創業は明治34年。東京・本郷のパン屋さんから始まった
創業は明治34年(1901)。創業者の相馬愛蔵・黒光夫妻が東京・本郷の東京帝国大学(現在の東京大学)の正門前にあったパン屋『中村屋』を居抜きで買い取ったところから始まった。
明治42年(1909)、新宿に移転。移転と同時に、今までのパンに加えて和菓子の製造・販売も始め、大正時代に入ると、日本人の食文化の変化に合わせ、洋菓子の製造・販売も行うようになる。
昭和2年(1927)6月12日、お客様の「買い物で疲れた時に、ひと休みできる場所が欲しい」という要望に応える形で“喫茶部(レストラン)”を開店。この時に店の看板商品として登場したのが純印度式カリーだ。
日本にカレーが伝わったのは明治時代の初めといわれている。このカレーはイギリス経由で伝わったもので、小麦粉が入った、いわゆる“欧風カレー”といわれるものだ。日本人が食べていたこのカレーを「こんなのカリーじゃない!」と言ったのが、日本へ亡命し相馬夫妻が中村屋の敷地内にかくまっていたインド独立運動家ラス・ビハリ・ボース。
喫茶部のオープンにあたって、本場のインドカリーを多くの日本人に食べてもらいたいと、ボースが純印度式カリーをメニューに入れることを提案した。スパイスをふんだんに使った本格的なカリーは話題を呼び、飛ぶように売れたという。かくして純印度式カリーは中村屋の看板メニューとなったのである。
豊富な薬味で味変もできる伝統のインドカリー
中村屋本店は2014年10月29日に新宿中村屋ビルとしてグランドオープン。地下2階の『レストラン&カフェ Manna(マンナ)』は純印度式カリーをはじめ、中村屋伝統の料理を気軽に楽しめるレストランとなっている。今回伺ったのは8階にある『カジュアルダイニング Granna』。中村屋のエッセンスを加えた世界各国の料理をコースで楽しむレストランだ。ソムリエおすすめの日本ワインも堪能できる。
オーダーしたのはランチのカリーコース3630円。前菜、本日のスープ、カリー、本日のソルベ、食後にコーヒーまたは紅茶が付く。メインのカレーは中村屋純印度式カリーor季節の野菜カリーから選べる。今日はもちろん、伝統の純印度式カリーをチョイス。
ワクワクしながら待つと、まずは前菜のノルウェーサーモンのティエード 栃木県産きゅうりのソースがテーブルに到着。「わーー♪」と思わず声が出てしまうこのビジュアル!
「野菜は主に栃木県下野市の海老原ファームのものを使っています」と教えてくれたのは、マネージャーでソムリエの中山義則さん。「海老原ファームは土からこだわり、野菜の味を追求した農場です。味が濃厚で非常においしいです」。
続いて登場したのが本日のスープ、ヴィシソワーズ ~冷たいじゃがいものポタージュ クレソン風味~。なめらかな舌触りでまろやかなじゃがいものポタージュにクレソンの香りがいいアクセントになって、クセになりそうな味わいだ。
そしていよいよ本日の主役、中村屋純印度式カリーの登場! グレイビーボートに入ったソースにはゴロッとした骨付きの鶏肉と大きめにカットされたジャガイモ。小麦粉は入っていないと聞いたが、見た目はトロリとしている。
「カリーをトロッとさせているのはヨーグルトとブイヨンです」と教えてくれたのは、料理長の石崎厳さん。自家製のヨーグルトとゼラチン質が豊富な鶏で仕込んだブイヨンがカリーにとろみとコクを与えているんだそう。
ソースをたっぷりかけて頬張ると、スパイスの奥深い味わいを感じつつも思ったよりまろやか。でもしばらくすると、辛さがじわじわ追ってくる。使用しているスパイスは20数種。「最後の仕上げにスパイスを煮出した汁を入れることで、よりスパイシーさを引き立てるんです。これは、『ボースが黒い生薬のようなものを入れていた』と口伝えに聞いた先人が、試行錯誤の末にレシピにしました」と石崎さん。先人の探求心、すごい!
そしてライス。幻の米といわれる“白目米(しろめまい)”だ。小粒ですっとソースがなじむ。もちもち感がありながらもパラっとしており、お米らしい旨味があって、カリーとの相性が抜群だ。白目米については後ほど詳しく。
カリーには付け合わせが2皿。6種類の薬味でカリーの味変が楽しめる。まずはカレーの付け合わせの定番、らっきょう。その隣はロシアの漬物、アグレッツィ。
インドの漬物、チャツネはオニオン、レモン、マンゴーの3種類が用意されている。オニオンチャツネは辛さが増し、レモンチャツネは酸味が増し、マンゴーチャツネはコクが増す。
粉チーズはオランダを代表するエダムチーズで、中村屋では戦前から使われているそう。カリーにチーズをかけると辛さがマイルドになる。カレーの付け合わせにチーズってモダンなイメージがあるけど、戦前から使われていたとはハイカラだなあ。
最後はヨーグルトのソルベ。カリーを食べた後の〆には最高。ごちそうさまでした。
節目ごとに原点に立ち返り伝統を継承する
「インドカリーっていうのは、1つの素材だけがおいしくてもダメ。鶏肉のおいしさ、ヨーグルトの持つ酸味や旨味、ブイヨンの旨味、スパイスの香り、それらを組み合わせて1つのカリーに仕上げるんです」と料理長の石崎さん。
作り方は、ボースから教わったやり方を継承しているが、時代ごとに入手できる材料も変化するため、中村屋の料理人たちはその都度、試行錯誤し、工夫を凝らしてきたという。「時代の流れで変わってはいますけど、素材に対しては創業者のこだわりというのがありますから、原点に立ち返って考えるっていうことを常に意識しています」と石崎さん。
例えば、純印度式カリーに使われている白目米だ。発売当初、インドからインディカ米を輸入していたが、もっと日本人の口に合うお米があるのでは、と創業者夫妻が米穀研究家に相談。そこで教えてもらったのが、江戸時代に美食家たちに好まれ食されていた白目米だった。
「穂先が細くて風が吹くと倒れてしまうことから収穫量が少なく、貴重なお米だったらしいんですね。戦時中の米穀統制により栽培を禁止されて中村屋での提供も途絶えてしまったんですが、平成に入って、純印度式カリー70周年(1997年)を記念して幻の白目米を復活させようと、種もみ探しから始めたんです」。
しかし、それは簡単なことではなかった。「毎日のように元々の産地である埼玉県幸手市に出向き農家さんを訪ねて回って。かなり苦労したと先輩たちから聞いてます」と石崎さん。最終的に、細々と作り続けられていた白目米の種もみに行きついた。「白目米を探し求めた先人たちの執念ですね」。
中村屋では「原点に立ち返ろう」という意識を、節目の年に形にしている。純印度式カリー70周年には白目米の復活。95周年にあたる2022年には、白目米の精米方法を昔ながらのやり方に変えた。
2027年には純印度式カリー100周年を迎える。次は何を仕掛けるか、もうお2人の頭の中にはあるのでしょうか? 石崎さんと中山さんは、意味ありげに「ふふふ……」と笑っただけで、何を目論んでいるのか教えてもらえなかった。きっともう何かに着手しているんだろうな。
あの「ふふふ……」はこれだったんだ! っていうのが2027年にきっとわかる。その時は是非また取材させてくださいね!
取材・文・撮影=丸山美紀(アート・サプライ)