Forgotten Olympic legacy《忘却のオリンピック遺産》
Forgotten Olympic legacy《忘却のオリンピック遺産》

墨田区の川沿いの空き地に太いコンクリートの柱がぽつんと立っていました。八角柱の正面側に大きく「東京オリンピッ」(クは消失)と書かれているので、もしや第二次世界大戦で中止になったという昭和15年(1940年)の幻の東京オリンピック当時の遺構か!と心がどよめきましたが、近寄ってよく見ると旧仮名旧漢字は使われていないので、昭和39年(1964年)の東京オリンピックの時のものに違いありません。右の方に残された「国旗掲」の文字から国旗掲揚台のようなものだったことが推測できます。

しかし、だとすると丹下健三設計の代々木競技場と同い年なのでしょうか。あちらが最近改修工事を経て、美しいフォルムとともに今も渋谷の丘の上に鎮座しているのに比べると、こちらはかなりやつれています。物理的な劣化以上に人々から忘れ去られてしまったことが風化を進めてしまったようです。

Showing no flags《旗のあった場所》
Showing no flags《旗のあった場所》

同じ界隈でよく似た形状のコンクリート柱を見つけましたが、タイルの貼り方と書かれた文言が違います。

うっすらと読める文字を辿っていくと「皇太子殿下 御成婚記念 国旗掲揚塔」と書かれています。皇太子と聞いて真っ先に思い浮かぶ顔は世代によって違うものですが、これは継宮明仁親王(現上皇)のことでしょう。結婚は昭和34年(1959年)のことですから、東京オリンピックよりさらに5年も古いことになります。

想像ですがこの近隣では町内会や商店会ごとにお金を集めてこうした国旗掲揚塔を競って作ったのではないでしょうか。

そういえば祝日やお祝いのしるしに掲げた日の丸だけでなく、運動会の万国旗も最近は見なくなりました。旗が風になびく光景はもはやノスタルジーに近いように思います。

Post no bills《張り紙禁止》
Post no bills《張り紙禁止》

途切れた文字は「張り紙禁止」と書いてあったのでしょう。JR中央線の神田駅と御茶ノ水駅の間、万世橋近くの高架下で見つけました。

鉄道の好きな方ならご存知だと思いますが、明治時代この近くに中央線の始発駅の昌平橋駅があり、明治45年(1912年)にはその東に新しいターミナルとして万世橋駅が開業。昭和18年(1943年)にさらに延伸されて神田駅と近隣に秋葉原駅ができたことで万世橋駅は廃止となり、駅舎は平成18年(2006年)まで「交通博物館」として活用されました。

この年季の入ったレンガ壁はもしかしたら万世橋駅開業当時の明治末期のものなのかもしれませんが、「張り紙禁止」の文字はもう少し若そうです。白い塗料の文字は撥ねや止めに勢いがあってなかなか書き慣れた印象ですが、いわゆる看板屋さんの文字とは違う気がするので、もしかしたら管轄の旧国鉄職員の誰かの筆なのではないかという想像も膨らみます。

Rusty and nasty《サビててエグい》
Rusty and nasty《サビててエグい》

雑司ヶ谷鬼子母神の参道、大門ケヤキ並木にある看板です。赤錆の具合がじつに「寂び」の境地そのものですが、今風の見方だとかなり「エグい」感じもします(どちらにしても褒めてるつもりです)。

「この花壇の前は駐停車禁止」と書かれていたのがかろうじて読み取れますが一体いつのものでしょう。年代特定は難しそうですが、いくつかヒントも隠されています。

まず、新仮名遣いなので戦後のものであることは確実です。

そして、フレームの四隅にさりげなくアール処理が施されている感じから見た目のわりには新しそう。この加工は古くても昭和35年(1960年)以降という気がします。

注目すべきは板を柱に留めているねじの頭です。今ならこうした取り付けはプラスねじが主流ですがこれはマイナス型。日本では1950年代にプラス型ドライバーが登場して60年代に普及するまではマイナスねじしかなかったはずなので、若くても昭和45年(1970年)頃のものではないかと推定しますがいかがでしょう。

さて、鬼子母神名物の郷土玩具すすきみみずくでも買って帰りましょうか。

文・写真=楠見 清