散歩をしながら耳を傾けたいのはもちろんドラマの主題歌、『ハッピー☆ブギ』。EGO-WRAPPIN’の中納良恵とさかいゆう、そしてヒロインの趣里と3人の織りなすハーモニーが物語を彩った。白黒映像から鮮やかなカラーに転じるオープニング動画も胸アツで、ドラマ初回からこの楽曲に胸を打たれた。
昭和のスター笠置シズ子を令和の世に蘇らせた圧倒的音楽ドラマ
妄想散歩の前に『ブギウギ』がどんなドラマだったのか振り返ってみよう。
スズ子(趣里)は大阪の下町にある銭湯「はな湯」の看板娘。母ツヤ(水川あさみ)、父・梅吉(柳葉敏郎)、弟の六郎(黒崎煌代)と仲良く暮らし、得意な歌をみんなに披露するのが好きな女の子だった。梅丸少女歌劇団(USK)に入団すると歌の才能が開花し、上京することに。音楽家、羽鳥善一(草彅剛)、先輩歌手の茨田りつ子(菊地凛子)といった人々と出会いながら、スターの道を駆け上がっていく……。
我ながら雑な要約だと思う。というのも、このドラマ、あらすじだけではとても語れない奥行きと鮮やかな色彩をもった作品だったのだ。例えば、スズ子の生い立ち一つとっても涙なしでは語れない。両親と血がつながっておらず、実の母、西野キヌ(中越典子)との邂逅は物語序盤のクライマックスとなった。ほかにも梅丸少女歌劇団で出会った憧れの先輩、大和礼子(蒼井優)の突然の死など、前半から心揺さぶられる出来事がてんこもりで、まさに毎回ズキズキワクワク。視聴者はスズ子と一緒になって大いに泣き、大いに笑った。モデルの笠置シズ子の壮絶人生を見事になぞりながら、フィクションを上手に折り混ぜつつ見事に半年間描ききった、素晴らしいドラマだった。
2471人ものオーディションでヒロインの座を勝ちとったのは女優の趣里。元キャンディーズ伊藤蘭、俳優・水谷豊の愛娘ということでも知られるが、2018年の日曜劇場『ブラックペアン』(TBS系)や、2018年の映画『生きてるだけで、愛』などで圧倒的な演技を見せ、その実力は折り紙つき。今作でどんな芝居を見せてくれるか期待していたが、余裕でその期待値を超えてきた。
スズ子の『ラッパと娘』の歌声に観客が熱狂した帝国劇場
まず妄想散歩で訪れるのは、皇居のお堀端にある帝国劇場。地下鉄日比谷駅からすぐのところにある歴史ある建物だ。スズ子のモデル、笠置シズ子は1938年(昭和13)に上京、松竹楽劇団の一員として帝国劇場の舞台に上がっている。彼女が出演したのは松竹楽劇団旗揚げ公演「スヰング・アルバム」。副指揮者は後にパートナーとなる服部良一だ。
その服部良一が笠置シズ子のために書き下ろしたレコード・デビュー曲『ラッパと娘』が歌われたのもこの「帝劇」のステージだったと思うと感慨深い。新たなスター、スイングの女王の誕生。上京から1年後、1939年にこの名曲がこの場所で歌われたのだ。
我らが福来スズ子も2023年11月10日の放送で初披露以降、『ブギウギ』内で何度もこの曲を歌っていた。趣里が2024年3月、『あさイチ』に出演した際、クランクアップ直後の様子が紹介されたが、そのとき生バンドによりサプライズ演奏されたのもこの『ラッパと娘』だった。ドラマのタイトルになった『東京ブギウギ』など、ブギの女王、笠置シズ子の名曲はほかにたくさんあるなかで、ドラマではこのデビュー曲をとくに大切に、そしてドラマチックに描いていた。
『ラッパと娘』。初めてそのステージを観たときの興奮はいまだに忘れられない。まるで、あの熱狂の場にいたように、ついそんな気持ちを抱いてしまう。スキャット、シャウト、スイング……この歌を語るうえで使用すべき音楽用語はいろいろとあるのだろうけれど福来スズ子の『ラッパと娘』は、音楽知識がない人も、昭和歌謡に触れたことのなかった人も、一瞬で虜(とりこ)にした。ドラマであることを忘れ、本当のスター誕生の瞬間を目の当たりにしたような感動だった。
