リラックスできるお寺で「本物」の体験を

明王院さんは、空を見上げれば頻繁に飛行機も行き交うビル街に立つ、緑豊かなお寺です。

江戸時代に、八丁堀からこの地に移転。ご近所には、当時同じく移転したお寺が林立しています。長い時を刻む本堂の隣には、緑に包まれた素敵なカフェのような建物が。明王院さんは御府内八十八箇所第八十四番札所でもあり、こちらが納経所になっています。

戸を開けると、ブックカフェや古民家のエントランスを思わせる素敵な空間が。先代ご住職である父から歴史を受け継いだ尼僧の市橋俊水さんと、ご住職の市橋杲潤さんが、ご夫婦でお寺を守り続けています。

得度されたお子さんが絵を描いた絵馬や寺報も素敵です。とてもリラックスできるこの雰囲気に象徴されるように、気軽に訪れることのできる行事が、明王院さんの魅力となっています。

俊水さん:私の父は怖いおじいさんが眉間に皺を寄せているようなタイプだったので、敷居を下げて、誰にでも来てもらえる楽しい集まりにしようと思って「おてらのつどい」を始めました。お寺が好きだとか、興味はあったけれど知らないところには入れないという方も、ちょっと勇気を出せば入っていただけるかなと。

2024年6月開催の第19回おてらのつどい「真言聲明(しんごんしょうみょう)を聴く!」より
2024年6月開催の第19回おてらのつどい「真言聲明(しんごんしょうみょう)を聴く!」より
ペットの供養を行うほか、7月と8月のお盆の法要では、檀家の方に限らず、亡くなった芸能人のファンの方などからのご供養も受けているのだそう。
ペットの供養を行うほか、7月と8月のお盆の法要では、檀家の方に限らず、亡くなった芸能人のファンの方などからのご供養も受けているのだそう。

弘法大師空海のパワーが宿る本堂

本堂入り口の手前には、美しいお袈裟(けさ)の数々が。こちらを首に掛けてお参りします。大切にしまわれていたものを「みなさんに楽しんで使ってもらえたら」と俊水さんが用意したのだとか。

こちらが、江戸時代中期建築といわれるご本堂です。御本尊の弘法大師像は、俊水さんも一度もそのお姿を見たことがないという「絶対秘仏」。2023年に修復された五大明王(ごだいみょうおう)も並び、内陣の奥へどこまでも空間が広がっているような、不思議な引力を感じます。

光を落とした本堂の壁に浮かび上がるように、絵がかけられています。

杲潤さん:こちらは、お寺の由緒を描いたものです。八丁堀にこのお寺があった頃、水を司る力を持つ龍が暴れていて、お大師さん(弘法大師空海)がそれをなんとか抑えようとしている場面です。

杲潤さん:その後に続く話がこちらです。龍の本体であった天女が「お世話になりました」というような気持ちで手を合わせて去っていくところです。

その龍のものと伝わるお骨が本堂に祀られている。
その龍のものと伝わるお骨が本堂に祀られている。

明王院さんはその後江戸幕府の都市政策により、ご近所のお寺とともに移転されたそうですが、この由緒は当時水路の多かった八丁堀で治水を行った話が元になっているのでは、と俊水さん。

俊水さん:弘法大師は香川県の満濃池(まんのういけ)を改修したり、橋をかけたりしたという話がたくさんあるので。きっとそうやってすがりたいぐらい、鉄砲水が出たりした土地だったんじゃないでしょうか。

移転当時から大切にされているという、境内の井戸。
移転当時から大切にされているという、境内の井戸。

瞑想「阿字観」で意識は宇宙へ……

「おてらのつどい」のほかにも、毎月月曜日開催の「阿字観(あじかん)とご詠歌(えいか)のつどい」、毎月木曜日開催の「御詠歌&写経のつどい」など、“プチ修行”がたくさん用意されているのだそう。今回は、「阿字観とご詠歌のつどい」を体験させていただきました。

「阿字観」の中には複数のステップがあるそうなのですが、明王院さんではその中から2つのスタイルの瞑想を行います。

瞑想の前後に、みんなでお経を読みます。左は、歌のような節がつけられた「九條錫杖経(くじょうしゃくじょうきょう)」という美しいお経です。併せて、真言宗豊山派の檀信徒のおつとめも。「不殺生」「不悪口」など日々の心がけが凝縮されていました。

