松重豊
1963年1月19日生まれ。福岡県出身(長崎県生まれ)。大学卒業と同時に蜷川幸雄主宰の「GEKISYA NINAGAWA STUDIO」に入団し、演劇活動を始める。以降、映画、ドラマなど幅広く活躍中。
甲本ヒロト
1963年3月17日生まれ。岡山県出身。1987年、THE BLUE HEARTSのボーカルとしてメジャーデビュー。1995年の解散後はTHE HIGH-LOWSを経て、ザ・クロマニヨンズで精力的に活動。
あの頃の下北界隈は今とはちょっと違うエネルギーが渦巻いていた
松重 今日はわざわざありがとね。
ヒロト 何がありがとうなの(笑)。
松重 しかし40年だってよ。あっという間だったな。
ヒロト 長生きしたな。
松重 長生きした。この店がまた全然変わらないから。
ヒロト 変わらない。この机とかこれぐらい汚れとったもん。
松重 あの酒の小瓶も掛け軸も当時とまったく同じ。なんにも更新されていないよ。
ヒロト タイムカプセルだね、ここは。
松重 同じ日に働き出したんだよな。大学の同級生がヒロトと岡山でバンドをやってて、そいつの紹介でこの店に来た最初の日、下(1階)で会ったんだ。
ヒロト 白衣着てな(笑)。
松重 そうそう。ヒロトがバンドやっているのは知ってたから、8㎜でヒロトを主役にした映画を撮ったら面白そうだなっていうのは、前々から頭の中にあったんだよ。
ヒロト 変な話(笑)。俺は東京に来た理由がおもろいやつに会いたかったから。で、漠然と音楽……いや、音楽というよりロックンロールという得体のしれない何かをやってみたいんだけど、めっちゃおもろい仲間にも会いたくて。東京に行けば会えるんじゃないかって期待があったの。そのときにこの店で豊に会って。「うわ、ほれ見ろ。おもろいやつおるじゃん」と思ったよ。デカいし(笑)。
松重 昔からデカいからね(笑)。まぁ、でもあの頃の下北界隈(かいわい)は今とはちょっと違うエネルギーが渦巻いていたところがあって、そこに集まってきた人間が、音楽とか映画とかで「ちょっと面白いもの見せつけてやろうぜ」というパワーにあふれていたというかね。
ヒロト いろんな人がおった。なんやろな、あの空気な。
松重 面白かったなぁ。有象無象だらけなんだけど、これから世の中を大きく動かしていくんじゃないかって人たちがいて、そのトップランナーがヒロトだったよ。
ヒロト よく言うわ(笑)。俺は、なんかヘンな役回りというか、運の巡り合わせで人よりちょっと早かっただけよ。
松重 ヒロトがぱーっとトップランナーで先頭を切って行ってくれたんだ。俺は畑が違うけども、こうやって世の中に認められて、若い人たちに支持されていく姿が、俺らの中では最大の目標になっていたし。そこまで行くには俺はもう30年ぐらいかかるんだけど、その間もずっとヒロトが音楽シーンの最前線で頑張ってくれていたことが、常に心の支えにはなっていたんだよ。
ヒロト うん、そうなのか(笑)。
松重 そうだよ。たまに会っても、そういうことは言わんけど、やっぱり、ね。
ヒロト 豊とは仲良くなるのも早かったもんね。なんだろうな。吉祥寺やなんやら、いろんなとこ、ぶらぶらしたよな。
松重 ライブハウスとかも連れて行ってくれたよな。
ヒロト 俺は豊をライブハウスに連れて行くし、豊は俺を演劇の場に連れて行ってくれる。
松重 芝居出たもんな。「ヒロト出てくれ」って言って。「タイニイアリス」って劇場だよ。今はなくなっちゃったけど。
ヒロト 俺、エチュード(即興劇)やらされたもんね。もうちょっとやってたら白塗りに裸で踊るところだった(笑)。
松重 そうそう。なんかね、今でいうメディアミックスじゃないけど、ヒロトと一緒に何かやりたかったんだろうね。
ヒロト 豊は豊で、俺らのバンドで歌ってもらったもんね。
松重 今の感覚でいえば「へ〜!」って驚くようなことかもしれないけど、当時はそれがなんてことない。若僧の、若気の至りの範疇(はんちゅう)だよね。
ヒロト 大人になると、だんだん塀ができるよな。垣根がな。
松重 当時はなかった。無茶苦茶だったよ。
ヒロト 服も着とらん感じやったもんね。
松重 ライブ行く時、ヒロトが「こんなシャツ、着ていくんじゃねえ」言うて服をビリビリに破るの。それを安全ピンで止めてな。
ヒロト あったな。おれは元から破れているからええけど、無茶苦茶やったな(笑)。
松重 あの当時は時給600円だったかな。『珉亭』は完全日当制だったから、松川さんが白衣の中に日給をパッと入れてくれてな。
ヒロト 洗い物しよるとポケットの中でガサガサ音がしてふっと見るとお札が入ってる。6時間働いて3600円。ちょっと色付けてくれて4000円とか入るから。
松重 「ラッキー」ってね。で、終わったらみんなで隣の「寿湯」に行く。店に帰ると、その日の売り上げがいいとビールが出た。
ヒロト でも大抵出た(笑)。風呂上がりに飲んで、ああだこうだ話したら、日当握りしめてその辺の安い店に飲みに行くんだ。
松重 この辺は全部安かったからね。
やろうとしていることも、やってることも変わらない
ヒロト しかし、壁のサインが増えたよな。
松重 増えたな。うん。俺らがいた頃で知っているのは、もうあんまない。40年前だからね。ただ、怖いのは40年前の20代そこそこのバイトのヒロトと豊っていうやつらが、大人になった今の俺たちを見た時に「おまえらカッコ悪いな」って殴られるんじゃないかってことだな。