帝国劇場の歴史についてもここで触れておこう。現在も一線級の芝居、ミュージカルの公演が開かれる日本を代表する劇場で、その名は広く知られているが実は歴史もかなり古い。開場は1911年(明治44)、発起人に初代総理大臣、伊藤博文も名を連ねている。関東大震災で火災にあった後も改修され歴史をまたいで多くの人に愛されてきた。震災が1923年の出来事だから、スズ子が上京したのはその15年後のこと。東京は震災からの復興著しく活気に満ちていたが、日中戦争の真っ只中でもあり不穏で重苦しい空気が漂っていた。一方、太平洋戦争の前で、西洋の影響を強く受けたモダンな文化が息づいていた時代だったといえるだろう。『ラッパと娘』の華やかさ、力強さはまさにこの時代を体現するものだったのだ。
昭和エンタメの聖地、有楽町界隈は敗戦後の日本の象徴でもある
次に訪れるのは帝国劇場からもほど近い有楽町。現在この地のシンボルとしておなじみの「有楽町マリオン」だが、ここには帝国劇場と並ぶ大劇場、「日劇」こと日本劇場があった。『ブギウギ』でスズ子が何度もステージに立った「日帝劇場」はその名前からもわかるように、帝劇と日劇をもじったものだ。1933年(昭和8)に「陸の竜宮」として誕生した劇場は地下3階、地上7階とアジア最大級を誇っていた。『ブギウギ』でも大スターとして描かれたタナケン(生瀬勝久)のモデル、エノケンこと榎本健一ら昭和のスターたちが数多くの公演を行ったエンタメの聖地だった。
笠置シズ子も日劇に深い思い入れがあったようだ。1981年に日劇がなくなる時に涙ながらに「私の良い時代を築かせていただきました」と笠置が語っている動画が残っている。昭和の大スターにとって、この劇場は忘れがたい場所だったのだ。
と、同時に有楽町は敗戦国日本の縮図ともいえる街だ。『ブギウギ』ではラクチョウのおミネ(田中麗奈)が登場したが、有楽町界隈には当時、パンパンガールと呼ばれる売春婦たちがたくさんいた。さらには、劇中に登場した達彦(蒼昴)のような幼い靴磨きもあふれかえっていた。ドラマでは、パンパンガールと交流があったという笠置シズ子の史実を見事に取り込み、この地が戦争の爪痕を生々しく残した街だったという記憶もしっかりと刻んでみせた。『ブギウギ』が戦前、戦中、戦後を見事に捉えさまざまなメッセージを伝えた作品だったということも、ここで改めて記しておきたい。
現在の有楽町周辺は、昔ながらのガード下やレトロな趣のある「東京交通会館」などがあり、昭和時代をしのばせるエリア。笠置シズ子が歌手として羽ばたき、青春を送った時代の雰囲気を残す場所でもあるので、まさに『ブギウギ』散歩にうってつけの地だ。ぜひ、往年のヒット曲を口ずさみながらこの街を歩いてみてほしい。『東京ブギウギ』はじめ、笠置シズ子の「ブギウギ」たちが東京の、そして日本の復興ソングだったことを実感するはずだ。
笠置シズ子が最愛の人、吉本頴右を待ち続けた場所、世田谷区弦巻
次に訪れたのは世田谷区の弦巻。ここは笠置御殿、笠置ガーデンと呼ばれた笠置シズ子の豪邸があった場所で今も閑静な住宅地となっている。スズ子とその娘、愛子が長くこの地で暮らしていた場所だと思うと、『ブギウギ』ファンにはたまらない。
