フィリピン共和国
東南アジアの島嶼国。日本には約32万人が在住。永住権を持つ人や日本人の配偶者のほか、技能実習生や特定技能など労働者も多い。かつては夜の世界で働く女性が多かったが、彼女たちはいま工場や清掃、そしてなにより介護職で貴重な戦力となっている。
蒲田から南国フィリピンへ
暮らしに必要なさまざまな店が軒を連ね、地元の人々の生活感が漂う。八百屋や総菜屋、レトロな電気店や喫茶店など個人商店がまだ生き残っているのがうれしい。
そんなアーケード街の一角に、古びた雑居ビルが佇(たたず)む。昭和の匂いが濃い。看板を見れば、上階までずらりとフィリピンパブが入居しているんである。その4階だ。老朽化したエレベーターを降りて『シンディーズ・レストラン』の扉を開ければ、きっと誰もが目を見張る。
キャパ100人以上という広々とした店内はゴージャズに飾りつけられ、奥にはステージまで設(しつら)えられている。なんとも華やかなんである。
「いらっしゃいませえ」
出迎えてくれるママ、シンディさんの笑顔に和む。空気はもう、一気に南国フィリピンだ。
週末の楽しみはビュッフェ&ズンバ!
ここは周囲の店と違ってパブではなく、パブで働くフィリピン人たちの憩いのレストラン。いまではママ手づくりの料理が評判になって、日本人もやってくるようになった。忘年会が開かれることもあるそうな。
「これがいちばんおすすめ。お祝いとかパーティーで人気」
そう言われて出てきたクリスピー・パッターは、ボイルして柔らかくした豚足を揚げたもので、皮がパリパリ、肉はもっちり、その食感がなんともいける。これはビールがぐいぐいすすむやつだ。添えられたマントマスソース(豚のレバーや酢からつくったグレイビーソースで揚げ物によく合う)をつけていただこう。けっこうな量なので何人かで頼んだほうがいいだろう。
フィリピン風ビーフシチューのカルデレータはごろごろの野菜と牛肉がどっさり。ココナツミルクの味わいがいかにも南国だ。トマトソースや塩胡椒のほかに、隠し味で醤油も入っている。本来はフィリピンの醤油を使うのだが、
「高いからね。うちは日本の醤油を使ってるよ」
と、さすがは来日34年、日本の調味料をフィリピン料理にうまいこと生かしている。
フィリピンを代表するスープ料理シニガンはタマリンドの酸味が特徴なんだけど、こちらでは豚肉入り、牛肉入りといろいろ用意されている。エビたっぷりのシニガン・ナー・ヒポンをお願いしたら、洗面器みたいなでっかいボウルで登場するのであった。さすがにこれは撮影用で、写真は2人前なのであしからず。
またシシグは豚の耳や首の肉、脂、タマネギを炒めたもので、味つけはレモンや唐辛子、塩胡椒。ねっとりした舌触りがいける。酒のアテにもいいし、メシにのっけてかっこむのも最高だ。
そしてこの店の売りは、なんといっても週末ビュッフェなんである。時間制限なしでママの家庭料理が食べ放題。メニューは日によって変わるし、客のリクエストに応じることだってある。フィリピン人も日本人もファミリーでやってきて、和やかな空気が流れる。
さらに週末はなんと、夜8時からズンバタイムとなるのだ。ママがステージに上がり、キレのいいダンスを披露する。お客さんも次々に参加して思い思いに踊りまくる。
「フィリピン人も、スーツ姿の日本人も、みんなで踊るんだよ!」
ズンバはもともとコロンビア発祥のエクササイズなんだけど、ダンス好きのフィリピン人に大いにウケた。現地ではあちこちにズンバのクラブがあるし、2015年には首都マニラで1万2000人以上が同時に踊り、ズンバ参加人数でギネス世界記録を達成したそうな。そして蒲田ではシンディママが15年ほど前から始めて、いまではすっかり店の名物となっている。
苦労人のママの優しさが染みる
「小学校の頃からお母さんを手伝って、屋台で働いてた」
というママは、12人のきょうだいを抱えた家族の生活のため、1990年頃にマニラのサンタクルスから蒲田にやってきた。その頃からこの街には歓楽街が広がっていて、フィリピンパブもたくさんあったそうだ。
昭和初期から色街として栄えた地域だが、高度経済成長期には町工場が増え、そこで働く労働者が飲みに来る街として蒲田はにぎわった。こうした製造業だとか、パブで働くフィリピン人たちが、コミュニティーの基礎を築いたのだ。近くにある羽田空港関連の仕事で働くフィリピン人も多かったという。高度成長を陰で支えた存在と言っていい。
ママは日本人との結婚を機に家庭に入るが、義父母の介護、夫の介護が続き、それからも工場やヘルパーとして働きに働いてきた。そして2006年頃にレストランを開き、店舗は転々としてきたがずっと蒲田だ。
「商店街あるし、なんでも安いし、大好きよこの街」
なんて話すママは、買い物から仕込み、調理、客の相手からズンバまでなんでもこなし、深夜4時の閉店まで働く。パブの女の子たちが飲みに来るのは遅い時間だからだ。終電を逃した客もやってくる。
「金曜と土曜は店のソファーで寝るの。お客さんも寝てることあるよ。でも帰れって言わない。かわいそうじゃん」
こんなゆるさと優しさたっぷりのお店で、ママとズンバを踊りに来てはいかがだろうか。
取材・文=室橋裕和 撮影=泉田真人
『散歩の達人』2025年1月号より