当時の様子をできるかぎり再現
かつて、マンガ家が集まってきたアパートがあった。住所は豊島区椎名町5の2253トキワ荘。1952年12月に棟上げすると、まず手塚治虫がやってくる。以降、10年ほどの間に入れ代わり立ち代わり若いマンガ家の卵たちが住んだ。いまから65年ほど前の話だが、日本マンガ史におけるトキワ荘の存在はとてつもなく大きい。
アパートは1982年に老朽化で取り壊されたが、地元では惜しむ声が多く、10年以上前からモニュメント建立など地道な活動が続いた。2020年3月に竣工した『豊島区立トキワ荘マンガミュージアム』は、当時の建物をできるかぎり忠実に再現したもので、地域の人たちの思いが長い年月を経てようやく結実したものだ。
「再現するにあたって地域の方が当時の写真を探し集めてくださったのですが、ほとんどがモノクロなので色の特定に苦労しました」。学芸員さんは話す。瓦や壁を何種類かの色で造り、当時を知る地域の人や、住人だった鈴木伸一さんや山内ジョージ先生に見てもらったという。
アパートが立っていたのは30年。その間改装や増築があったが、マンガ家たちが住んでいたのは初期の10年間ほどのことだ。集めた写真や資料の年代も勘案しなくてはならない。「建物の外観や2階部分は年季が入ったようなエイジングを施していますが、建って10年くらいの頃をイメージしています。トキワ荘というと古くてボロいイメージがありますが、先生たちは意外と新しいアパートに住んでいたんですね」。
名作を生んだマンガ家の実生活を体感
ミュージアムは、1階がマンガラウンジと企画展示室。2階が常設展示室と、当時の部屋を体験できるフロアとなっている。入り口で靴を脱ぎ、急な階段を上ると長い廊下の左右に個室が並ぶ。階段や廊下は、みしみしときしむ音がするように木材を調整しているという。各部屋の木枠の窓からは、当時見えたであろう風景の絵がのぞく。建物は鉄骨だが、内側は木造という入れ子状態になっているのだ。
建物自体は新築なのに、2階の廊下に立つと途端に時代がさかのぼる。天井の高さや照明も再現しているため、笠が付いた裸電球の絶妙な暗さを実感できて、少しでも明るいところで作業しようと窓に向かって机を置いたのもわかる。共同炊事場の生活感は見事で、網に入って丸くなった固形石鹸や、ガスコンロの汚れ具合、調理台に付いたしみなど、見どころが多く飽きることがない。それぞれの個室は、マンガ家の部屋を再現していたり、家具はなく壁に展示パネルが掲示されてあるだけだったりと、ひとくちに四畳半といっても中にある家具や本などによって、広さが違って見える。
再現部屋に入ることはできないが、できることなら入室可の部屋に入って、畳の上に座ってみてほしい。視線が下がり、押し入れの広さや、窓の高さ、天井の木目など、立っているときにはわからなかった部屋の造作に気づくだろう。あのマンガ家が、ここに座って、ストーリーを考えて画を描いて多くの名作が生まれていったことが、より実感できるはずだ。
取材・文=屋敷直子 撮影=加藤昌人 写真提供=豊島区立トキワ荘マンガミュージアム
『散歩の達人』2020年5月号より