思えば『ブギウギ』はスター福来スズ子だけでなく、人間、福来スズ子を丹念に描いたドラマだった。モデルの笠置シズ子は吉本興行創業者の愛息、吉本頴右と恋に落ちエイ子という愛娘を授かったが、これをなぞるように、『ブギウギ』のスズ子は愛助(水上恒司)と運命的な恋をして愛子(小野美音・このか)を産む。一人の女性の抱いた愛情や、激しい想いも見事に描いた作品だった。
笠置シズ子の自伝『歌う自画像 私のブギウギ伝記』には、最愛の人、頴右と過ごした短い期間を振り返ってこんな言葉が書かれている。
私が一生のうちに、こんなに人の愛情に甘えたのはこの時期以外にはないでしょう。日本人にとっては最も世の中が悪い時でしたが、私にいわせれば「わが生涯の最良の年」だったのです。
『ブギウギ』でスズ子と愛助が暮らしたのは三鷹だったが、実際には同じ中央線にある荻窪だった。三軒茶屋にあったシズ子の家と、市ヶ谷の頴右が空襲にあってしまい、頴右の叔父で吉本興行の東京支社を任されていた林弘高が住んでいた荻窪に家を斡旋(あっせん)してもらったのだ。戦禍のなかでの激しい恋、そして、涙なくしては語れない最愛の人との悲しい別れ。さまざまな人生経験を経て落ち着いた安息の地は、笠置シズ子にとってどのように映っていただろう。
というのも実は、この「松陰神社前」の家は、笠置シズ子が頴右と暮らすことを想定して造った家だった。再び彼女の自伝から言葉を引かせてもらう。
間もなく帰ってくるエイスケさん(原文ママ)のために家の造作をすっかり新規なものに取り替え、床の間にはエイスケさんの賞玩する蕪村の掛け軸に南天の投げ入れをあしらって待っていました。大阪では多勢の奉公人がいて自由に振る舞えないでしょうから、ここでゆっくり寛いで貰おう。また向こうに帰るにしても、せめて出産までは是が非でも傍らに居て貰おう。そんなことを考えながら私は山内さんに頼んでお風呂好きなエイスケさんのために、風呂桶まで誂えたのです。
お腹に新しい命を宿しながら、愛する人が帰ってくることを待つ日々。ドラマでも切なく描かれたが、その舞台もこの世田谷の街だったとは驚いた。それから数十年にわたり笠置シズ子はこの邸宅で過ごすこととなるが、スズ子が娘の愛子をまさに「砂糖漬け」、甘やかして育てていた姿も、なんだか切なく思えてくる。
そんなことを考えながら、東急世田谷線の松陰神社前駅から世田谷駅までゆっくり歩いてみた。絵に描いたような閑静な住宅街。この街が、大スターにしてプライベートでは壮絶な人生を送った笠置シズ子の癒やしとなってくれたことを祈る。
時代を超えて鳴り響いたブギウギ。止まらないズキズキワクワク
この文章を書いているのは最終回の放送の2日前で、今、背後のテレビの中で福来スズ子が引退会見を開いている。ヒロインの頬を小さな涙が落ちていく。ドラマの中に出てくるこの愛らしい女性が、趣里という役者なのか、ドラマの主人公スズ子なのか、はたまた昭和のスター笠置シズ子の生き写しなのかいまだに判断がつかない。
筆者は今40歳で、笠置シズ子というとアニメ『ちびまるこちゃん』劇場版第一作『わたしの好きな歌』で登場した『買い物ブギ』のイメージだった。60代の母によると笠置シズ子は、歌謡番組『家族そろって歌合戦』の審査員をしていた記憶しかないという。そう考えると『ブギウギ』が描いた時代は、はるか昔。あらためて、昭和の歌姫を現代に見事に蘇らせた、そして新たなスター、福来スズ子を誕生させた『ブギウギ』に感謝したい気持ちでいっぱいになる。ズキズキワクワクしたくなったら、僕たちはきっと歌うことだろう。どこまでもまっすぐで情熱的な、スズ子のブギを。
文・写真=半澤則吉
参考文献=『歌う自画像 私のブギウギ伝記』(宝島社)/『連続テレビ小説ブギウギPart1.2』(NHK出版)