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阿佐ヶ谷へ向かう電車の中で、ランチを食べるお店をスマホで探す。到着が2時頃だったので、行き当たりばったりで探していたらランチタイムが終了してしまうと思ったのだ。その日の気分と「自分では作らないもの」という観点からタイ料理に決めた。

初めて下車した阿佐ヶ谷駅は、イメージしていた通りのサイズ感だ。東口を出ると、ネットで見たことのある「パールセンター商店街」の入口が見えたが、そちらには行かず線路沿いを進む。目的のお店はすぐに見つかった。

たくさんあるランチメニューの中から「カオラープガイ(鶏肉ハーブ炒めご飯)」を選んだ。この日は初めて好きなアイドルのアクスタ(アクリルスタンド)を持って外出したので、食べる前に記念撮影をした。

こういうの、やってみたかったんだよね……。

アクスタを取り出す瞬間は周囲の目が気になってドキドキしたが、変な目で見られることはない。料理は舌がヒリヒリする辛さで、辛いものが好きな私は大満足。汗だくになりながら食べた。

そのあとはパールセンター商店街を歩いてみた。よくあるチェーン店と昔からありそうな個人商店が混在している、長いアーケードだ。土曜だからか人で賑わっていて、特にご年配の方が多かった。

この看板、初めて見るはずなのになぜか「子供の頃見た」と感じる。ない記憶を想起させるデザインだ。

パールセンター商店街を歩きながら気づいたのだが、私は一人で知らない土地を歩くと、目に映る景色の一つひとつから何かを感じようとしてしまう。仕事でエッセイを書くからだろう、半ば脅迫的に「何かを感じなきゃ」と思うし、特に何も感じないと「感受性が枯渇したのかも」と焦る。

体験から何かを感じ取る力は物書きに必要だけれど、無理やり捻りだすように感じるのは人間として不自然だ。

私は、感受性のアンテナを張り巡らせるようにして歩くのをやめてみた。「阿佐ヶ谷にしかないもの」にこだわらず、いつもと同じように、チェーンのドラッグストアを見つければリップモンスター(昨年からバズり続けていてなかなか売っていないリップ)を探し、セブンイレブンを見つけては好きなアイドルの店内放送を聴くために入店する。

すると、初めて見る商店街がするすると日常に溶け込んでくる気がした。無意識のうちに、「阿佐ヶ谷に来たからには、阿佐ヶ谷にしかないものを堪能しなければ」と肩に力が入っていたのかもしれない。

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そのあとは飲み屋街を散策し、駅の北側のオシャレな通りを歩いた。

そして、駅周辺の喧騒を抜けたところにある阿佐ヶ谷神明宮に参拝した。キャップを脱いでお賽銭を入れ、二礼二拍手ののちに胸の前で手を合わせる。

「寂しさに負けませんように」

気づけばすっかり夕方で、あたりは薄暗くなっていた。阿佐ヶ谷に来てからもう3時間が経っている。

案外、退屈しなかったな。

時間を持て余したら読もうと思って持ってきた文庫本も、行きの電車で開いたきりだ。

喫茶店でコーヒーでも飲みたかったが、帰りの電車が混むのが嫌なので帰ることにした。

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阿佐ヶ谷駅のホームでスマホを見ると、友人からLINEが来ていることに気づく。今夜オンライン飲みをしないかという(めったにない)誘いだった。

快諾の返信を打ちながら、マスクの下で小さく笑う。阿佐ヶ谷神明宮の神様、なんて早い御利益だろう。少なくとも今夜は、寂しさに負けることはなさそうだ。寂しさに巣食われて泣く夜はいつも「私って友達いないな」と思っていたけれど、そんなことはないと気づいた。

一人を楽しもうとした途端、人から誘いが来た。こういうことがあるから、人生って面白いんだよなぁ。

私はすっかり満たされた気分で、秋の中央線に乗り込んだ。

文=吉玉サキ(@saki_yoshidama

方向音痴
『方向音痴って、なおるんですか?』
方向音痴の克服を目指して悪戦苦闘! 迷わないためのコツを伝授してもらったり、地図の読み方を学んでみたり、地形に注目する楽しさを教わったり、地名を起点に街を紐解いてみたり……教わって、歩いて、考える、試行錯誤の軌跡を綴るエッセイ。
生まれ育ちは札幌、住んでいるのは東京なのだが、婚姻届けを出したのは栃木県の足利市だ。当時夫が仕事の都合で足利に住んでいて、彼のアパートに私が引っ越して籍を入れた。しかし、足利で一緒に暮らしたのはわずか4カ月ほど。その後はアパートを引き払って海外へ長旅に出た。最初からそういう計画だったのだ。短い期間でふたたび引っ越すとわかっていながら、そのタイミングで、その土地で入籍したことについて、「効率が悪い」と言われればぐうの音も出ない。けれど、私たちにとってはそれが最善だった。足利の思い出は、4カ月間の新婚生活とセットになっている。春かすみと花粉のせいでぼんやりとした、たぶん幸福な日々の記憶だ。