍のキャンプ座間が近いことから、軍関連の外国人も訪れる。

「国籍はアメリカだけどカンボジア人の兵士が来たこともあります。難民としてアメリカに渡って、兵隊になって、日本に駐留してきたそうです」

実にさまざまな人が出入りする店だが、夜8時からはバータイムになる。リンカさんの半生をじっくり聞いてみたい方は、日が暮れてから行ってみてはどうだろう。

『バイ・クメール』店舗詳細

住所:神奈川県座間市相武台1-35-1 センタービル1F /営業時間:11:30~14:00・17:00~23:00/定休日:日/アクセス:小田急電鉄小田原線相武台前駅から徒歩1分

取材・文=室橋裕和 撮影=泉田真人
『散歩の達人』2022年7月号より