「武相荘」のお庭で紅葉狩り!
3歳の子どもがいます。
独身時代からの趣味:お城巡り、神社仏閣巡り、温泉巡り、大人の社会科見学。
現在は、子どもとも行けるお出かけスポットに興味津々。
※最新の施設情報は、公式HP等でご確認等お願い致します🙇♀
町田市にある、旧白洲邸 武相荘。
「武相荘」の名前の由来ですが、武蔵と相模の国境に位置することを、「無愛想」にかけているのだそうです。
数年前に訪れた時、ちょうど鈴鹿峠(お庭)の紅葉が見頃になってました。
15時頃だったのですが、西日が当たっていてキラキラ輝いておりとても美しく。
なおかつ時間も時間だったからか全く人もおらず…そばに椅子が置いてあったので、しばらくそこに座ってのんびり眺めていました。
柿の木がそばにある、旧白洲邸・武相荘に入ると、白洲次郎氏と奥さま正子さんの愛用品の数々が目に入りました。
ノーベル賞授賞式後の晩餐会でも使われるロールストランドのお皿、ラリックの器… 正子さんは「器は使ってこそ楽しい」という考えを持っていて、 木漆工芸の人間国宝・黒田辰秋のお椀については毎日お使いになっていたのだそう。
婚約時代に互いに贈ったというポートレイトには、英語で「君こそ僕の発想の源であり、究極の理想である」「最愛の人へ」という言葉が書き込まれており…素敵でした。
次郎氏は確か日本で初めてジーパンをはいた人でもあるみたいです。
吉田茂が読み上げたサンフランシスコ講和条約受諾演説原稿(レプリカ)もありました。 「不思議な巻紙の勧進帳」と言われたもの。
当初GHQと外務省が出した案だと、全て英語、占領が良かった感謝感激という内容、沖縄の返還には全く触れていないもので、相談を受け白洲氏が激怒。
日本語に書き直す等、修正を行ったのだそう。
白洲次郎氏は田舎暮らしを美学としていて、終戦前は戦後の食糧難に備え、ここで農業をされ。
中央の政治をあえて離れたところから見、いざとなれば出ていき、役目を終えると居座らず、速やかに去ったのだそう。