中野長者伝説
室町時代、紀伊国(現在の和歌山県全域と三重県南部)から鈴木九郎という若者が中野にやってきました。
ある日葛西に馬を売りに行くと高い値で売れ、仏様の功徳だと思った九郎は得たお金を浅草観音に全て奉納します。その後、中野の自宅に帰ると、どういうわけか家の中に沢山の黄金が置いてありました。観音様のごほうびだったのです。
その出来事以降商売運が上がり、やがて九郎は「中野長者」と呼ばれる大金持ちとして成長していきますが、金銀財宝が家に収まりきらなくなったある頃から邪念が生じるようになりました。
九郎は自分の金銀財宝を隠すために人を雇い、運ばせ、帰りにその人の命を奪うということを始めてしまうのです。
村の人は、九郎と数人がともに淀橋を渡って出かけるものの、帰りはいつも九郎ひとりだということからやがて淀橋を「姿見ず橋」と呼ぶようになりました。
そんなことを繰り返していく九郎でしたが、やがて罰があたります。大切に育てた一人娘の小笹が、婚礼の夜に暴風雨とともに蛇に姿を変え、熊野十二社の池に飛び込んでしまったのです。
慌てた九郎が高僧を呼び祈りを捧げると、暴風雨は静まり、蛇も小笹の姿に戻りました。しかし彼女はそのまま亡くなり、嘆き悲しんだ九郎は己の罪を反省し出家します。
自分の屋敷に正歓寺(現在の成願寺)を建て、亡くなった娘の魂を弔い、祈りを捧げる日々。
かつて「中野長者」と呼ばれた九郎は、再びつましく信心深い生活に戻っていったといいます。
フィールドワーク①中野坂上駅から成願寺まで
まずは東京メトロ・都営地下鉄「中野坂上駅」の1番出口を出て、山手通りを長者橋方面に歩いていきます。
今回ご紹介している伝説の真偽はさておき、「中野長者」と呼ばれた鈴木九郎その人は本当に実在した人物でした。
鈴木九郎の出自は武士だったのですが、それだけではなかなか生活できず、生計をたてるために商人として働いていたそうです。
さらに彼の祖先は熊野神社の祭祀で、悪行に手を染めるまでの信心深さは、そういったルーツからきていると推測されます。
山手通りをどんどん歩いていくと成願寺が見えてきます。
成願寺は約650年前、鈴木九郎が出家し名を「正蓮」と改め自身の屋敷内に建てたのが始まり。敷地内には鈴木九郎の供養塔「鈴木九郎宝篋印塔(中野長者屋敷跡)」がひっそりと佇んでいます。
数年前に成願寺のお像を修復した際、中から小さな骨が沢山見つかり鑑定したところ、中年男性と娘の骨だということが分かりました。
成願寺ではこの骨を鈴木九郎とその愛娘・小笹のものであるとしています。
フィールドワーク②姿見ず橋(淀橋)周辺を歩く
成願寺を後にしたら、姿見ず橋(淀橋)を目指して神田川方面に歩いていきます。
静かな住宅街を抜けると神田川へ出ました。
神田川沿いの遊歩道を歩いて淀橋を目指します。
歩いていると川を挟んだ右側に高層ビル群が見えますが、遊歩道には静かでのんびりとした空気が流れていました。
ゆっくり歩いて10分ほどで淀橋に辿り着きました!
中野長者伝説で「姿見ず橋」と呼ばれたこの淀橋。昔は大変縁起の悪い橋とされ、婚礼などおめでたい行事に使うことを避けられていました。
しかし、大正2年に土地の旧家である浅田氏の婚礼の際に淀橋で盛大な浄め式が行われます。
浄め式では『遠野物語』の著者である民俗学者・柳田國男の講演も行われ、新聞などで「淀橋の迷信打破」と報道されて話題を呼んだそうです。
数人で渡っていったはずの「姿見ず橋」で、帰ってくるのはいつも鈴木九郎ひとり。
九郎が人を雇って金銀財宝を隠したとされる場所には諸説あり、近くでは十貫坂(東京都中野区本町四丁目の十貫坂上交差点〜杉並区和田一丁目にある坂)、遠くでは武蔵小金井、千葉県の松戸市小金であるといわれています。
調査を終えて
故郷を離れて中野まで移り住み、商人として「中野長者」と呼ばれるほど成功するも、最愛の娘を失い、出家の道を選んだ鈴木九郎。
淀橋から中野坂上駅に戻る道々「九郎は本当に悪事に手を染めていたのだろうか?」ということを考えていました。
噂とは尾鰭がつきやすいものですし、九郎が商人として成功をおさめていたなら、知らぬうちに人に妬まれたり恨まれたりすることもあったでしょう。
しかし、妬みや嫉みが生んだ噂話だけで、淀橋が祝事の際に渡らないほど縁起の悪い橋として定着するなどということは、果たしてあり得たのでしょうか。
中野長者・鈴木九郎が生きた時代から長い時間が経った今、伝説がどこまで本当の話なのかは誰にもわかりません。
当時「姿見ず橋」と呼ばれ縁起が悪いといわれた淀橋には、多くの人や車が行き交っていました。
取材・文・撮影=望月柚花
【参考サイト】
中野区ホームページ「歴史民俗資料館長が語る なかの物語」
https://www.city.tokyo-nakano.lg.jp/dept/102500/d020156.html
中野長者の寺 多宝山成願寺
https://www.nakanojouganji.jp/