ライブハウス工事中の出会い。地元町田『まほろ座』の仲間に入る
JR町田駅の駅前にあるライブレストラン『まほろ座』。おいしい料理を食べながら音楽をゆっくり楽しめる大人な空間としてオープン以来、親しまれてきた。実はこの6月(2023年)まで2カ月のリフレッシュ期間を取っていたが、どのようなきっかけがあったのだろう。
「5〜6月は機材の更新、新しい仲間の募集期間にしたかったということもあり、お休みをいただいていたんです。また、これまで成り行きで作ってきたシステムもたくさんあった。それらを見直す必要性も感じていました。9月でもう8周年になるんですよね。2015年、僕が入ったときはライブハウスが作られている最中でした。知り合いがこの店の立ち上げをやっていて『今、町田のライブハウスを作っているんだけど、誰か紹介してくれないか』と相談があったんですよ。『誰かっていうか僕が興味あります!』とすぐ手を挙げて、それで仲間に入れてもらえた。町田が地元で、キンモクセイというバンドをやっていたこともあり、素性もはっきりしていて(笑)。それでオーナーにも信用してもらえたのかなと思います」
「オーナーはこの場所で、とにかく面白いことがしたいとおっしゃっていました。人と人とが集える場所、3世代で集まれるところにしたい。そんな想いから、このライブレストランが始まったんです。もちろん、ライブハウスなんて儲かるわけはないからやめたほうがいいという声が多数だったそうですが、それを押し切り人が集まる前に工事を始めちゃったらしいんですよね。僕が参加したのは、まさにその工事中の時期でした」
ごちゃ混ぜ、なんでもありというスタイルは早くに確立
8年という歴史を築いてきたが、このライブハウスの魅力は実に多彩なアーティストやグループが出演しているところにある。このスタイルはどのようにできあがったのだろう?
「実はオープン当初からブッキングのスタンスは変わってはないんです。落ち着いた雰囲気なので、普通に考えたらジャズなど大人な音楽が中心になるとは思うんですね。ただ当時はスタンディングのライブハウス出身の人もブッキングをやっていて、僕の同世代とか下北のライブハウスに出るようなアーティストもよく出ていました。あとはオーナーのつながりで、フラメンコやシャンソンは恒例となり今も続いています。それらがごちゃ混ぜ状態でスタートして、とりあえずNGはなしでいこうという感じでしたね。僕もブッキングの仕事がここで初めてだったんで、活かせるとしたら人脈しかない。そのなかで、ジャンルを狭めてしまうと苦しくなるとも思ったので、なんでもありでまずはやってみようという気持ちでした」
これらの音楽に加えて、ミュージカルや落語となんでもやるハコである『まほろ座』。その独特の立ち位置は偶然生まれたものだが、営業開始当初から今に至るまで大きく変わっていないようだ
「そもそものコンセプトは『人が集える場所』。いろいろな世代が集まってやれるというのがこのライブハウスの特徴です。国民的アーティストから地元のおやじバンドまで出られる場所なんですよね。これまでも加藤登紀子さん、はっぴいえんどの鈴木茂さん、THE BOOMの宮沢和史さんたち、錚々(そうそう)たる面々に出演いただいています。そういった有名な方も出ていただけているので、『あのアーティストが出たステージに自分たちも立てる』という気持ちで来てくれる人もいる。そういうところがやっぱりいいなとは思っています。今も、ジャンルなどを絞ったほうがいいのかという葛藤はあるんですけれど」
この「なんでもあり」のスタイルは新たな音楽カルチャーも生み出すことになった。アイドルイベントもこのハコではおなじみだ。
「今はアイドルイベントもあるんですが、実は積極的にやり始めたというわけではなかったんです。僕が『まほろ座』に入る前にミュージシャンの石田ショーキチさんとプロデュースしたご当地アイドルがいたんです。『まほろ座』ができたのは、そのグループが解散して『まちだガールズ・クワイア』として再編成したという時期でした。当初は場数を踏んでもらう意味で、お試しで出てもらったんですよ。そしたら、そのアイドルはまったくお客さんいない状態からここで育って、町田最大規模の町田市民ホールのライブまでいった。夢を見させていただいたという感じでうれしかったですね」
コロナ禍のときに始めた配信が、『まほろ座』の新たなストロングポイントに