続いて、杲潤さんの法話のお時間です。日常でついイラッとしてしまったエピソードを「阿字観をやっていてよかったと思いました!」と笑いを交えつつお話しくださいました。肩肘張らないお話で身も心もほぐれたところで、いざ瞑想のスタートです。

自然光だけが差し込むお堂で、仏さまに見守られながらの瞑想。大都会でこんなにも静かで豊かな時を過ごせるなんて、という思いに満たされます。

呼吸とともに仏さまの周りの空気を体内に取り込むイメージで、最初の瞑想を行います。本堂の上、お寺のある三田4丁目、東京の街……と意識を徐々に上空に上げていきます。意識が東京まで広がると、自然と家族のことが思い出されます。地球を見下ろすように意識を広げると、世界で起きている紛争のことに思い至りました。宇宙からまた日本へ戻ってみると、日本の被災地へと思いが広がりました。意識を広げていくに従い、いろいろな人の幸せを願う気持ちが湧いてきたのが不思議です。

次は「月輪観(がちりんかん)」と呼ばれるステップです。月の光を体に取り込むようなイメージで瞑想を行います。意識を向ける場所が視覚的に定まっているおかげか、すっと気持ちがまとまっていくように感じました。月の下で横たわり安らいでいるような心地よさも感じます。もっと続けていたい……!と思いながら、あっという間に時が過ぎていきました。

「御詠歌」でお遍路さん気分を体験

お昼休みを挟んで行われる「ごえいかのつどい」にも参加しました。

御詠歌とは、西国三十三観音霊場や四国八十八ヶ所などの霊場を巡礼する際に歌われた巡礼歌なのだそう。大切な人の死を悼むものもあれば、お寺や教えを讃える歌も。

僧侶のみなさんに御詠歌を指導する「詠匠(えいしょう)」という肩書きをお持ちの杲潤さんがご指導くださいます。

杲潤さん:御詠歌で祈る方もいれば、大切な誰かのために写経を一巻したためる方も。写経も御詠歌も阿字観も、仏さまに祈るという面で私の中では一緒でして、どれも仏道修行の一つの手立てという位置付けなんですね。

御詠歌に用いる道具がこちらです。お袈裟をつけ、御詠歌の譜面が載った教典を前に、鈴鉦(れいしょう)と呼ばれる楽器のセットを用いて歌います。

鈴(すず)を手に持ってチリーンと鳴らしたり、

撞木(しゅもく)というトンカチのような道具で鉦(かね)を叩いたり、

机に軽く撞木を置くようにしてトンと音を立てたりもします。それらの動きをゆったりと繰り返しながら、御詠歌を歌います。

今回は、お寺の法要にも参加されているという御詠歌隊のみなさんに混ぜていただきながらの体験です。一見シンプルな動きに見えるのですが、やってみるとこれがとんでもなく難しかったのです……!

まず、この鈴が想像を遥かに超える重さです。御詠歌を歌っている間ずっと左手で掲げるのですが、腕がすぐに下がってしまいます。

御詠歌隊のみなさんの肘は胴体から離れていますが、とてもその姿勢をキープすることができません。変なタイミングで鳴らしてしまったり、身構えすぎて音が出なかったり。「初めてなのにできたら私たちびっくりしますからね(笑)」と杲潤さんに優しく声をかけていただいたのですが、想像の5万倍難しい!という感想です。

なんとなく一連の動きが見えてきたところで、ところどころ歌詞を追って歌ってみました。ゆったりとしたテンポに乗っていると、お遍路に行ったことがないのに、その風景が目に浮かんできます。そのイメージに浸っていると、またしても変なところで鈴が鳴ってしまったり……。こうして、必死の2時間が過ぎていきました。

「一通りできるまでに、どのくらいかかるものなのでしょうか?」と御詠歌隊の方にお聞きしたところ、「私は3年かかった」とのお話が。大人がここまでゼロになれる体験って、なかなかないのではないでしょうか。ぜひ門をくぐって体験してみてください!

あなたはすでに仏道修行をしている!

