特に私とは無縁の地域だった四国は、本当に素敵な場所だった。瀬戸内の温暖な気候、穏やかな人々……初めて愛媛県を訪れたときは、本当に老後はここで暮らしたいと思ったほど。
そんな未知なる愛媛の酒場はもちろん、私の酒場人生の中でも最も印象に残ったのである。そのひとつを紹介したい。
『清香園』は、愛媛松山の繁華街「大街道」から少し外れたところにあった。看板や暖簾(のれん)は綺麗だが、よく見ると建物自体はかなり古く、見た目だけでは営業しているのかがイマイチ判断できない。
もしかすると、ただの物置き小屋なのかもしれない……店の入り口に近づき、耳を澄ませてみると、薄っすらと蛍光灯の光が漏れ人の気配があった。どうやら営業しているようなので、中へ入ってみることにした。
「っらっしゃい」
薄暗く小さな店内には、テーブルとL字カウンターの席が少し。カウンターの内側にはまるで“仙人”のような白髪のマスターがひとりいる。それはそうと……
なんという“迫力”の店内だ。昭和な冷蔵庫、色褪(あ)せた壁には写真、ポスター、壁にぶら下がっているのは……豚足か? とにかく、さまざまなモノにあふれかえっている。店構えで思った物置き小屋というのも、あながち間違ってはいないかもしれない。
恐る恐るカウンターの端へと座ると、マスターは「おしぼり」を目の前に置いてくれた。
「はい、おしぼり」
うおっ……丸められていないおしぼりを出されるなんて初めてだ。いや、不満ではなく、それでもおしぼりは出すというサービス精神に感銘を受けているのだ。
まずは「瓶ビール」を注文すると、懐かしい「パピプペンギンズ」グラスが出された。このキャラクターはサントリーのCMで登場すると子供に大人気となった。しかし、偉い人に「未成年の飲酒を助長しかねない」としてCMは打ち切り、その後そのペンギンはこうして古い飲み屋などでしか見ることはできなくなってしまった。思わぬ“思い出酒”で一気に飲み干す。よし、気合が入った。料理をいただこう。
珍しい絶品モツ料理に圧倒される!
一般的なモツ肉に加え、フワ(牛の肺にあたる部位)、ハチノス(牛の第2胃袋にあるホルモン)など珍しい内臓部位をごった煮にした「もつ煮込み」。それぞれがたいへん柔らかく煮込まれており、味付けも甘みが強めでおいしい。
一見「タン塩」のようにも見えるそれは、サメの心臓の刺し身「シンサシ」だ。弾けるような歯ざわりで、一緒に出された一味唐辛子とニンニクをごま油に溶いたタレと非常によく合う。
店内の雰囲気には圧倒されたが、珍しくておいしい料理に舌鼓を打つ。だんだんと慣れてきたのか「あれはなんだ? これもなんだろう?」と、店内にあるものがどんどん気になってくる。
その中でも一際“不気味さ”が光るものが壁に吊るされていた。
……!?
骨……頭蓋骨か?
小動物の頭蓋骨なのだろうが、角のようなものがあり、つりあがった目は“おどろおどろしい”形相でいくつも逆さまに吊るされている。これには思わずマスターに尋ねた。
「あの壁にある骨って、何の骨ですか?」
「あれね……はい問題。何の骨やと思う?」
突然クイズが始まった。このノリ、嫌いじゃない。今一度よく見てみるが、どう考えても“悪魔”としか思えない凶悪なフォルム。もしかすると……
「わかった! コウモリですか?」
「違うなぁ。ほな、正解みせたるわ」
そう言うとマスターは、カウンターから飛び出して店の奥に向かった。そこから寸胴鍋を持ってくると、鍋の中で緑色の“何か”が暴れまくっている。
暴れまくるその動物の正体は……
「わっ!! これって……スッポンですか!?」
「せや、コイツは凶暴やで~」
正解はスッポンだった。何も知らないスッポンは、頭をグニューっと伸ばしマスターの手に噛み付こうとする。
「指くらいは簡単に“持ってかれる”で」
「危ない!! もう大丈夫です、鍋に戻してください!!」
見ているこっちがハラハラするので、スッポンを寸胴に戻してもらった。なぜ、酒場の中に生きたスッポンがいるのか……食材ということでいいのか?
「いや、飼ってんねん。このスッポン」
まさかの、スッポンを飼っているという。常連客が近所にある川からスッポンを捕まえてはここへ持ってくるらしく、寸胴鍋に入れて猫のエサで育てる。いざ注文が入るとシメて、頭蓋骨を壁に吊るしているのだという。やっていることはプレデターに近い。
「ちゃんと甲羅も取ってあんねんで」
パーマ用のシャワーキャップを取り出し、中からはシメた日を記したスッポンの甲羅の骨を見せてくれた。謎の骨コレクションも驚いたが、このパーマ用シャワーキャップもまさかスッポンの甲羅を保存することになるとは思ってもいなかっただろう。
客がいろんな動物を持ってくる
詳しく聞いてみると、持ってくるのはスッポンだけではなかった。その他にウサギ、イノシシ、さらには豚一頭を丸ごと持ってきての“豚の丸焼き会”なる催し物が年に一度ここで開催されるのだという。もちろん、シメるのはマスターだ。
とにかく、大型動物以外はほとんどをシメた経験があるというマスター。まさか犬や猫も? ……私はどっちも大好きなのであえて確認はしなかった。もっと気になるのは、まだシメたことがない、これからシメてみたいという動物だ。それをマスターに尋ねてみると……
「サルやな」
「サル、ですか……」
予想を遥かに上回る答えが返ってきた。そもそも、サルって食べられるのか……いや、食べていい物なのか?
運が良ければ……いや、良いのかは分からないが、タイミングよく訪れたときにサル料理が食べられるかもしれない。さらにマスターは話を続ける。
「近くに漫画家の和田ラヂヲが住んでて、オレの似顔絵も描いてもらったんや」
動物どころか、漫画家まで集まってくるとは……間違いない。この不思議な酒場の正体は、サービス精神たっぷりのおしゃべり好きなマスターがいる、地元に愛される酒場だったのだ。
“よう、マスター。猿捕まえてきたでー”
“ほなシメたるわ”
それでも、本当にサルの首を目の前にポンと置かれた日には、卒倒するんだろうなぁ……。
取材・文・撮影=味論(酒場ナビ)