〝俺たちの兄ちゃん〟が〝大御所〟へと変わっていくと……

とんねるずは悪ノリしたまま30年以上勝ち続けた。芸能界の頂点に立った。しかしオールナイトニッポンが終わり、〝俺たちの兄ちゃん〟が〝大御所 〟へと変わっていくと、テレビでふたりを観る機会が減っていった。

たけしが監督作品の宣伝のために「食わず嫌い王決定戦」に出るというので久しぶりにチェックすると、貴明の独特の喋りにどうにもならない古さを感じた。

そして2018年、フジテレビの失墜とともに『みなさんのおかげでした』が終了した。最終回は散々な視聴率だった。『いいとも!』が華やかなグランドフィナーレで、惜しまれつつ千秋楽を迎えたのとは大違いだった。

コンプライアンスの名の下に、とんねるずの芸風は世間からパワハラ芸と認定された。先輩風を吹かして後輩をイジメる芸風は、横暴な上司と部下のそれに重ねられた。「男気じゃんけん」という、じゃんけんで勝ち抜くと高価で不要なものを自腹で買わなければならないコーナーが典型だ。保毛尾田保毛男(モデルは井上陽水)を今さら復活させたときも当事者たちは鈍感だった。ゲイを物笑いにするという、現代的観点では許されないことがわかっていなかった。

セクハラ芸も酷かった。むかしこんな回があった。みんなが見ている前で若い女性タレントを押し倒す。タレントが泣きじゃくり、ようやく解放する。「本当にされるかと思った~」。その様子を男たちはニヤニヤしながら見る。その中に、一視聴者の自分もいた。苦い感情に襲われる。すべて事後法で裁いてはいけない。特にお笑いはと知りつつも。

でもみんなとんねるずが大好きだった。とんねるずを見て育った。大きな影響を受けた。なのにいったいいつから人はとんねるずが好きだった過去を隠すようになったのか。断言できる。ダウンタウンが現れたからだ。「とんねるずとダウンタウンは仲が悪い」と人々は勝手に思い込んでいるが、それはダウンタウンがコンビのお笑いの価値観を刷新したことで、とんねるずをパージしたと潜在的に知っているからだ(もうひとつ大きな原因があるが憶測の域を出ないのでここでは書かない)。

松本人志は関東で生まれ育った人の日常会話に関西弁を導入させ、吉本興業を官民ファンドから100億円もの公金が投入される巨大企業へと躍進させた。天下人である松本にとって、レギュラーの看板番組が無くなったとんねるずはどう映るだろうか。本来ならここでとんねるずの逆襲に期待したいところだが、残念ながら人生で初の坂道を下りている彼らにそのちからは残っていない。

東京のお笑いは負けたのだろうか。改めて考える。ダウンタウンがいなかったら、とんねるずは延命していたか。そんなことはない。とんねるずはたけしのように勉強し続け、新しい自分にアップトゥデイトすることを怠ってきた。松本だってそうだ。研鑽された叡智より直感を頼りにここまで上り詰めてきたが、映画監督作品で底の浅さがバレた。『ワイドナショー』とツイッターで無知が曝け出され、裸の王様ぶりを露呈している。時代との微妙なズレを感じる。それでも当分の間、ダウンタウンの首を狩る者は現れないだろう。

とんねるずは最高に面白かった。ダウンタウン然り。かつての兄貴分と現在の王様。しかし2組とも、僕にとっては過去形でしか語れない。

『散歩の達人』2020年1月号より イラスト=サカモトトシカズ