目的は酒場にあり
上田といえば、言わずと知れた名将・真田氏だろう。昌幸、幸村、信之が有名で、大河ドラマ『真田丸』ではその知名度を全国に轟かせた。これをうらやましいと言わず、何と言おう。何百年も後にドラマになるような武将がいた街とはどんなところなのだろうか……。いや、どんな酒場があるかが気になって訪れてみたのである。
東京から新幹線で約1時間半ほど、上田駅で降りてまず驚いたのは……。
改札前に真田氏の甲冑が並び、駅舎の外観には真田氏の家紋の六文銭がデカデカと掲げられている。
街を歩けば至るところに真田十勇士(フィクション)が潜み、池波正太郎の『真田太平記』の記念館など、どこへ行っても真田、真田、真田。
その全ての象徴といえる真田氏の居城・上田城は、天守閣こそなかったが、それは美しい城跡だった。
城内にある真田神社でご挨拶を済まし、さて、目的は酒場にあり。上田酒場で有名だというアテをいただきに参ろう。
日が落ちて、やってきたのは上田の繁華街にある『かわしま』である。まずはその歴史を感じさせる外観に、先ほどの真田神社と同じように拝みたくなる。珍しい細く縦に並んだトタンの看板、店の中心からグイっと延びる太い排気管を見れば、ここが焼き鳥屋であることはすぐに分かる。
裸電球が照らす、あずき色の暖簾がまたいい。さて、こいつを潜って「すいませ~ん」。
おおっ……! こちらもシブい内観だ。8人ほど座れる、うっすらとカーブのかかったカウンターと小上がりのテーブルが2つのこぢんまりした店内。天井、壁、床はウッディ感満載で、とても居心地がよさそうだ。
が、誰もいない。人の気配もないようだが……と、思ったのもつかの間。
「いらっしゃい」
カウンター奥にある厨房から、マスターが何本もの焼き鳥の串を持って出てきた。
「2人ですけどいいですか?」
「いいですよ、好きなところ座って」
そう言ってマスターは焼き場に向かい、焼き鳥の串を並べ始めた。ふーむ、もしかするとデリバリー用の注文の品を焼いているのだろうか……とりあえずは、お酒をお願いしよう。
お待ちかねの大瓶ビールがやってきた。トクトクとグラスに泡立てて、と。
ごくん……ごくん……ごくん……、タッハ──! 旨いですねぇ〜! この誰も他にいない酒場で、一発目に飲む酒は特においしい。なぜだろう、酒場を独り占めにしている感じがするからか?
それよりも、料理をいただこうと思うが……おや?
メニューは……これだけか? カウンターを見渡してもメニューらしきものはない。唯一、カウンター向かいにホワイトボードがあったのだが、おしんこうや冷やっこ、枝豆や酒が数種類だけ記されているのみだった。
「あの、メニューってこれだけ……」
「はい、焼き鳥おまたせね」
マスターに尋ねようとすると同時に、目の前には大量の焼き鳥が並べられたのだ。8、9、10……なんと、その本数ひとりにつき10本だ。
「あれ、マスター。これって頼みましたっけ……?」
「ひとりで大変だからさ、基本は串のセットだけにしててね」
聞けば、年を取ってからは一度にたくさんの料理を作るのが難しく、何も言わずに10本の焼き鳥を出すというシステムに変えたとのこと。なるほど、もちろん従いましょう。そもそも、この焼き鳥を目当てに来ているのだし。
メンバーは白モツ、カシラ、タン、若どり、ネギマが各2本ずつ。さあ、このままいただきます……とはならない。
これが上田名物「美味だれ」だ!
上田の焼き鳥文化では、「美味(おい)だれ」というものがあり、各酒場でその味が異なるのだ。こちらではとんかつソースのような容器から柄杓で焼き鳥にかける。これがまた最高だった。
白モツは歯ごたえがよく、カシラは旨味たっぷりジューシー。タンのコリコリ感がたまらず、若どりとネギマも小ぶりながら弾ける肉感が最高。
ただ何といっても、この美味だれの存在が欠かせない。ニンニクと、この甘酸っぱさは……リンゴですね! 上田の西にある松本市の山賊焼きの味にも似ていて、独特な甘じょっぱい風味が病みつきになるのだ。
「なんで“おいだれ”って言うか知ってるかい?」
「えっ、分からないです」
さりげなくマスターが話しかけてくれる。マスター曰く、長野の方言で「お前たち」のことを「おいだれ」(慣れ親しんだ仲間に対して使う愛称)と言うらしく、この方言に「美味(おい)しいタレ」「追いかけるタレ」という要素を合わせたものだそうだ。なるほど、まさしくこの地に根付いた料理なのだ。
数少ないメニューの中からきゅうりの醤油漬けを頼んだ。ただのしょうゆ漬けかと思いきや、とんでもない。シナッとした歯触りとカリカリと小気味よい食感。醤油の味だけではなく、うっすらとヌカの風味が混じっていて、これが秀逸。箸休めならぬ“焼き鳥休め”にちょうどよく、思わず串の追加をお願いする。
しばらくしてやってきたのが「つくね」だ。こちらは初めからタレが塗られており、ツヤツヤと見るからにおいしそうだ。
もちろん、見た目だけではなく味もすばらしくおいしい。ムチムチとしたひき肉からは、たっぷりの脂がしたたり、それがタレとも上手にマッチする。まずいぞ、このままだと無限に串を頼み続けてしまいそうだ……。
「この本にね、ウチのレシピが載ってるよ」
「えっ、レシピですか?」
突然、マスターが目の前に差し出した一冊の本。『「焼とり」「焼とん」調理技術』という本に、この店の美味だれのレシピが載っているらしいのだが、まずはこんなマニアックな本が存在することに驚きだ。
中を拝見すると、素材の分量から工程まで細かく載っている。こういうのは大抵は「企業秘密」にすることが多いのだが、マスターの太っ腹さがうかがえる。
今気が付いた。この本の表紙、ここの店のものじゃないか!
昔はカラスを食べていた? 83歳のマスターの思い出話
「兄ちゃんたち、どこから来たんだい?」
カウンターの中にある丸椅子に、さりげなく座って話し出すマスター。美味だれの説明くらいから気付いていたが、とにかく話好きのようだ。
なんと83歳のマスターは、東京・築地出身。戦争の疎開がこの上田で、終戦後もそのまま定住しているのだという。
「昔は縁日でカラスを食べていた」などと、6、70年前の話をつい最近のように話す感じがなんともいい。ふと見えたカレンダーは、すでに20年前のもので、マスターかられすればもはや時間など関係ないのかもしれない。
真田氏と同じように、この街で歴史を刻み続けているのだ。
「すいません、2人ですけどいいですか?」
「はい、どうぞ」
2人の客が店に入ってきた。早速マスターは、奥へ焼き鳥20本を取りに向かった。83歳のワンオペに負担をかけさせるわけにはいかない。2人の客にバトンタッチ、会計をして店を後にした。
「ひとりで大変だからさ、基本は串のセットで……」
「あ、そうなんですね」
店を出て、暖簾越しに聞こえるマスターと2人の客の会話が、なんだか懐かしい。
取材・文・撮影=味論(酒場ナビ)