ロンドンの地下鉄路線図に目を奪われた
電車移動に欠かせないお供・路線図。井上マサキさんは、各地の路線図を鑑賞し、路線図にまつわる著書を2冊上梓した“路線図研究家”だ。
最初に路線図が気になったのは2005年。新婚旅行で訪れたイギリス・ロンドンだった。
「シャーロック・ホームズが好きだったこともあり、ロンドンを訪れたんです。地下鉄に乗った時、地下鉄の路線図がすごくきれいだなと思ったのが、最初に路線図が気になったきっかけです。もともと特に鉄道マニアだったわけではないんですが、交通局の博物館に行き、路線図が描かれたお盆やトランプまで買って帰ってしまいました(笑)。
後から調べたところ、ロンドンの地下鉄交通局はデザインに割と力を入れており、実は世界中の路線図のオリジネーターでもあるそうです。それまでは地図上に描いていたような路線図に、縦横斜めの直線でデフォルメしたデザインを取り入れたのは、ロンドンが世界初でした」
本格的に路線図鑑賞をし始めたのは、そこからしばらく経った2015年頃。
「ライターの仕事を始めた当初に通っていた講座で、『すごく狭い専門分野を作って第一人者になろう』という課題が出たんです。映画や日本酒だと先達がたくさんいるので何がいいだろうと考えた時に、路線図が気になっていたことを思い出しました。鉄道そのものではなく『図』に特化して鑑賞しようと、そこから各地の路線図を見て歩くようになりました」
制作者の工夫や苦労に思いを馳せる
①向こう側に「人」が見える
井上さんいわく、路線図の魅力は大きく3つある。
まずは、路線図を観察していると、背後にいる制作者が見えてくる点だ。
「路線図は限られたスペースに様々な情報をギュッと収める必要があります。路線のはじっこの方が、本来伸びているのと違う方向を向いていたりと、“時空が歪んで”いることも。
たとえば走行距離が長く乗り入れもある路線の場合、長く伸びた路線をどう処理するかは鉄道会社によって違います。小田急線だとZ型になっていたり、みなとみらい線だと渦巻状になっていたり。一方で東武鉄道は長いまま描いています。
こっちの会社はどうなんだろうと見比べているうちに、『制作者はここに悩んで、こういうデザインにしたんだな』と、路線図の向こう側にいる制作者の工夫や意図が見えてくるようになりました」
②多彩なデザイン
図として見たときの、デザインそのものの魅力も大きい。
「単純に言うと、色がいっぱいあってきれい。デザインが多彩なんです。
鉄道会社によってラインカラーや線の描き方が違いますし、地元の名産品などのイラストが添えられていることも。
例えば東京メトロと都営地下鉄のように同じエリアを描いた路線図でも、時空の歪み具合や駅名のフォントの大きさといった見た目は全く違います。こうしたデザインの力も、魅力の一つですね。『東急は急行が停まる駅の駅名がほんの少し大きい』みたいなことに気づくと楽しいですね」
③路線図は「生き物」
新旧が入れ替わり新陳代謝を繰り返す街の中で、路線図も日々変化を遂げている。
「路線が出来たり、駅が増えたり、反対に廃駅になったり。時代と共に路線図は形を変えていきます。山手線で『高輪ゲートウェイ』という新駅が発表された時には、『大変なことになった』と、その日のうちに全部の鉄道会社の路線図を調べました(笑)。
最近だと、バリアフリーの観点からカラーユニバーサルデザインを反映したデザインにフルリニューアルされることも。
鉄道会社さんにとって古い路線図は不要なので、ダイヤ改正に伴って昔のバージョンが見られなくなってしまうんです。これに気づいた時、保全活動をしなくてはならないのでは、と思いました」
最近は、駅名や路線名にカタカナ名が導入され駅名が長くなるケースもある。視認性と正確性を両立させるべく、そのたびに制作者の方たちは試行錯誤しながら調整を繰り返すのだろう。
路線図で“妄想旅行”できる本
著書には、47都道府県の路線図が収められている。
「『日本の路線図』という本では、路線図の撮影やセレクト、許可取りを著者3人で分担して行いました。
ホームページには載っていないものの現地に行くと路線図が掲示してあったり、ホームページと現地とでデザインが違ったりする場合もあって。それに気づいた時はどうしようと思いましたが、そこは共著で制作する強みが発揮されました。路線図は生き物だから、足で稼いで記録しないとなくなってしまうということをあらためて感じましたね。
この本が出たのが2020年3月で、ちょうどコロナ禍に突入する時期だったんです。ストイックに路線図しか載っていない本だったにも関わらず、地元の路線図を見たり知らない土地の路線図を見たりといった“妄想旅行”を楽しめる本として評判が良く、現在は6刷まで重版されました」
全国津々浦々、様々な路線図を鑑賞してきた井上さんのお気に入りは、「ほぼ日手帳」の路線図だそう。
「ほぼ日手帳は私鉄・JR・地下鉄を一枚の路線図に載せたオリジナルの路線図を作っていて、僕も毎年買っています。ほぼ日さんがすごいのは、来年発表予定の路線図をホームページ上で公開して、読者の方々にご近所のエリアを確認してもらう校正作業を行うんです。例えば、『○○駅と○○駅は乗り換えられないと言われているけれど、実は乗り換えられる』『仙台空港線は、現地の車内アナウンスに合わせて仙台空港アクセス線という表記が良い』など、実際に現地へ行かないと分からないような指摘を反映して修正しています。なかなかできない仕事だな、と思います」
毎年恒例、「ほぼ日の路線図」の「ご近所の目チェック」の時期がやってまいりました。制作中の路線図(2022年版)を公開して、読者のみなさんにチェックしてもらう校正作業! https://t.co/Ug0MYxskdD #ほぼ日手帳 #手帳
— 井上マサキ (@inomsk) May 10, 2021
「路線以外のもの」を味わうと楽しい
これから路線図鑑賞を楽しんでみたい、という方に向けて、鑑賞のポイントを伺ってみた。
「路線図に描かれた“路線以外のもの”に注目してみると面白いと思います。たとえば広島電鉄では、おそらく路面電車で現地を歩く人もいるためか、路線図にも川の橋が細かくたくさん描かれています。
東京メトロだと皇居が描かれていたり、大阪メトロだと淀川が描かれていたり。広島のアストラムライン路線図では、上空から見た形を反映しながら、周りに観光スポットも描かれています。路線以外に描かれたものは、現地の様子を分かりやすくするための材料でもあります」
「またデザインの背景には必然性があります。『デザインでここに苦労したのかな』『なんでこんな形になったんだろう』と制作者の工夫や苦労、そのデザインになった理由に思いを馳せてみると、また見えてくるものがあって面白いです」
都内近郊でおすすめの路線図は、新京成電鉄だそう。
「路線の周辺にふなばしアンデルセン公園や団地、病院などがイラストで描かれ、生活密着と観光という、地元民への目線と外から来る人への目線が同居した路線図なんです。直接乗り入れていない路線まで載っています」
駅で目的地までの行き方を確認する場合などに、何気なく目にしている路線図。老若男女、そして海外から来た人にも正しい情報を分かりやすく伝え、かつその街を楽しんでもらいたい。井上さんの視点をお借りしながら路線図をあらためて眺めてみると、日々目にする路線図の背後にいる「人」の姿が、自ずと見えてくる。
取材・構成=村田あやこ
※記事内の写真はすべて井上マサキさん提供