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特集上映『終戦80年 映画で振り返る――「戦後」を生きるということ』
監督・出演者・テーマなど様々な角度から作品にスポットを当て、古き良き日本映画をフィルムで上映する、本の街の名画座・神保町シアター。今回は、終戦80年の節目に合わせ、日常の暮らしの中に「戦争の爪痕」があったころを映画で振り返る特集上映です。
1945年8月の終戦から、今年で80年――。
小津安二郎監督『長屋紳士録』は、戦災孤児の世話をすることになった長屋の住人たちの戸惑いをユーモア交じりに描いた群像劇です。沢島忠監督『おかしな奴』は、戦時下の混乱の中で芸人として生き抜いた落語家・三代目三遊亭歌笑の半生記。
――復員兵、戦災孤児、闇市、戦争未亡人… 映画で描かれてきた「戦後」の物語を紐解くと、多くの人が戦争によって運命を狂わされ、悲しみと混乱の中で懸命に生きてきたことがわかります。
今回は、「戦争」をテーマにした映画の上映ではなく、戦中・戦後に庶民の身に起きた日常的な出来事を描いた作品を上映し、生活の身近な場所に潜む戦争の傷跡に目を向けてみようという企画です。
――80年目の夏、映画を通して「戦後」を振り返ってみませんか。
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《特集上映》
終戦80年
映画で振り返る――「戦後」を生きるということ
2025年7月19日(土) ~ 8月15日(金)
神保町シアター
(千代田区神田神保町1-23 TEL.03-5281-5132)
入場料金=一般1400円、シニア1200円、学生1000円
*8月5日(火) は、設備点検のため休館します
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神保町シアター ホームページ
https://www.shogakukan.co.jp/jinbocho-theater/
「終戦80年」特集上映ページはこちら
https://www.shogakukan.co.jp/jinbocho-theater/program/shusen80.html
【主な上映作品】
おかしな奴
1963(昭和38)年
監督=沢島忠
出演=渥美清、三田佳子、南田洋子
悲しき口笛
1949(昭和24)年
監督=家城巳代治 原作=竹田敏彦
出演=美空ひばり、原保美、津島恵子
煙突の見える場所
1953(昭和28)年
監督=五所平之助 原作=椎名鱗三
出演=田中絹代、高峰秀子、上原謙
東京市街戦
1967(昭和42)年
監督=西村昭五郎 原作=戸川幸夫
出演=渡哲也、松原智恵子、藤竜也
東京物語
1953(昭和28)年
監督=小津安二郎
出演=笠智衆、原節子、東山千栄子
浮雲
1955(昭和30)年
監督=成瀬巳喜男 原作=林芙美子
出演=高峰秀子、森雅之、岡田茉莉子
長屋紳士録
1947(昭和22)年
監督=小津安二郎
出演=飯田蝶子、青木放屁、吉川満子
蜂の巣の子供たち
1948(昭和23)年
監督=清水宏
出演=島村俊作、夏木雅子、久保田晋一郎
本日休診
1952(昭和27)年
監督=渋谷実 原作=井伏鱒二
出演=柳永二郎、淡島千景、三國連太郎
秋津温泉
1962(昭和37)年
監督=吉田喜重 原作=藤原審爾
出演=岡田茉莉子、長門裕之、宇野重吉
ほか、全16作品
◎全上映作品、および上映スケジュール等は、劇場ホームページでご確認ください。
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更新日:2025.07.11
【神保町シアター】終戦80年をテーマにした特集上映 ――小津安二郎、成瀬巳喜男ら日本を代表する名監督たちが描いた「戦後」を生きるということ 7/19(土)より
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