『丸健水産』は、私の“酒場の流儀”がルール化されたような酒場だ。
お酒は一人一本のみ。
二軒目の酔客はお断り。
席(立ち飲み)につく前にオーダーを完了。
写真撮影はお店の許可を得てから。
もちろん、私も全てのルールを守った上で、行列に並んでいる。

ついに私の順番が回ってきた。
湯気の中で「選んでくれ」を言わんばかりに顔を出すおでんの前に立つと、あれこれと食べたくなって目移りしてしまう。
何故だ?何が食べたいか決められない。
できることなら全部食べたい。
私は優柔不断ぶりを悟られまいと、いたって冷静なふりをして「おでんセット」を頼んだ。
おでん5種と好きなドリンク1本がセットになったお得なメニュー。
おでん種は何が入るかは、神とスタッフのおばちゃんのみぞ知る。

『丸健水産』には、「お酒は一人一本」というルールがある。
「おでんセット」のドリンクで、何を選ぶかも重要だ。
樽生ビールはないが、缶ビールはある。
しかし私は、「丸眞正宗 Maru CUP」の“常温”を選んだ。
暑い日が多くなってきたこの季節、“冷”を飲みたい気持ちもあった。
しかし、ここで“常温”を選ぶのには理由がある。
その理由については、後で述べるとしよう。
「丸眞正宗 Maru CUP」は、ライトな口当たりとキレのある辛口が特徴。
米の旨味もあり、おでんを肴に飲むにはベストチョイスだ。
その他ドリンクの誘惑に負けず、「丸眞正宗 Maru CUP」を選んだ自分を自分で誉めたい。

おでんが一つ一つ、器に盛られていく様子には一喜一憂した。
最初は「大根」。
出汁が染み染みの「大根」は、個人的に「はんぺん」と双璧をなす“キング・オブ・おでん種”だ。
次に「紅しょうが」。
さつま揚げ類は『丸健水産』の定番だし、揚げたてなんて嬉しいじゃないか。
続いて「昆布」。
脇役に徹しがちだが、十分主役をはれる存在感。
そして「ちくわぶ」。
言わずと知れたおでん業界における“関東の雄”。
モチモチ食感で、からしを付けすぎてツーンとするまでがルーティーン。
最後に「たまご」。
私がおでんを食べるとき、最後は必ず「たまご」で〆る。
黄身が溶け込んだ出汁を、最後に飲み干したときの満足感がたまらない。
これが私の“おでんの流儀”だ。

気がつけば「丸眞正宗 Maru CUP」も残り50cc。
いつもなら「追加オーダーをしろ!」というバッカスの指令が聞こえてきそうな状況だ。
しかしここは『丸健水産』。
“お酒は一人一本”がルール。
お偉いさんが決めたルールは破ることがあっても、自分と酒場のルールは守る。
それが私の“男の流儀”だ。

季節を問わず、『丸健水産』では「丸眞正宗 Maru CUP」の“常温”を頼むお客さんは多い。
その理由が「だし割り」だ。
50cc残した「丸眞正宗 Maru CUP」に、おでんの出汁を注ぐ。
仕上げにふられた七味唐辛子が、グルグルと回りながらゆっくりと沈んでいく様が美しい。
熱々の出汁が注がれることで、当然「丸眞正宗 Maru CUP」の温度も上がる。
飲めば、まるで恋をしたときのように、胸のあたりがじんわり熱くなる。

夢のような時間は、あっという間に過ぎ去ってしまう。
コロナ禍の『丸健水産』では、20分一本勝負が基本。
郷に入っては郷に従え。酒場に入れば酒場に従え。
そもそも、私の“酒場の流儀”に従えば、一人で飲む酒場に長居は無用だ。

制限時間までは残り5分。
隣のテーブルを片付けているスタッフのおばちゃんに、私はどうしても聞いてみたかった質問を投げかけてみた。

「あの~、これってお代わりとかできたりするんですか?」
「ごめんなさいね。お酒は一人一本がルールなので。」

おばちゃんは優しい笑顔でこう答えた。

大丈夫。聞いてみただけ。聞いてみただけだから。
仮におかわりできたとしても、ルールを守り、この一杯で帰るつもりだったから。
私はカップの底に残った七味唐辛子入りの「だし割り」と、たまごの黄身が溶けた出汁を、静かに飲み干した。