美容師オーナーが始めたコーヒースタンド
店に入ると、バリスタが「こんにちは」と笑顔で出迎えてくれる。コーヒーが出来あがるまでの数分間、ほどよい距離感の会話が心地よく、通勤途中や買い物の帰り道など、何気ない日常の合間にふらっと立ち寄りたくなる……そんな場所が、中野にある『silo coffee stand』だ。
同店は、まだ街中に“コーヒースタンド”という存在がそれほど多くはなかった2020年にオープンした。
「店を始めた当時は、この店はなんだろう?と様子を伺う方も多かったんですが、コロナ禍でテレワークが浸透し、朝の時間に余裕ができたことでお仕事前に立ち寄ってくださる方が増えました」
そう話すのは、この店を立ち上げたヤベケンタさん。美容師歴は15年以上、そして中野の美容室『silo』でオーナーを務めている。
そんな美容業界一筋だったヤベさんだが、長年感じていたことがあった。
「美容師はお客さんとコミュニケーションをとる仕事ですが、お店は路面ではなく4階にあり、お客さんも毎日通ってくれるわけではない。毎日気軽に“こんにちは”が言える環境ではなかったんです。もっと毎日、お客さんと“こんにちは”とか“今日はどうしたの?”と挨拶をかわしたい。そして、そんなコミュニティが作れたら地域貢献もできるんじゃないかって」
そこで頭に浮かんだのが、日常で飲んでいたコーヒーのこと。
「もともと、カフェならではの日常感や、お客さんとの距離感に憧れがありました。そして海外のコーヒースタンドのような、気軽にコミュニケーションがとれる場所を中野に作りたいと思いました」
日常に溶け込む、メルボルンスタイルを理想に
店をオープンするにあたり、影響を受けたのがメルボルンのコーヒースタンド。街に日常的にコーヒー文化が溶け込む様子が、まさにヤベさんが目指す理想のコーヒースタンドだった。
そして“毎日バリスタが変わるコーヒースタンド”をテーマに掲げ、バリスタ一人ひとりが店長となり、店づくりを担っていくスタイルを確立した。
「バリスタが楽しく働いているところに、お客さんがやってくる。お客さんとバリスタがコミュニケーションを取り、さらにお客さん同士の交流も生まれる。つながりを作る、その役目がバリスタだと思っています」
コーヒーを待っている間、飲んでいる間に、自然と会話が生まれるのは同店の日常風景だ。
提供するコーヒーも、オーストラリアで“ホワイト”と呼ばれ親しまれる、エスプレッソをミルクで割ったもの(同店ではラテと呼ぶ)。お客さんの好みによって、コーヒー濃いめ・薄めが選べるところにもホスピタリティを感じられる。
そしてコーヒーを淹れる技術は、スタイリストがアシスタントに技術を教えるように、経験のあるスタッフが未経験のスタッフに教える“美容室スタイル”で継承している。
「ちがうバリスタが作ってもコーヒーの味はぶらさないというお店もありますが、うちはそこまで思っていなくて。美容室と同じで、お客さんがおいしいって喜んでくれれば、それで良いんです」
長年携わっていた美容業界から、コーヒー業界という別世界に飛び込んでみて思うことは「ツールは違うだけで、美容室のカウンセリングも、バリスタの接客も、やっていることは同じなのかなって。結局は、技術よりも人なんだと思っています」
2023年からは新たに変化。進化し続けるコーヒースタンド
コーヒースタンドだけにとどまらないところも、同店の大きな魅力と言えるだろう。これまで、夜はワインスタンドに姿を変えたり、他店とコラボレーションをしたり、ポップアップストアを開催したりと、ユニークで多彩な取り組みを行ってきた。
2023年からは、ますますコラボのバリエーションが増え、さらに新メンバーを軸にした営業もスタート。「コーヒースタンドとして、もっと面白い形になると思います」と、ヤベさんは笑顔で話す。
今後も、さらなるパワーアップを続ける同店から目が離せない。
コーヒーをツールに、人と人の温かいコミュニケーションが生まれる『silo coffee stand』。
通勤や通学、予定の合間にふと立ち寄ってみると、いつしか日常に欠かせない場所になっているかもしれない。
取材・文・撮影=稲垣恵美