『漫画少年』への投稿がいまでもつながっている
- 鈴木
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寺田ヒロオさんに紹介されたんです。僕は長崎の生まれで、中村伊助先生というマンガ家を頼って上京して、しばらく中村家に居候していたんですね。そこへ寺さんから、トキワ荘の部屋が空いたから来ないか、とハガキをもらって。僕は『漫画少年』という雑誌に漫画を投稿していたんだけど、寺さんをはじめ、トキワ荘にいた藤本氏や、石森氏も赤塚氏もみんな投稿していたから、互いに名前を知ってるわけですよ。住所も載っていましたからね。
- 鈴木
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中学生のころから。僕は戦前、父の仕事の都合で満州(中国東北部)に行っててね。戦後、引き揚げて長崎に帰ってきたんだけど、おふくろはその疲れで病気になって、僕が看病していた。だから、ほとんど中学へはいかなかったんです。でも、おふくろは僕がマンガ好きなのを知って『漫画少年』『少年クラブ』『子供まんが新聞』を買ってくれてた。それがとてもありがたかったし、今につながってるんです。
4畳半一間の自分の城
- 鈴木
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部屋は4畳半でね。中村先生から譲ってもらった子供用の机と、小さな火鉢くらいしかなくてがらんとしてた。いきなりマンガで食べていけないから、昼は水道橋のデザイン会社で働いて、夜にマンガを描いてました。冬は寒くてね。外から帰ってくると熱いものを飲みたいから、藤本氏の部屋に行って、お茶もらったりして。
- 鈴木
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僕は料理ができなかったからね。水道は使ってもいいけど、ガスは有料だったし、お金がない。藤本氏なんか、ごはんの炊き方さえわからなくて百科事典かなにかで調べて炊いてました。電気釜なんてないですから。石森氏もまったく料理できなかったな。赤塚氏はけっこう器用で、ごはん炊いたり、キャベツ刻んだり。寺さんは僕らよりすこし年上だったから、いろいろつくってました。
- 鈴木
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しましたよ。場所は寺さんの部屋が多かったかな。サイダーに焼酎を入れた「チューダー」っていうのを作ってね。飲んだら騒ぐから、下の1階の住人から、ほうきでつつかれたよね。1階には誰も行ったことなかったけど、たぶんサラリーマンの人たちが住んでいたんじゃないでしょうか。
- 鈴木
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マンガ論議は……しなかったな。当時、トキワ荘の住人が中心で新漫画党というのをつくって、月に一回、誰かの部屋で会合を開いていたんだけど、そのときもマンガの話はそんなにしなくて、映画とか、読んだ本の話をしていました。夜になって、おなかがすいてくると『松葉』に出前を頼むんです。注文をとるのは、だいたい安孫子氏の役割でね。電話がないから店まで伝えにいく。このラーメンは、非常においしかった。あの素朴な醤油ラーメンが、おいしかったねえ。
- 鈴木
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僕はね、ラーメンだけじゃなくて麺類が好き。うどんもそばもパスタも好きですよ。そういう“ひも”みたいなものが好き。ラーメンだと、昔ながらの醤油ラーメンがいいね。
脚注 | 寺田ヒロオさん 『漫画少年』 藤本氏 石森氏 赤塚氏 新漫画党 『松葉』 安孫子氏 |
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取材・文=屋敷直子 撮影=加藤昌人
『散歩の達人』2020年5月号に全文掲載