2015年にスタートした『まほろ座』も2020年にはコロナ禍に巻き込まれてしまう。当時のことを佐々木さんはこう振り返る。
「まだコロナ禍が終わったというわけではないですが、当時は本当に記憶があるようなないような、大変な時期でした。コロナ対策などやることは増えるけれどお金は入らない。一番最初に槍玉にあがってしまったのがライブハウスで、本当に敏感にもなりましたね。もともと座り席で80人だったのが、コロナ禍のときは35人とか、そのくらいのキャパシティになってしまいましたが、それすらも埋まらない日もありましたからね」
「そんななか、いち早くライブ配信をやっていこうということに。たまたまアルバイトのスタッフが映像の学校に行っていて、その人が配信の知識に強かったんですよ。配信を広げていくなかでも良い仲間にも巡り合ってアーティストにも気に入ってもらえて。今はアーティストの外の公演に映像チームとして入ってくれないかというお声がけもいただけるようになりました。いまだに時々、そういう映像関連のお仕事はいただいていますね。こないだも鈴木茂さんのホール公演の現場にうかがったんですよ」
コロナ禍だから生まれたチャレンジで、新しい仕事のフィールドを開拓するとはなんとも素晴らしい。ほかにも「配信」のメリットはあったと佐々木さんは続ける。
「『まほろ座』はキャパが限られているので、配信は新しい強みになりました。ライブを生で見る人はもちろん特別感が生まれるし、それに加えて配信で多くの方に見ていただけるという状況が生まれたことで、出演アーティストの幅も広がった。座り席で80人くらいのキャパしかないので、もったいなさすぎる、プレミアすぎるというステージもあったんですよね。配信も一緒にできるようになったのは結果良かったと思います」
ライブレストランという誇り、そしてスタッフへの想い
コロナ禍を経て、今後の『まほろ座』についても伺うと佐々木さんは熱っぽく、このように語ってくれた。
「“普通にやりたい”という気持ちが一番ですね。一時期は料理も出せない状況でした。ならば料理もいっそやめてしまって、場所貸しに振り切ろうと思った時期もあったんです。でもその後、ちゃんと料理も提供できるようになったときに、やっぱりこれだって、『まほろ座』はこれだよなって、そう思えたときがあって、泣きそうになりましたね。楽しい雰囲気のなか音楽を聴けて料理も食べられるのが「まほろ座」なんだと改めて思い知らされました。ライブレストランでこのキャパシティって、採算を取るのがかなり大変なんですよ。もっと大きなライブハウスはあるわけですが、『まほろ座』のこのキャパだからこそできる、このサイズ感の需要ってものはあるんじゃないかなと思って頑張っています」
また、働くスタッフへの想いも佐々木さんはこう話す。そこには、店長としての親心も感じ聞いているだけでジーンときてしまった。
「働いているスタッフには、音楽をやっているとか昔やっていたという子が多いんです。『まほろ座』ではほかのアルバイトでは経験できないことがあると思うんで、それを学んで通り過ぎて行ってもらいたいなと思っています。ここにいるうちに他ではなかなか体験できないことを体験して次のステップに進むときに、一個でいいから人に言えることを何か持って帰ってもらいたいなと。アルバイトの人にもカメラを触ってもらったり、スイッチングもやってもらったり、舞台のスタッフなどもお願いしています」
現役アーティストとして店を経営するからこそ見えてきたもの
佐々木さんの言葉を聞くと、ライブハウスは「観る場所」、「演じる場所」でありながら「働く場所」でもあるということを改めて感じる。では、ミュージシャンの目線ではどうだろう? 演者として他のライブハウスに行くことも多い佐々木さんはライブハウスで働くことの面白みをこうも話す。
「アーティストとして出演すると、スタッフにこうしてもらえるとありがたいとか、そういうところに気づけるようになりました。『まほろ座』にもうまく反映していきたいですね。ハコの人間ってこう思ってたんだ、みたいな気づきも多くて面白いんですよ。例えば入り時間とかね。決められた時間よりも早めに来た方が真面目というイメージがありますが、ハコ側としては入り時間に合わせて準備しているので、早く来てもらうと逆に困っちゃう(笑)。細かいですが、そうだったんだ! と思うことがけっこうありましたね。この時間にこういう仕事こなしているんだとか、出演者としてほかのライブハウスにお邪魔するときも中側の目線で見ちゃいますよね」
