路地を“ちょっと”入った先の町中華
厨房から、中華鍋で豚肉を炒める威勢のいい音が聞こえてきた。やがて、鍋にたっぷりのもやしが加わり、さらに調味料が追加されて、みるみるうちに名物・もやしそばの餡ができあがっていく。
「開業前に勤めていた店で作られたもやしそばを受け継いだ形です。当時から味はほとんど変わらないですね」と話してくれたのは、店主・大塚貞夫さん。修業を経て25歳で『一寸亭』をオープン、それから半世紀もの間この店の厨房に立ち続けている。
開業時は現在の場所の斜向かいに店があり、4坪ほどでカウンター席のみの小さな店だった。それが、店名の由来のひとつでもある。
「小さな店だということと、商店街から“ちょっと”入ったところにあるということ、あとは気楽に“ちょっと”寄っていってください、ということで『一寸亭』にしたんです」。
シンプルで潔い、熱々の一杯
さあ、もやしそばがやってきた。「なみなみ」という表現がこれほど似合う一杯があるだろうか。艶のあるたっぷりの餡が一面に広がり、そこからもうもうと湯気が立ち上る。見ての通り、具材はもやしと豚肉のみだ。
アチチ!となりながら口に運ぶと、もやしの程よいシャキシャキ感と醤油のコクのある餡が絶妙なバランス。餡の厚い層をかきわけて現れる中細の麺は『浅草開化楼』のものを使っているそうで、つるんとした舌触りが餡のとろみとよく合う。
「特別なことはしていないんですよ。鶏ガラと野菜と豚骨のスープで極々シンプル」。この味を求めて、週に2〜3回来店する方もいるという。「よく飽きないなと思いますけどね」と大塚さんは笑うが、すぐまた食べたくなる気持ちがよくわかる。もやしだらけの見た目こそ初見は驚くものの、奇をてらっていない潔さがあるからこそ、中毒性があって飽きが来ないのかもしれない。
「閉めないで」というお客さんの声で
コロナ禍を機に、一時休業していた時期もある『一寸亭』。実は、そのまま店をたたむことも考えていたという。
「でも、お客さんから閉めないでって言われたんです。もやしそばだけでもいいから続けてほしい、って」。
常連さんの熱烈な声に応え、営業時間とメニューを限定する形で再開。休業前のメニューは100種類近くあったが、2023年9月現在はもやしそばのほか数点に絞っている。営業日は平日のみ、祝日は営業することが多いが日によるそうで、その予定はSNS(@chottotei_1973)でお知らせしている。ちなみに、SNSは小学生のお孫さんが投稿してくれているのだとか。
小学生といえば、50年間通い続けているお客さんもいるそうで、開業当初は小学生だった人が今は自分の子供を連れてきてくれるそう。そんなエピソードを聞くと、50年続いていることの凄さを改めて実感する。テレビや雑誌に引っ張りだこの注目店というイメージも強いかもしれないが、なによりも地元客や常連客に長く愛され、一緒に歩んできた店なのだ。
「遠くから通ってくれる方もいて、ありがたいです」と大塚さん。熱々のもやしそばのようにいつまでも冷めず、長く長く愛されてきた店。これからも末長く続いてほしいと願わずにはいられない。
『一寸亭』店舗詳細
取材・文・撮影=中村こより