番組の進行を変えさせたもう一人のMC

おーっと、テレフォンショッキングの2エピソードだけで1ページ(*初出:『散歩の達人』2021年7月号)使ってしまった。次は番組初期に金曜レギュラーだった明石家さんまについて。

『いいとも!』は開始当初、オープニングでタモリが「ウキウキWATCHING」を歌った後、タモリが最初のCMまでひとりでトークをするのが慣わしだった。それを破ったのが明石家さんま。当時TBSドラマ『男女7人夏物語』が大ヒット。「抱かれたい男」1位。スタジオアルタに姿を現した後もしばらく歓声が止まないほどだった。番組後半は時間をたっぷり使い、丸テを挟んでダベり。タモリとさんまの名勝負は素晴らしかった。「俺たちが気持ちよく喋しゃべってるのにCMに行きやがって!」とスタッフとスポンサーに喧嘩 を売ったり、吉永小百合の65年の珍曲「奈良の春日野」(サビが♪鹿のフン)を復刻、スマッシュヒットに仕立て上げたり、写真週刊誌でさんまの元恋人が告白するとすぐさまタモリが「セックスが幼稚だって!」とネタにしたりと、『いいとも!』の歴史でもマックスで面白かったです。

これはオール巨人も語っていたけど、「たけしさんは相手に関係なく自分を面白く見せる。さんまは相手が誰でも面白さを引き出す。タモリさんは相手が面白いと、相手の力を使って自分も面白く見せる合気道の達人のような人」(大意)とビッグ3を評していたがまさに正鵠(せいこく)。タモリをもっとも面白く見せたのが番組初期のさんまであり、さんまが11年間と半端な区切りで卒業した後も、勢いを収束させずに『いいとも!』を32年間と延命させたタモリはやはり達人だったと思う。

インテリ芸人タモリの稀代のキャパシティ

シメは「5つのフォーカス」について。『いいとも!』創成期、タモリとフォーク歌手の山本コウタローと、『なんとなく、クリスタル』で一躍時代の寵児となった田中康夫の3人が新聞や週刊誌をネタに世相を斬るコーナーがあった。毒にも薬にもならないゲームコーナーばかりの『いいとも!』後期しか知らない人からすると、そんな真面目なコーナーがあったのかと驚かれると思うが、これには番組を始めた横澤プロデューサーの狙いがあった。『いいとも!』の前番組『笑ってる場合ですよ!』の視聴率が安定していたにもかかわらず、番組を終了させたいちばんの理由は「楽屋で芸人が女と金の話しかしていない!」と氏の怒りを買ったためだった。横澤さんは隠れインテリ芸人のタモリを抜擢し、シリアスな議論コーナーを持たせた。で、あるときこのコーナーにたけしが突然現れて康夫ちゃんの首を絞めるの。なんでかって? 嫌いだったからでしょ。

ちなみに『いいとも!』で大いに顔を売った山本コウタローは、87年に広島平和コンサートを企画する。時は「ウィ・アー・ザ・ワールド」などのチャリティソングブームだった「平和がいいに決まってる‼︎」をキャッチフレーズに、尾崎豊、ブルーハーツ、佐野元春、渡辺美里など、多数の豪華なミュージシャンがノーギャラで参加。だがしかし、コウタローはこの平和の祭典を利用して選挙に出馬する計画がバレるとミュージシャンの怒りを買うだけ買い、ステージ上から名指しで罵倒される始末。忌野清志郎に至ってはタイマーズで「偽善者」と糾弾。山本は追放され、責任感を持つミュージシャンで10年間小規模ながら平和コンサートは続けられた。康夫ちゃんは長野県知事になり、新しい風を吹かせようとしたが6年が限度だった。

そして2014 年、『いいとも!』フィナーレ特番でかつての出演者として客席に招かれていた田中康夫がステージに上がると、爆笑問題太田が彼の首を絞めにかかるんだけど、あれはたけしオマージュでした。気付いた人少ないだろうけど。

 

ふう疲れた。今回はこんなところでいいでしょうか。番組が続いていたときは、やれ「マンネリだ」「惰性だ」「タモリにやる気がない」とかみんな好き勝手言っていたけど、平日のお昼につけるテレビは決まっていた。いまは12時になってもテレビをつけることはない。かつてナイナイの岡村が「タモさん死んでくれ! 下がつっかえてんや」とキレキレのジョークを飛ばしたけど僕は冷ややかに見ていた。タモリ、たけし、さんまのビッグ3がいなくなっても、巨大な穴ぼこができるだけで、誰もそこを埋めることは叶わない。視聴者は静かにテレビから離れていくだけだ。

ああ、タモリ恋しや昼テレビ。

文=樋口毅宏 イラスト=サカモトトシカズ
『散歩の達人』2021年7月号より