文士の街・鎌倉らしく、「つるや」の常連には名だたる文化人が名前を連ねる。
その代表格が故・川端康成である。
戦後すぐに移り住み、亡くなるまでをこの長谷で過ごした。

甘すぎず、しょっぱすぎず。
「つるや」の上品な味付けは、古くから別荘地でもあった長谷でまたたく間にファンを増やした。

川端だけでなく、当時鎌倉山に住んでいた大女優・田中絹代もそのひとりであった。
彼女が「つるや」を訪れるのは決まって毎週月曜日。
東京で撮影がある日は、マネージャーが鎌倉まで行き、鰻を取り寄せていたというから、その執念たるや凄い。「つるや」の鰻があの数々の名演技を生んでいたのだ。

そうそう、肝心なことを伝えておこう。
いくら無性に鰻が食べたくなったからといって、お店を直接訪問すると大変待つことになる。
実際、この日も何組かの観光客が諦めて退店していた。

「つるや」では注文が入ってから鰻を捌くため、食べる40分ほど前に電話で予約するのが最善である。
この日、私が店に着いて10分ほどして、熱々の鰻が運ばれてきた。

開業当時から塗りをかかさず大事に使われている鎌倉彫のお重。
とういうことは、川端康成に出されたものかもしれないではないか。
いや、里見弴か立原正秋、それとも田中絹代か…?!

彼らはどんな気持ちでこの蓋を開けてきたことだろう。
ふと、宝箱を開けるようにして目を輝かせている川端康成の姿が浮かんだ。

眩しいほどの鰻の照り。まさに宝箱である。
これこそが、文化人達を虜にしてきた鰻なのだ。

おそらく、この香ばしい焼き目と輝く照りを目で楽しみながら食べたのだろう。
そしてひたすら「旨味」に没頭する。

文化人達に想いを馳せるのは、ここまで。
ふっくらとした柔らかい身に箸を入れる瞬間、もう自分だけの世界である。

さらさらとしたタレがしみこんだ、絶妙な炊き加減のご飯を噛み締めながら、明日の猛暑もまた乗り越えられる、そう感じた。

私にとっての「鎌倉グルメ」である。