ある時、友達とどれだけ長い間水風呂に入っていられるか勝負していると、いつもと違う感覚が訪れた。視界が高速のパラパラ漫画のようになり、頭がグラングラン揺れてまっすぐ前を見ているつもりがいつの間にか上を向いていたりして面白かった。そんな私を心配した友達が早く出ようと促し水風呂を出たが、その時の非日常的経験はずっと記憶に残り続けている。それ以来、サウナのある公衆浴場に行くたびに、あの日の感覚を追体験しようと挑戦してきた。

ここ数年、サウナが流行している。流行の発端であろうタナカカツキ氏の『サ道』という漫画を初めて読んだ時、自分がぼんやりと追い求めていたものが明文化されていることに驚いた。サウナを健康面からでなく、トランス体験的な側面から語っているものを見たのは初めてだった。そこには、より良いトランス感覚を得るための「正しい入浴法」も示されていた。まずサウナに8〜12分入り、その後水風呂に入ってから椅子に座るなどしてリラックスし休息を取る。それを3セット程度繰り返す。

ブームにより色々とサウナに関する情報を得る機会が増えたが、基本的にはどの本やサイトでもこの入り方が推奨されている。

その入浴法を知って以降、以前より意識的にいろんなサウナに通うようになった。都内だと荻窪の『なごみの湯』や上野の『北欧』、歌舞伎町『AKスパ』によく行く。ライブで地方に遠征すれば、その土地の有名なサウナをできるだけ訪ねる。札幌の『ニコーリフレ』の水風呂の冷たさは忘れられない。それなりにたくさん行ったが、サウナ上級者を自任することには引け目があった。まだ『しきじ』に行ってなかったからである。

サウナ入門書に、必ずと言ってよいほど取り上げられ、愛好者から“聖地”と呼ばれる静岡の『しきじ』。行かなければサウナを語る資格がないと言っても過言ではない。サウナが素晴らしいのはもちろん、水風呂はそのまま飲めるほど素晴らしい水質で、他のサウナではおよそ得ることのできない体験ができるという。

駿河の名水が滝のように!

静岡に行くことがあれば立ち寄ろうと思っていたが、何年経っても機会が訪れなかった。その間いろんなサウナに行ったが、頭のどこかに「『しきじ』はもっとすごいのではないか」という考えが浮かんで目の前のサウナを100%楽しめていない自分がいた。

もう待っていても仕方ない!

私は腹を決め、予定のないある日、『しきじ』のためだけに静岡行きを決意したのであった。東京から高速バスで約3時間。静岡駅に着き、そこから路線バスに乗ること20分。少し歩くと、そこに憧れの『しきじ』は実在した。

高揚感に包まれながら受付を済ませ、ロッカールームで服を脱ぎ、浴場に入る。初めて来たはずなのに、なぜかいつか来たような懐かしさがある。変わり種の風呂を多種多様に展開するわけでもなく、シンプルに研ぎ澄まされた構成の浴場に「本物」を感じた。無駄なものはいらない。ラーメン屋でも、何十種もメニューがある店よりは同じものを出し続ける武骨な店の方が得てして美味いものである。

サウナ自体はどこかで見たような造りだが、熱流は決して他では真似できない本物の「それ」だ。そして水風呂。滝のように落ちてくる駿河の名水を浴び、シルキーな水に浸かり、私は完全なる覚醒状態に入った。これ以上ないほどサウナと水風呂を満喫し終え、深いリラックス状態で休憩所のリクライニングチェアーに身を委ねた。

その時、なにか既視感のようなものを感じた。そういえばさっき風呂に入った時も前に一度ここに来たような気がしたが、この感覚はなんなのだろう。ぼんやりした記憶を手繰りながら休憩所を見渡した結果、違和感は確信に変わった。私は間違いなく、以前に一度ここに来たことがあったのだ。

「ハッテン場じゃね?」

あれは7年ほど前のことだった。エミリー・ライクス・テニスというバンドと我々とで、長野と静岡のライブハウスを巡るミニツアーをしたことがあった。静岡のライブを終えて深夜まで打ち上げを楽しんだ私たちは、ベロベロになりながら寝床を求めてこのサウナにたどり着いたのである。その時も酔いざましにサウナや水風呂に入ったが特に何の感慨もなくそのまま休憩所で就寝した。唯一サウナが話題に上がったのは、エミリーのメンバーがサウナに入っていると中年男性が不自然なほど近くに座って来たという話の時だけだ。

「知らずに入ったけど、もしかしてハッテン場じゃね?」などと軽薄な会話をしたことを憶えている。

なにが「本物」だ。なにが「シルキーな水」だ。『しきじ』に行けばもう少し自信を持ってサウナを語れるようになると思っていたが、ヘラヘラしながら聖地を踏みにじった私は、有識者のお墨付きなしには物の良し悪しを判断することもできないとんだフェイク野郎だったのである。以来、フェイクはフェイクらしく、ひっそりサウナに通い続けている私である。

文=吉田靖直(トリプルファイヤー) 撮影=鈴木愛子
『散歩の達人』2019年8月号より