並んでも食べたい、昔ながらの洋食
お昼どきにぽっかりと時間が空いたらチャンス到来、迷わず『洋食KOBAYA』に向かおう。読みかけの本を1冊、鞄にしのばせて。
最寄り駅の新宿御苑前からは徒歩5分、新宿三丁目駅から歩いても10分あれば着く。靖国通りにある四谷電話局前の信号を北に折れると、緑のひさしと赤いのぼりが見えてきた。
毎日、開店とほぼ同時に満席になるから、よほどの幸運か最悪のお天気、もしくは開店前から並んでいないと行列することも珍しくない。でも、たとえ待ってでも食べたい味なのだ。だから、待ち時間も楽しむためのおともをお忘れなく。
そうだ、今のうちに今日のランチをチェックしておこう。一番人気のメンチカツとカニクリームコロッケのWメインが味わえるセットにしようかな。1点豪華主義、ど~んと大きな豚ロースのデミチーズカツに満たされるのもいい。思い浮かべるだけで、お腹の虫がく~っと鳴く。
店内は、カウンター席とテーブル席を合わせても12席ほど。こぢんまりとしていて、白い壁にぐるりと回した木の腰板が、落ち着いた雰囲気を漂わせている。昔ながらの「洋食屋さん」という響きがぴったりの居心地のよい空間だ。
今日のランチは、カウンター越しの黒板にも力強く書かれている。その横にある、おすすめのビーフトマト1000円は、あまり巡り合えないメニュー。各種トッピングもOKも気になってきた……。
厨房からは手際よく調理する軽快な音が聞こえ、胃袋を刺激する匂いも鼻をくすぐる。
ますます騒ぐおなかの虫をなだめながらメニューを開く。レパートリーは驚くほど豊富で、ビーフ、ポーク、チキンはもちろん、季節によって変わる魚料理や、オムライス、ハヤシライスなどご飯ものもある。
黒板の各種トッピングは、厳選された『洋食KOBAYA』ベスト3で、実はこれだけじゃない。白キスフライやミニオムレツ、チーズミニオムレツ、目玉焼きもOK。つまり、組み合わせは無限なのだ。
デミグラスソースがたっぷりの贅沢ランチ
あれも食べたい、これもいいなと迷いに迷う……。こういうときは原点に帰るのだ。王道にしてお得なランチ、メンチカツとカニクリームコロッケを注文。あとは、お気に入りの本を開いてゆっくり待とう。
しばらくすると、揚げたてのかぐわしい匂いと一緒に今日のランチがやって来た。
シンプルな白い皿に、ふわふわの千切りキャベツがこんもりと。分厚いメンチカツ。わずかにデミグラスソースのかかっていない衣が、サクッと心地よい音を立てる。
たっぷりかかったデミグラスソースは、優しくて奥深い味わい。肉の旨味と混然一体となって、あっという間に胃袋に収まってしまう。
脇に寄りそうカニクリームコロッケにも、そっと箸を入れてみた。カニクリームはどこまでもまろやかで、メンチカツと甲乙つけがたい。どちらも主役の贅沢ランチに思わず頬がゆるむ。
そして、揚げ物とは思えないほど、あと味が軽やかだった。夢見心地のような味がふわ~っと広がって、気がつくと幸せな記憶だけが残っている。もし、目隠しして食べたら、上質なホテルの西洋料理といわれても信じてしまうかもしれない。
幻の名店『洋食エリーゼ』『洋食たけだ』で修業
『洋食KOBAYA』は、2009年1月にOPENした。奥深いデミグラスソースは、かつて四谷にあった老舗「洋食エリーゼ」の流れをくむといわれている。また、揚げ物は、築地場内で食のプロ達に愛された「洋食たけだ」を彷彿とさせるクオリティと高く評価されている。
そのあたり、オーナーシェフの小林和夫さんにお聞きしてみると、「いつかは自分の店を持ちたいと、修行に入ったのが『洋食エリーゼ』でした。でも、同じ思いで働いている人が多く、腕を磨く機会がもっと欲しいと思って…。その悩みをオーナーに打ち明けたら、弟さんの店『洋食たけだ』を紹介していただき、そこで7年間修行しました」と振り返る。
小林シェフは、開店とほぼ同時に満席になるランチも1人で厨房に立つ。最高においしく味わってほしいから、どんなに忙しくても決して作り置きをしない。一番人気のメンチカツ、カニクリームコロッケも注文を受けてからひとつずつ粉をはたき、つけ玉(卵液)にくぐらせ、パン粉をまとわせてじっくりと揚げる。だから衣はサックサク。しかも、カラリと軽くてトッピングを追加したくなるほどだ。
「築地の『洋食たけだ』のお客様は、早朝から場内で力仕事もこなすお客様がメインだから、揚げ油にラードを使っていました。この辺りのお客様は、オフィスで働く方や、近くの老人ホームからスタッフさんと一緒に食べに来てくれる方もいます。なので、どなたにも喜んでもらえるよう白絞油を使い、つけ玉にもひと工夫しています。生パン粉はとてもよいものに出合えて、うちの料理にはこれが欠かせません。」と小林シェフ。
『洋食KOBAYA』のおいしさが、この誠実な仕事ぶりから生まれると理解している常連たちは、行列が苦にならない。お互いさまで、食べ終わったら待っている人のために席を空けることを心得ているから、意外に回転は悪くない。
欠かせないといえば、食べたら誰もが虜になるデミグラスソース。「『洋食エリーゼ』で学んだソースを、うちの店に合うように工夫しました。信頼している肉屋さんからその日の朝に仕入れた豚の骨付き生肉を使って、トマトや香味野菜、スパイスとともにじっくりと煮込んでいます」とのこと。
作り置きをしないだけではなく、素材の質や鮮度を大切にしていて、仕入れた食材はその日のうちに使い切るのが信条。そのため、ラストオーダーの前に閉店する日もあるという。
築地場内の「洋食たけだ」は惜しまれつつ閉店し、四谷の「洋食エリーゼ」は揚げ物専門店『かつれつ四谷たけだ』として今日に至る。いまや幻の名店となった両店の味と心意気は、小林シェフ独自のアイディアや工夫も加わり、しっかりと受け継がれている。
構成=アート・サプライ 取材・文・撮影=松本美和