歴史ある町の路地で目にした好奇心をくすぐる看板
江戸時代から多くの商家が集まっていたという日本橋室町。今では大きなビルが建ち並んでいるが、昔ながらの風情を感じられる路地も多く残っている。日本橋三越の向かいから昭和通りに抜ける路地は「むろまち小路」と名付けられ、そこからさらに多くの細い路地が左右に伸びる。
おいしそうな定食メニューが並ぶ看板に導かれて路地裏に入ると現れたのは、ねぶたが描かれた看板。味のある文字で『三冨魯久汁八』とある。なんて読むんだろう? そして、のれんの店名の横にはひらがなで「ゆったど」。初めて聞く言葉だ。どういう意味だろう? 好奇心をくすぐられながらのれんをくぐった。
のれんの言葉は「ゆっくりしてって」
出迎えてくれたのは店主の石沢勉さん。青森のご出身で、高校を卒業して上京、その時点では料理人になろうと思っていたわけではないという。
「いくつか紹介された会社の中で、職種は関係なく、いちばん厳しそうなところを選んだんです」と石沢さん。赤坂の料亭で働き始めたそう。
「最初は掃除ばっかりで。包丁なんて、1年以上持たせてもらえませんでした。ひたすら掃除と洗い物で」。えっ、料理人になりたいという気持ちがないまま始めたのに、それを乗り越えられたのはすごいことじゃないですか。
「この世界はこういうものだと思っちゃってました。今みたいに情報が多くないから、こうして修業するのが当たり前だと。先輩のいうことは絶対だし、理不尽なことだらけでしたよ」と石沢さんは笑いながら話す。
複数の和食店で修業、その後フレンチも経験した石沢さんは、台湾、中国、ニューヨークと、海外の和食レストランの立ち上げにも携わってきた。まだ和食が世界でこんなにもてはやされる前のこと。
「現地では、たとえばこの醤油がないとダメだとか、こうしなきゃこの味は出ないだとか、そんなことは言ってられないんです。あるものでどうアレンジしてどれだけ完成度の高いものにできるか。こうしなきゃこの味は出せない、じゃなくて、どうにかして出す」。
いくら腕がよくても応用がきかない料理人は使えない、と石沢さんは言う。“料理人”の部分をほかの職業に言い換えることもできそうだ。
その後、多摩センターで自分のお店を開いた石沢さん。5年程経ち、やっぱり都心でお店をやりたいと日本橋に。多摩センターのお店は、全国の旬の素材を使った料理を出す店だったという。「日本橋ではそれをぎゅっと絞って、自分の故郷の青森に特化させようと決めました」。
のれんにある「ゆったど」とは、青森の言葉で「ゆっくりしてください」といった意味なんだそう。今では青森でもほとんど使われていない言葉で、実家のお母さんに選んでもらったのだとか。
店名は「3がうちの奥さんの誕生日の月。娘が6月で、僕が9月、息子が8月。それをうまく組みあわせて漢字を当てはめたんです。」そこに美食家・魯山人の「魯」、料理屋さんのイメージの「汁」を入れて。「漢字で見るとわからないけど耳で聞けばすぐわかる」。抜群のネーミングセンスですね!
青森から直送の素材を活かした絶品ランチ
ランチは人気のづけ丼を注文。メニューには通年で海鮮4種のづけ丼と、季節ごとに旬の素材を用いたづけ丼がある。今日は春の彩どりづけ丼ぶりをいただこう。
青森はおいしい米ができる地域と、畑作を中心とする地域とに分かれており、その両方を出したいという店主の想いから、『三冨魯久汁八』のランチにはすべてうどんが付く。定食に味噌汁が付く感覚だ。
うどんのお出汁は鶏ベース。鶏の甘みがあって、「うどんに負けないように」しっかりとした味付け。うどんはもっちもちで、これはおいしい!「うちの店のオリジナルレシピです」と石沢さん。
漬けに使う合わせ醤油は、醤油に酒とみりんと合わせ、だし昆布とかつお節で旨味をとって2週間ぐらい寝かせたもの。普通の醤油より味がとがっておらず、まろやかな味わいだ。
ごはんは梅酢でピンクに。煮アサリとかんぴょうの味もご飯にしみておいしい! 石沢さんいわく、「大切なのは魚とトータルで食べた時の相性ですね」。はい、間違いありません!
食材は青森から2~3日おきに直送される。「毎回どーんと送られてきて、それを眺めてメニューを決めます。農協なんかでははじかれてしまう、少量しかないものとか、そういうのを入れてもらっています」と石沢さん。
「うちは郷土料理ではないんです。青森の食材をできるだけうまく使って料理を提供する」。もちろん、郷土料理のメニューも多くある。それでも決まりきったメニューにとどまらない。これまでの経験で培われた応用力の賜物だろう。
故郷青森に熱い想いを持つ石沢さんだが、この先もずっと日本橋で、と思っているのか聞いてみた。
「日本橋は住みやすい街。僕は三四四会(日本橋の料飲業組合の青年部)の役員もやらせてもらっていて、今後も日本橋に根を張ってやっていこうと思っています。これからも日本橋から青森を発信していきたい」。
取材・文・撮影=丸山美紀(アート・サプライ)