全国に2ケ所しか存在しない高速道路の廃道
ひとつめは岐阜県関ヶ原町今須地区、名神高速道路の関ヶ原I C〜米原I C間で、半径のきついカーブがあった区間を緩和するため、1978年に今須トンネルを掘削して新ルートとなりました。旧ルートは遺棄されて痕跡すら薄れ、一部が管理用地となって立入禁止となっています。
もうひとつが、中央自動車道(以下、中央道)上野原I C〜大月I Cです。この区間を運転したことある方なら分かりますが、中央道は山間部を縫いながら右へ左へと蛇行しています。おまけに勾配がきつめで、速度が遅くなったり早すぎてブレーキを踏み続けたりと、渋滞の要因となる構造でした。
そこでNEXCO中日本は、抜本的に道路の改良を実施しました。既存のトンネル断面は拡張できないため、上り線は新規に3車線道路を建設。下り線は旧上り線を活用し、4車線構造となりました。また談合坂SA付近の約1kmは上下3車線ずつ、計6車線の道路へと付け替えられて廃道となりました。付け替えは2001年3月のことでした。
古い跨道橋の真下に旧中央道の遺構が見える
高速道路の廃道とは言っても、一部分が付け替えられたもので、山中に眠る酷道や廃道のように大スペクタクル冒険が待ち構えている訳ではありません。区間は約1kmなので、気軽なものです。おまけに名神高速道路のケースとは異なり、中央道は廃道となったあと一部が山梨県へと払い下げられ、旧上り線が生活道路の一般道となって現役なのです。
厳密には廃道ではありませんが、高速道路としては廃止となった道です。胸を張って「これは廃道巡りだ!」と訪れましょう。
アクセスは断然車が便利です。談合坂SAにはスマートI Cが整備されているため、ここが最寄りのI Cとなります。しばらく中央道沿いに進むと、6車線の中央道を跨ぐ跨道橋を渡ります。するとすぐ前方にもう1ケ所跨道橋があります。「ん!? 橋の後にさらに橋が!」
いかにも怪しい。その跨道橋こそ、旧ルートを渡っていた橋です。
さっそく渡ります。「お、いきなりの高速廃道だ!」よくわからん造語を口走り、真上から望む廃道に目を奪われます。
中央道であった白線や中央分離帯の名残りが、黒ずんだアスファルトとともにくっきりとあります。良い。非常に良い。適度な枯れ草が、廃道となった高速道路のアスファルトを浮き出させています。この場所を車が高速で行き交っていたのか。廃道は上り線部分が一般道となっています。
路面を眺めながら、しばし往時を思い出そうと物思いに耽っていました。2001年に付け替えということは、私が自動車免許を取ったときはまだこの廃道が生きていたことになる。残念ながら、記憶を遡ろうとしても思い出せませんでした。
それにしても、遺棄された道路の部分が2001年のときのままで、最近流行り(らしいです)のディストピア感とでも言いましょうか。文明終焉後の世界観を垣間見ているような、そんな気にもさせます。道路の遺構は鉄道遺構とはまた異なる空気を醸し出しているようです。
直線や曲線の雰囲気は高速のときと変わらず、アスファルトを履き替えたくらい。遺棄されている下り線との間にフェンスを設け立入禁止となっており、下り線はNEXCO中日本の管理となっています。だからこそ、そのままの姿で残っているとも言えましょう。
いよいよ生活道路となった高速廃道を実走してみる
さて、道路を進みます。跨道橋の先は左へ折れて高速廃道の脇へ出ます。交差点?の傍らには「旧甲州街道」と小さく書かれた看板があり、その昔は甲州街道であったことが分かります。すぐ左手には中央道の廃道があり、右を見るとガードレールで封鎖されています。ガードレールの向こうは現役の中央道が緩やかに右カーブし、あそこが付け替えの分岐点なんだなと、すぐに認識できました。ただ、NEXCO中日本の敷地内となっており、ガードレールより先は行けません。
転用された一般道を走ります。すぐ、先ほどの跨道橋を潜ります。『栗原橋』と緑色の文字で記載されたプレートが残っていますね。文字は高速道路でよく見る馴染みのフォントで、ここが中央道であった証が残されていました。
生活道路は対向2車線。上野原IC方向へ走り始めると下り勾配なのが分かります。現在線と大差ないほどの勾配がついている感覚です。
また、ほとんど行き来はないのですが、たまに軽トラや乗用車など、地域の方が運転する車が走ってきます。いわば農道のような存在ですが、高速道路の路盤をそのまま活用しているため、右カーブをする道は緩やかで、一般道にしては余裕ある路面です。
路肩を見るとガードレールは中央道のころから変化がないと思え、等間隔に並ぶ反射板や待避スペース、蔦と木々に侵食されて埋もれつつある防音壁と黄色地の注意看板が、約1kmの道のりに次々と現れてきました。
道は右カーブから直線となります。振り返ってみると上り勾配がついてカーブしており、それが若干キツめの半径に見えました。なるほど、付け替えた理由はこの構造なのかな。付け替え箇所は、カーブが大きくS字を描く構造なのですが、一般道の速度では余裕あるように感じても、高速域の速度では速度低下やブレーキング地点となり、渋滞の要因になってしまいそう。こうして思い切って道路を付け替えることで、円滑な交通路をつくりだしているのですね。
中央分離帯を間近に観察。脇道にはカルバートが残る
と、まとめに入ってきちゃいましたが、カーブの先は再び付け替えの合流地点が見えてきます。フェンスに覆われていた旧下り線は一部が資材置場となり、ゲートが設けられていました。中央分離帯部分は水捌けと思しき深い溝があって、まじまじと近くに寄って観察できます。けっこう深い溝なんですね。中央分離帯なんてじっくり見ることがないから、構造に興味津々です。
最後に廃道から脇道へ逸れると、樹木生い茂る法面となっていました。中央道であった頃はここまで茂っていなかっただろうに、高速道路の使命を終えるとこうなるのか。それに小道のカルバートが口を開けています。その姿が遺跡か異界への入り口のような、昼でも仄暗い空間となっていて……。その先は、まぁお任せします。変な空気はしませんでした。
わずか1kmという高速道路の廃道ですが、他の車の迷惑にならないようゆっくり観察して巡ると、中央道であった証が随所にあり、一般道路の廃道にはない独特な空気が醸し出されていました。
取材・文・撮影=吉永陽一