──貴重な仏道修行をありがとうございました!真言宗というと弘法大師の超人的な印象があって、すごく難しいイメージがあります。その中で、私たちにもわかるような教えがありましたら、お聞かせいただけますでしょうか。
俊水さん

真言宗でわかりやすい教えというと、「身口意の三密(しんくいのさんみつ)」になるのかなと思います。体、言葉、心の三つを意識するということです。私たちは悟っていないから、やってることもダメ、言ってることもダメ、考えてることもダメだね、っていう感じで、ダメダメ人間になっている。でも「仏さんならこうするかな」と必死で考えながら真似していくと、いつの間にか「仏さんみたいな人だね」って言われるようになって、この身このままで仏みたいな人になれる。それが、超簡単に言う真言宗的な教えです。

俊水さん:できるところから、できることを、できる時に。 例えば、自分が何の怪我もしていなくて、おなかも痛くないようなときに、電車の席を譲ってあげるとか。私はよく車椅子の人がスロープを上っている時に、「お手伝いします!」とお声がけして後ろから押したりします。そういう仏道修行なら、みなさんもすでにやっていると思うんです。

——知らないうちに、仏道修行をしていることもあるのですね!

杲潤さん:身を削るような制限を課して行に励むというアプローチもあれば、「すでに仏であることに気づきなさい」という考え方もあるんですよ。今の話でいえば、いい人であることの要件はもう私たちに備わっている、ということです。席を譲ろうと思ったのに譲れなかったという後悔や良心の呵責が生まれたりするのは、そういうものがすでに宿っているということですから。

──真言宗では煩悩を肯定的に見るという話も聞いたことがあるのですが、それともつながるのでしょうか。
杲潤さん

例えば、自分や自分の家族だけの幸せを願うのは煩悩かもしれませんが、それが地域にまで広がると、それは果たして煩悩なのでしょうか。私たちが蒸し暑くてビールが飲みたいと思って飲むのと、仏さんが目の前で困ってる人を救って満足するというのは、仕組みが同じだという考え方があります。煩悩を即全否定するのではなく、ある意味でそれをエネルギーにするという一面もあるんです。

──そうお聞きすると、はるか雲の上の弘法大師が、少しだけ身近な存在に思えるような気がしてきます。
杲潤さん

天才だと言われるお大師さんは、「天才と呼ばれるぐらい優しい方」だと思うんですよ。才能に恵まれた人たちは、普通の人だったら気がつかないような人の沈んだ表情を察知して、その人に一番適切なフォローができます。できればそうなりたいなと思っています。お大師さんは「他の人の気持ちが安らかになるまで自分は祈ることをやめない」という意味の言葉を残しているんです。天才で近づきがたいと感じる人もいれば、その優しさを自分の心に映しとって真似をしたくなる人もいるんですよね。

——そこに1mmでも近づけるよう、仏道修行をしていきたいです!

次回は、流山市の浄土真宗のお寺、源正寺さんに伺います。ご住職の不二門至浄さんは、明王院のお二人が「仏さまのような人」と口を揃えてご紹介くださったお方。とても楽しみです!

住所:東京都港区三田4-3-9/アクセス:地下鉄メトロ南北線「白金高輪」駅2番出口から徒歩9分

市橋杲潤さんプロフィール

真言宗豊山派五大山明王院住職、同派光明山西光寺兼務住職。1972年、神奈川県横浜市生まれ。豊山流大師講(御詠歌)詠匠、真言宗豊山派綜合研究院布教研究所研究員。法話研鑽会(超宗派の有志僧侶)会員、自死・自殺に向き合う僧侶の会会員。

 

市橋俊水さんプロフィール

1969年東京の寺生まれ。父と折り合い悪く美大へ進むもフランス居住中に仏教に開眼。帰国後興味深く仏門へ入る。佐渡 円徳寺住職。明王院を守りつつ、よみうりカルチャー 北千住校・錦糸町校・大森校・自由が丘校で般若心経写経と法話の講座を担当中。

 

明王院Instagram https://www.instagram.com/myou_ou_inn/

豊山流大師講 東京神奈川教区YouTubeチャンネル https://www.youtube.com/@user-rg4vo1dr8j

取材・文・撮影=増山かおり