最高級小麦粉“さぬきの夢”との出合いから一念発起。独学でラーメン店店主になる。
店主・板倉功太さんは子どもの頃から料理が好きで、「小3の頃から自分でケーキを焼いてました」という。食べることが好きだったが、食べた味を再現できるという鋭敏な舌の持ち主だ。当たり前のように家業の建設業を継いだものの、食への探究心と創作意欲は大人になっても衰えなかった。
「本格的な日本料理から洋食、中華、デザート系までいろんなものを作って楽しんでいたんです。あるとき『おいしいラーメンを作ろう』と思って、いろんな小麦粉を取り寄せて麺を作っていたときに、たまたま香川県産の小麦粉“さぬきの夢”に出合ってしまったんです」と板倉さん。
打った麺は、華やかな香りとほんのり甘みを感じるだけでなく、跳ね返すような弾力と心地よい喉越しがあり、数々の有名な銘柄の小麦粉を押さえダントツにおいしかった。
「これだ! と思いました。それでラーメンを作ってみたら、店を出せるんじゃないかというものができてしまって。そこから約1年後、埼玉の実家が営む建設業をやめ、上京して店の物件を探し始めました」。
かくして2010年、『らーめん紬麦』がオープン。近所のサラリーマンや秋葉原へ遊びに来た人たちが店を目指してやってくる。
「どこかの店で修行の経験もなく、それまで異業種だったので店を借りることも大変で。自分の予算と間取りに合う物件を探していたら、それがたまたま秋葉原だったんですよ。まさか10年後、ウチの周辺にこんなにラーメン屋さんが増えるとは思いませんでした(笑)」。
オーソドックスな中華そば? それともうどん? 今なお改良を続けるラーメン
「この麺に合うスープを作ろう」と試作を重ね、最初にできたのはラーメンだ。この店のルーツを知るには、まずこれを食べなければ始まらないだろう。店頭の券売機でラーメン870円の食券を買いオーダー。待っている間に壁に貼ってあるほかのメニューや材料のこだわりなどを改めて確認した。
さっそくいただきます! まずはスープをひと口。丸鶏と魚介系の味がバランスよく重なり合って、醤油がキリッと効いた昔ながらの醤油ラーメンだ。そこに跳ね返すような弾力と、噛むたびに甘味や香りが増す太めの麺が素晴らしくマッチする。
「ラーメンのスープは丸鶏とサバ節などの魚介系をメインに、トンコツを少し入れています。このスープはすべての具材の一体感が大切で、どれかの味が突出してはダメなんです。醤油をキリッと効かせているのも、麺と一緒に食べた時の味わいを計算に入れています」と板倉さん。
なるほど、確かにとてもバランスが良く食べやすい。それぞれの味や風味の個性が確認でき、幾層もの味のレイヤーが重なっている感じだ。だから味わい深く、口の中に穏やかな波のように広がる余韻も楽しめる。
麺は跳ね返すような弾力がありながら、つるんとした喉越しがサイコー! 肉々しい肩ロースのチャーシューもいい感じだ。おいしさの余韻に浸りながら水を飲んでいると、板倉さんが創作秘話を語ってくれた。
「スープを試作したときは、あれもこれもと入れて味が分からなくなることもありました(笑)。でもね、突き詰めていくと引き算になるんですね。どんどんシンプルになって、今この状態ですけど、まだ改良は続いているんですよ。麺もどんどん良くなってます!」と語る。果てなき究極への道はこれからも続いていく。
秋葉原はなんでも受け入れてくれる街
『らーめん紬麦』がオープンした頃、秋葉原はゲームやアニメ、メイド喫茶などオタクの街と言われていたが、近年は街を行き交う人に変化を感じている板倉さん。「街に人がたくさんいる時間は働いているのでよくわかりませんが」と前置きをしつつも……。
「バッグに推しの缶バッチやマスコットをぶわ〜っとつけているような、いわゆるアキバ系が減りましたね。もともとアキバ系がいたりにぎやかだったのは電気街口のほうで、昭和通り口はふつうの会社とかが多くて飲食店もほとんどなかったんです」。
板倉さんが続ける。「周囲に飲食店がなかったからオープン初日から行列で、160食がすぐ完売したんですよ。アキバ系のみなさんは情報が早いので、すぐラーメンの写真を撮ってブログやSNSに上げてくれたりしてすごく助かりましたね。いろんなアニメ、ゲームとコラボして、コラボ作品限定ラーメンを販売したりもしました。それをきっかけに今も店に来てくれる常連さんもいるんですよ」。
そんな昭和通り口界隈に変化が訪れたのは、2015年前後。JR上野東京ラインの開通とともに、駅周辺が整備されたのだ。「どんどん周囲に飲食店が増えて来たんですけど、もともといたオフィスで働くサラリーマンの方に加えて、ラーメン好きのお客様がプラスされた感じです。お昼は本当に混雑していますが、ラーメンだけでは物足りないという方に人気なのがカツ丼なんですよ」。
板倉さんいわく「アキバ系の人は減った」というが、年齢も職業もさまざまな人たちが集まるこの街。だからこそ「あらゆる分野において計り知れない可能性を感じるんです」と話す。
「僕は独学でラーメン屋を始めたけど、秋葉原にはそんな者でも受け入れてくれる懐の深さがある。いいものを作っていれば誰かが拾ってくれる、そういう街なんじゃないかと思いますね」。この言葉の裏に唯一無二のラーメンを作り続ける孤高の料理人の、確固たる自信と覚悟が見えた。
構成=アート・サプライ 取材・文・撮影=パンチ広沢