介護施設でそば?
先日、所用で渋谷のミヤシタパーク近くを歩いていると、そばのキッチンカーを見かけた。これは珍しい。キッチンカーは使える水の量が限られるため、「茹で」と「水で締め」が必要なそばには向かないのだ。どうやっているんだろう? と気になったのだが、そのときは急いでいて食べることはできなかった。
そしてその夜、店名『たいこさん家の十割そば』で検索をかけてみたところ、出店場所がかなりユニークなことが分かった。昼間の渋谷など都心部に加え、介護施設に出店しているのだ。なぜにそんなところで? いろいろと気になるので、さっそく取材を申し込んでみた。
後日、訪れたのは、介護付有料老人ホームの『ソナーレ石神井』。西武新宿線上石神井駅から徒歩10分少し、住宅街のど真ん中だ。このエントランスで『たいこさん家の十割そば』は営業しているのだ。エントランスには簡易テーブルが並べられ、そこで食べることができる。真夏の昼間だったが、日陰で風も通るので、それほど苦ではない。
さっそく「たいこさん家の十割そば」(550円)をいただいたのだが、これが素晴らしい。十割というと野趣あふれるイメージがあるが、細くしなやかな麺は風味が良いうえに、ツルツルと喉越しが抜群。長めに切られていて、啜り込むのが楽しくなってくる。こんなそばをキッチンカーで、しかも介護施設のエントランスで食べているのだから面白い。どういう経緯でこういうことに至ったのか、店をやっている畠屋尚廣さんと泰古さんの夫妻に聞いてみた。
大好きだったそばの食べ歩きから
もともと尚廣さんはタクシー運転手で、泰古さんは保険会社で働いていた。夫婦ともにそばが好きで、車であちこちの有名店を食べ歩いていたのだが、泰古さんが適応障害で仕事を休むことになってしまった。尚廣さんもまた、この先、タクシー運転手という仕事を続けていくことに希望を見いだせないでいた。泰古さんも前の仕事に戻るのは難しい。それなら、思い切って自分たちの大好きなそば屋を始めてみてはどうか、ということになったのだ。
当初は自宅の庭先に小屋を建てて始めようと思ったが、住宅街でやるよりは客のいるところに行けるキッチンカーでの営業に変更。そばは自分たちの好きな手打ちの十割そばにしたが、なにしろそば打ちは素人。水まわしとこねを手で行っているが、納得できるそばができるまでは、かなり苦労したようだ。
そしていよいよ、2022年の7月に『たいこさん家の十割そば』が始動。まずはさいたま市の自宅前、そして渋谷に千駄ヶ谷の都心部に出店。さらに郊外の介護施設に出店することになったのだが、この介護施設に出した経緯が面白い。
自宅前で営業するときに近所に配ったチラシを、たまたま近所に住んでいた「ソナーレ」のホーム長が見たのだ。彼が見つけたのが、チラシに書かれていた場所説明の「○○公園の隣」などの文言。「これにソナーレのエントランス、と書かれていたら自分たちの宣伝になるな」とひらめき、「ソナーレ」での出店を打診してきたのだ。「へ~、そんなことあるんだ!」と驚いてしまう、意外すぎる出店経緯だったのである。
新しいそば屋の在り方
とはいえ、「ソナーレ」があるのは住宅街のど真ん中。集客に苦労するかと思えば、意外と近隣の住民や施設のご老人が来てくれるらしい。上井草のソナーレでは、入居者に面会に来た家族が3組、テーブルを囲んでそばを楽しんでくれたこともあったとか。介護施設へのキッチンカーの出店は、なかなかアリだったのである。
さて、『たいこさん家の十割そば』の出店状況は以下だ。店舗データに載せきれないためここに書き出すので、行ってみたい人はご確認を。あるいは店舗データのインスタグラムを参照してほしい。
月曜日:渋谷区千駄ヶ谷3-40-4 営業時間11:00~15:00
火曜日:第一・第三ソナーレ上井草 第二・ソナーレ浜田山 第四・ソナーレ石神井 営業時間10:30~15:00
木曜日(8月以降):目黒川船入場広場 営業時間要確認
金曜日:渋谷区渋谷1-21-7 営業時間10:30~15:30
土日曜日:さいたま市南区内谷5-18-14 営業時間11:00~18:00
※土日のイベント出店時はお休み
コロナ禍を経て人の行動様式が大きく変わり、外食も曲がり角を迎えている。『たいこさん家の十割そば』のようなそば屋の在り方も、面白いのではないかと思うのである。
取材・撮影・文=本橋隆司