ヒロト 狩られるぞ(笑)。
松重 あの当時、俺らが見ていた鮎川誠さんみたいな存在になれているかどうかが、俺らにとっての下北沢に来る意味のような気がするんだよ。あの頃の尺度で見て、生きているその姿が、どう映るのか。危機感としていつも持っているよね。
ヒロト まぁ、大事よ。でも40年経っても、俺と豊の関係性はなんも変わらんけどね。
松重 やろうとしていることも、やっていることも現在進行形で何も変わらない。
ヒロト 覚えとるか。豊と初めて会ったとき「なにしに東京来たん?」って聞いたら「映画を撮りたい」って、言ったよな。で、俺は「バンドやりたいんよ」って言ったのよ。別に「金持ちになりたい」とも「モテたい」とも言わんかった。「映画を撮りたい」って言った。だから、夢はもう、ずっと叶かなってるんだよね。成功って、よく言うじゃない。金持ちになることが成功だと思ってないし。毎日バンドやれていること。豊はお芝居やったり、演劇に携わったり。あれがもう成功だよな。あれしに来たんよ、俺ら。いまだにやっとるって、それだけのことよ。なんも変わらん。
松重 そうやってバイトしていたヒロトと40年後に一緒に作品を作れるなんて夢にも思わなかった。映画をやると決まったとき、どうしても主題歌はヒロトに書いてほしくてラブレターを出した。あの頃、この店でまかないにありつくまでの「腹減った」っていう共通の記憶が絶対にあるので、そういう歌にしたかった。あと曲は、ボ・ディドリー風が良かったのよ。
ヒロト 「ボ・ディドリー・ビートをどっかに入れてくれ」って豊が言うから、最初イントロだけ入れてバンドでやってみたら全編ボ・ディドリーになった(笑)。
松重 ジャンッジャンッジャンッ、ジャジャンッジャンッ、っていうジャングルビートで、バーッと映画が始まったら、メチャクチャカッコいいだろうと思ってね。だけど、デモをもらった時は震えたよ。
ヒロト 俺も「ええのできた〜」と思ったよ(笑)。
松重 すごかった。次の日に現場でみんなに聴かせたら「すげ〜!」て、全員モチベーションが上がってね。最っ高の曲を作ってくれたよ。これにどんな画を合わせるかで、五島の海をドーンっと空撮して当てたら、別次元のところに連れていくようなオープニングになった。しめしめって感じ(笑)。
ヒロト それは楽しみだね。
松重 考えてみれば20代の頃に映画を撮りたいと思ったけど挫折して、40年経ってみたら、結局やりたいことって20代の頃にやっていた思いとかが、今回の台本にも投影されているんだよね。ホラ、あのときも島に行ったじゃん。
ヒロト 行ったな。船乗って海を渡ったわ。島のキレイな緑が撮れとった。
松重 そういうものがつながるというかね。やりたかったことだったんだなって。
ヒロト いろんなとこロケしたな。
松重 うん。金もないから福岡まで24時間以上かけて各駅停車で行ったこともあった。
ヒロト 夜11時ぐらいに電車乗って大垣で朝6時ぐらいに乗り換えるんだけど、ホームの水道で顔だけ洗って目を覚ましてな。
松重 バカだよね。でもヒロトとずっとしゃべってたから全然眠くならなかったんだよ。無限に続いてもいいと思える時間だった。
ヒロト 荷物もほとんど持たないでな。濃い時間だった。
松重 その時から40年越しのコラボレーションだよ。ヒロトには今回、最大の援護射撃をしてもらった。見ているお客さんの心に飛び込むことはもう間違いない。そこを出発点として、映画を含めて楽しんでもらいたいよ。ヒロトとの40年の付き合いを利用したって思われず「ああ、なんかいいコラボレーションだったな」と、思ってもらえればうれしいよね。
ヒロト 俺はもともと『孤独のグルメ』という番組の大ファンだからね。俺、いろんなところで「あれはええぞ」って熱弁しとった。たぶん俺が言ったから人気になったんだぞ(笑)。だから、そんな作品にいっちょ噛(か)めただけ、やった〜だよ。そして、豊の人生、誰かの人生の中のひとコマに、俺がちゃんといられたこと。そのことが、すごく誇りです、はい。
『劇映画 孤独のグルメ』 2025年1月10日(金)全国公開
人気ドラマ『孤独のグルメ』が、テレビ東京開局60周年特別企画として、井之頭五郎を演じてきた松重豊初の監督・脚本で劇映画化。フランス・韓国・日本の3カ国で撮影を敢行。観れば「幸福に空腹」に誘われること、間違いなし。
監督:松重豊 脚本:松重豊 田口佳宏
出演:松重豊 内田有紀 磯村勇斗 杏 オダギリジョー ほか
主題歌:ザ・クロマニヨンズ「空腹と俺」
配給:東宝
珉亭
辛白菜(キムチ風のお新香)などが乗った江戸っ子ラーメン880円と、ピンクの色味が特徴的なチャーハン935円が看板メニュー。名だたる老舗が閉店していくなか、変わらず営業を続ける貴重なお店。
構成=村瀬秀信 撮影=高橋ヨーコ
『散歩の達人』2025年1月号より一部抜粋して再構成
ヘアメイク=高橋郁美(松重豊) スタイリスト=増井芳江(松重豊)
松重 豊:白Tシャツ1万4300円、ニットカーディガン5万6100円、デニムパンツ3万9600円(すべてsuzuki takayuki)、メガネ(武田メガネ/参考商品)