ちょっとゆっくり座って食べて、軽く飲みたいとき

昔、山あいの、古民家風のおそば屋さんへ行きました。名のあるお店でした。ずいぶん長いこと待ちまして、おなかがグーグー鳴りだしたころやっと運ばれてきたおそば。見るからに上品で食欲をそそりましたが、同時に、「3分で食い終わるな」と思える量でした。瀟洒(しょうしゃ)な店内で他の方々も静かに食事を楽しまれているので、そばをほんのちょこっとずつ箸でつまみあげ、もったいぶって何口にも分けてすすりましたがそれでも、10分かからずザルからそばは消えました。

味は、超一流でしたから、同行者と「おいしかったね」とほほえみながら木々のゆれるアプローチを出て帰路につきましたが、帰りにコンビニで「から揚げくん」を買って腹の隙間を満たしたのは言うまでもありません。

おそば、大好きです。でも結局私は、立ち食いそば屋さんがしっくりきますね。おいなりとかカレーとか付けられますから。ただ、ちょっとゆっくり座って食べて、なんなら軽く飲みたいときがあるじゃないですか。そんなとき、昔から店を構える「街のそば屋さん」、こちらもまた重宝します。

街のそば屋さんの魅力

店内に入ると、大体たたきになっていて、入り口横に置いてあるスポーツ新聞を取ってからひとりテーブル席へ。店の女将さんか娘さんが運んでくれたそば茶をすすりながらメニューを眺めます。

さあここから好きなものを並べさせてもらいますよ。皆さまも想像してください。

まず、みそ田楽か板わさと瓶ビールでどうでしょうか。いいです、だらしなく新聞読みながらか、店内の角、天井近くに据えられたテレビでニュース番組でもぼんやり観ながら中瓶一本飲み切ります。さあメインを決めましょうか。冬なら鴨南蛮の熱くてしょっぱい汁にどぼっとそばをひたしてすすりあげる、夏ならざるそば大盛りか、天ざるなら、天つゆより、真っ黒なめんつゆに浸してかじるのがもうこたえられません。いや、やっぱり冷やしたぬきもいいですね。これですよ。ナルトとか刻みたくあんとか、具を混ぜすぎないですするのが好みです。

腹が減っているときなら、そばセット。天丼とか焼き肉丼とか生姜焼きとそば(このとき、もりそばかかけそばかを大体選べる)が、お重のなかで一緒になった我々庶民の味方。街のそば屋さんなら大抵ありますが、あれはいつごろに成立したんでしょうね。

まだ残っている街の良さに目を向ける

都市部にお住まいの方も、農村部の方も、こんな感じの「街のおそば屋さん」といったら、思いあたるお店があるのではないでしょうか。

いや、あった、という方も多いでしょうか。私もちょくちょく行っていたお店が数軒ありましたが廃業が相次ぎ、残りは少しになってしまいました。残っているお店は、おそらくテナントではなく、土地や店舗は自己所有なのだろうと思います。それに、私の観測範囲での話になりますが、店主も、来店しているお客さんも大体が私より年上。基本的には年配の方が多い印象です。若いお客さんの流入は、正直多いとはいえないと思います。

われわれの国では、タピオカ屋さんなど、流行ると、行列になるのもいとわず一気に出かけていく行動力旺盛の人が多いのですから、こうして、まだ残っている街の良さにも、ときどき目を向けるとどうかな、と思います。どの街にも当たり前にあった風景がいまや当たり前ではない――そういう時代に入っていると思います。

たしかに新しいそば屋さんもときどき街なかにできますし、出かけてみると、素敵なお店のことが多いですが、自分とはじゃっかん合わないかな、と感じることが実は結構あります……。原料にこだわっているし、もちろん手打ちでおいしいし、器も美しい。けれど、どこか落ち着かない。大きな会社にいらした方が退職されてはじめたお店だとか聞いて行きましたが、シックな内装で品もいいんですが、どこか「趣味人の趣味につきあっている感じ」を強く受け取ってしまうことがあるんです。スポーツ新聞を読みながらすするのはちょっと申し訳なさが募る……。

 

とここまで書いて、いても経ってもいられなくなり、街のそば屋さんへ急行しました。

はい、薄暗い蛍光灯の下で待っていると運ばれてきましたよ。お重のなかにはたっぷりのそばと生姜焼き。ビールを一杯やりながら、濃い黒汁にどっぷりそばをつけてすすりあげます。目はずっとスポーツ新聞に落としたまま。でもだいじょうぶ、誰もこちらなど見ていません。女将さんも空いた席に腰掛けて、テレビを見てますし。

文=フリート横田

助兵衛で気が短いが情に厚い、ダボシャツに腹巻姿の星桃次郎が、愛車・一番星号を駆るロードムービー『トラック野郎』。ギラギラに電飾をつけた「デコトラ」のインパクトは今も強烈で、ファンも多いと思います。私は、桃次郎を演じた若き日の菅原文太を見ると、どうしても父を思い出してしまうんです(見た目は松方弘樹似でしたが)。父もまたトラック野郎で、のちに小さな運送屋をおこし、死ぬまで運送の世界にいました。若い頃に東京に出て、ここに書けないような日々を送っていたようですが……母と出会い、不良暮らしはほとんどやめ、おとなしく郷里にかえりトラックにのったのです。理由は、私が生まれたからです。※写真はイメージです
42歳厄年を少しこえたばかりに過ぎない中年男性が昭和をテーマにしてこうやってコラムを書いておりますが、こんな私でさえ、以前はときどき、「靴磨き」の人達を見かけた記憶があります。平成の世になってもまだ、元気に従事する方々がいたということですね。大きな駅の前、往来の激しい場所に座って道具を広げ、お客を待つ職人さんたち。大抵が高齢の方々でした。それが最近、すっかりお姿をお見かけしないことに気付きました。なので今日は、その人達のことを少し書きたいと思います。商業施設の中などにも増えてきた新型のシューケアサービスのショップのことではありません。路上で商売をした歴史的存在としての「靴磨き」職人たちのことです。※写真はイメージです。
我々が住んでいる国は、本音と建前をうまく使い分ける人の多い社会だと思いますが、そこらでお茶するときでさえ、この使い分けを発揮してしまいませんか?※写真はイメージです。