ISCO
一般財団法人沖縄ITイノベーション戦略センター(ISCO)と、香港貿易発展局(HKTDC)は、沖縄と香港間の経済交流を促進し、地域企業の国際ビジネス展開を支援することを目的としMOUを締結致しました。
2025年4月14日(月)一般財団法人沖縄ITイノベーション戦略センター(ISCO)と、香港貿易発展局(HKTDC)は、沖縄と香港間の経済交流を促進し、地域企業の国際ビジネス展開を支援することを目的としたMOU(相互協力に関する覚書)を締結致しました。
本覚書は、沖縄と香港の強みを活かし、特に情報通信技術(ICT)分野を中心とした経済交流の推進を目指すものです。両機関は、地域企業の海外展開や人材交流を支援し、ビジネス機会の創出と技術交流の活性化に取り組みます。
協定の主な内容
本MOUでは、ICT分野を中心とした以下の3つの分野における協力を強化することを目指します。
1 経済交流の促進
沖縄と香港の企業間における経済交流の機会を創出し、ビジネスネットワークの拡大を図る
2 地域企業の国際化促進
両地域の中小企業等が円滑に海外市場へ進出できるよう、必要な情報共有と支援体制を整備
3 技術交流の活性化
最新の市場動向や技術情報を共有し、ICT関連企業間におけるビジネスマッチングを促進
【具体的な取り組み項目】
・沖縄と香港間における経済交流促進
・ICT分野を中心とした、地域企業の国際化支援、技術及び人材交流の推進
・経済動向、投資機会、規制環境に関する情報の共有
・企業間におけるビジネスマッチングやパートナー紹介の実施
・展示会、商談会、カンファレンスへの参加促進
・視察団の派遣促進や訪問時の市場説明会等の実施
・持続的なビジネス関係構築へのサポート
コメント
ISCO 代表理事 稲垣純一:
ISCOは、HKTDCとの連携を通じて、GBA(Greater Bay Area:粤港澳大湾区)との緊密な協力関係の構築も視野に入れています。
スタートアップと資金が集積する香港に加え、日本の人口の7割にあたる8,600万人が暮らすGBAは、沖縄にとって非常に大きな可能性を秘めた市場です。
さらに、GBAには70以上の大学が存在し、人材不足が課題となっている沖縄にとって、優秀な人材の供給元としても大変魅力的な地域といえます。
本MOUを通じて、沖縄と香港、さらにはGBA全体との経済交流を加速させ、企業の成長と人材交流の促進に貢献していきたいと考えています。
・ 香港貿易発展局 大阪事務所長 リッキー・フォン:
「香港貿易発展局は、ISCOとの連携を通じて、沖縄の企業、特にIT分野の皆様が香港のビジネスプラットフォームを有効に活用できるよう協力体制を築いてまいります。独自の金融制度やグローバル企業や多様な情報が集まる香港の国際的な環境を最大限に活用いただくことで、香港を介した香港・広東・澳門大湾区(GBA)へのビジネス展開にも一歩ずつ近づけるよう支援していきたいと考えております。また、香港企業が日本・沖縄への事業展開を図る際には、インバウンド関連企業との連携にも大きな可能性を感じており、今後の展開に大いに期待しています。」
【今後の展望】
ISCOとHKTDCは、本MOUを基盤として、沖縄と香港の企業が相互に成長できる環境を整え、ビジネスの分野でさらなる協力関係を築いていく予定です。
【参考:各団体概要】
■香港貿易発展局(HKTDC)
本社所在地:38/F, Office Tower, Convention Plaza, 1 Harbour Road, Wanchai, Hong Kong
HP:https://www.hktdc.com/
東京事務所:〒102-0083 東京都千代田区麹町3-4-5 トラスティ麹町ビル6階
大阪事務所:〒541-0052 大阪市中央区安土町2-3-13 大阪国際ビルディンク゛10階
HP:https://www.hktdc.com/Japan
■一般財団法人沖縄ITイノベーション戦略センター(ISCO)
本社所在地:沖縄県那覇市旭町112番地1金秀ビル 東館2階
HP:https://isc-okinawa.org
【お問い合わせ】
本件に関するお問合せや取材のご依頼は下記までご連絡ください。
一般財団法人沖縄ITイノベーション戦略センター(ISCO)
担当:広報担当
e-mail: pr-isco@isc-okinawa.org
企業プレスリリース詳細へ
PR TIMESトップへ
新着記事

木のように自然に溶け込む「擬木」。伊藤健史さんに伺う古今東西の“木を模す”技術
公園などへ行くと、柵や階段、東屋に、コンクリートやプラスチック等で自然の木を模した「擬木」が使われているのを目にすることがある。ライター・伊藤健史さんは、長年擬木の鑑賞を続けている。

田沼意次ゆかりの地・静岡県牧之原市相良で、幕府の財政を好転させた名君の足跡をたどる。大河ドラマ『べらぼう』ゆかりの地を歩く【其の六】
ひと昔前の教科書では、田沼意次(たぬまおきつぐ)は“賄賂政治”という言葉と対になって記述されていた。だが大河ドラマ『べらぼう』では、近年見直されてきた改革者としての田沼像に寄せていると思われる。しかも演じているのが渡辺謙なので、切れ者感が半端ない。田沼意次は16歳の時、のちに九代将軍となる徳川家重の小姓となり、父の遺跡600石を継いでいる。家重が将軍職に就くと、意次も江戸城本丸に仕えるようになった。それとともに順次加増され、宝暦8年(1758)には1万石を拝領、大名に取り立てられる。家重が逝去した後も、十代将軍徳川家治から厚く信頼され、出世街道を歩み続けている。そして明和4年(1767)、側近としては最高職の側用人へと出世を遂げた。加えて2万石が加増され相良(さがら)城主となり、さらに安永元年(1772)になると、遠州相良藩5万7000石を拝領し藩主となった。そして幕政を担う老中にまで昇進したのだ。わずか600石の小身旗本が5万7000石の大名になり、しかも側用人から老中になった、初めての人物だ。そんな意次の足跡が残る相良を歩いてみた。

令和の北陸大返し【後編】~長良川から利家の妻・まつ生誕の地、そして名古屋城へ、五日間の旅路踏破じゃ!~
皆々、息災であるか。前田又左衛門利家である。我が金沢城から名古屋城まで歩く「令和の北陸大返し」、此度はついに完結編である。美濃国から名古屋まで、尾張に住む皆々には馴染みの場所を歩いて参ろう。

【東京散歩コース】銀座・有楽町・日比谷〜近代以降は商業と文化の中心地。アンテナショップも多い〜
日本屈指の繁華街である銀座。町名は、慶長17年(1612)に銀貨鋳造所・銀座ができたことに由来する。元の地名は両替町(後に新両替町)だったが、商業地としてにぎわうと、銀座と呼ばれるようになった。文化の中心地にもなり、ブランドショップが並び、近年はアンテナショップも多い。有楽町は、織田信長の弟で、茶人としても名高かった織田有楽斎(うらくさい)(長益)の屋敷があったことから有楽原(うらくばら)と呼ばれたことに由来する。日比谷公園周辺は、江戸時代に大名屋敷が並んでいた。明治時代に近代化の象徴として、各種劇場やホテルのほか、法務省赤れんが倉庫のような洋風建築が建つようになった。現在は、劇場や映画館が集まるエンターテインメントの街でもある。
おすすめするスポットやお店のメニューなど、みんなの「こりゃいいぜ!」を絶賛募集中です!!
さんたつ公式サポーター登録はこちら