場所よりも人。名店「下北沢ガレージ」に教わったこと
佐々木さんが活動するバンド・キンモクセイは下北沢のライブハウス出身のバンドというイメージも強い。90年代後半にライブハウスで頭角を表し2001年にメジャーデビューを果たした。当時何度も出演していた「下北沢ガレージ」は2021年になくなってしまったが、実は閉店直前にキンモクセイはワンマンライブを行っている。
「実は出演させてもらったときは「下北沢ガレージ」がなくなるとは知らなかったんですよ。キンモクセイはまさに“出身”といえるくらい、深い関係があった場所だったので残念でした。いつか『まほろ座』にも終わりが来てしまうかもしれませんが、ここも惜しまれつつ……というような場所にできたらいいなと感じています。「ガレージ」に出始めた頃、1998年とかに5周年とかだったので、あそこもだいぶ長くやってらっしゃいましたね。その頃にブッキングだった方が最後のほうまで残ってらっしゃって、場所というよりも“人”という部分が強かったと感じています。そのブッキングの方がいたからメジャーデビューしてからも出演させていただいたり、活動休止後も連絡とって出させてもらったりもしていましたね」
「人っていうのはやはりデカいなと思いましたね。いろいろなライブハウスに出ていましたけれど、中の人が異動して縁遠くなるパターンは結構ありましたね。なので『まほろ座』では、出演アーティストに僕だけが関わるという状況をつくらないようにしています。スタッフみんなにアーティストに関わってもらいたい。もし僕がその日にいなくても安心して出演いただける、そんな空気が作れればいいかなあ」
ミュージシャンでありながら、店を守る立場でもある店長としての視点が、そこには確かにある。佐々木さんにとってこの店は大きな存在のようだ。
『まほろ座』に入ったときは副業くらいのつもりで入ったんですが、そう甘くはなかった(笑)。キンモクセイのほかのメンバーもほかの活動をしながらたまにキンモクセイというスタンスなので、みんなそれを互いに理解しつつ合間を縫ってやっています。ここで『まほろ座』をやっていることのメリットもキンモクセイにとってはすごくありました。メンバーがそれぞれ別々に出演しだしたりして、再結成の足がかりにもなりましたね」
「地域のイベントで発表会などで使っていただくこともあるんですが『憧れのまほろ座についに出られる』と言ってくださる方もいて。そういう場所になれているのがうれしいです。立ち上げからいるので当初はいつからやっているの?と聞かれると『2015年ににオープンしたばかりで』というのが口癖になっていたんですが、もう8周年。“ばかり”とは言えませんよね(笑)」
「実は店長という役職は明確に今まで設けてなかったんです。オーナーの方針で、みんな同じ横並びで作っていこうというのが最初のコンセプトでした。でも、コロナ禍でピンチになったときに町田相模原出身のバンド、キンモクセイをやっているというのがわかりやすいんじゃないかということで、アイコンじゃないですけどそういう役になったほうが分かりやすいとも思い、今、店長をやらせていただいています。スタッフたちに助けてもらいながらという感じですね。オーナーが強引に立ち上げた気概のまま、機材の先行投資もしていただいたり、配信をするなど新たな機会も与えていただいた。恩返しするためにもがんばりたいですね」
国民的アーティストも地元のバンドもごちゃ混ぜ、さまざまな音楽が奏でられている場所『まほろ座』はなんとも珍しいライブハウスだが、歴史が物語るようにすでにしっかり街に文化として根付いてもいる。現役プロミュージシャン、佐々木さんの情熱がこもった空間だからだろう、ある意味、昔ながらの“熱”もはらんだ素敵なハコだとも感じた。
■公演情報 まほろ座MACHIIDA 共催イベント
2023年6月20日
祝!町田市市制65周年記念「澤近泰輔65祭 The Chronicle」(佐々木良さん出演)
会場:町田市民ホール
https://www.mahoroza.jp/230620machida
2023年8月31日
キンモクセイ
「THE FIRST DINNER in COTTON CLUB」
会場:COTTON CLUB
http://www.cottonclubjapan.co.jp/jp/sp/artists/kinmokusei/
取材・文・撮影=半澤則吉