太宰治は、1939年(昭和14)9月から1948年(昭和23)6月、その生涯を閉じるまで三鷹市下連雀で生活しました。
三鷹市のHPを見ると、太宰治の関連スポットが、実に19か所も紹介されてます。
元々、三鷹は多くの文人に愛された街、駅前中央通り商店街を歩くだけで、太宰治と亀井勝一郎、童謡赤とんぼの作者、三木露風、武者小路実篤、山本有三、のモニュメントが、あります。
◆三鷹市美術ギャラリー「太宰治展示室 三鷹の此の小さい家」
三鷹市下連雀3-35-1 CORALビル5階
【開館時間】午前10時~午後6時
【観覧料】無料
【休館日】月曜日、年末年始(12月29日~1月4日)
*月曜日が休日の場合は開館し、その翌日と翌々日休館
「太宰治」巡りのとっかかりとして、三鷹駅南口を出てすぐの「太宰治展示室 、三鷹の此の小さい家」は、良いかもしれません。
駅前中央通り商店街に入ってすぐ右手、CORALビル5階「三鷹市美術ギャラリー」内にある2020年開設の新しい展示室。
太宰が、三鷹の下連雀で住んでいた新築借家の間取りの一部が、再現、ゆかりの品々や資料が展示され、作家の暮らしぶりを想像できる工夫がされています。
太宰が残した約150編の小説のうち、約90編がこの自宅で書かれたそうです。*一部ですが、写真撮影も可。
「三鷹の此の小さい家は、私の仕事場である。ここに暫くとじこもって一つの仕事が出来上がると私は、そそくさと三鷹を引き上げる。逃げ出すのである。旅に出る。けれども旅に出たって、私の家はどこにも無い。あちこちうろついて。そうしていつも三鷹の事ばかり考えている。三鷹に帰ると、またすぐ旅の空にあこがれる。」
太宰治 短編小説「誰」(昭和16年)より。
◆禅林寺・太宰治墓
東京都三鷹市下連雀4-18-20。三鷹駅南口から徒歩15分くらい。
墓地の開門時間は午前8時から日没まで。
太宰治先生は、駅から歩いて行ける「禅林寺」墓地に、眠っていらっしゃる。ご挨拶しに行きたくなりました。
「この寺の裏には、森鴎外の墓がある。どういうわけで、鴎外の墓がこんな東京府下の三鷹町にあるのか、私にはわからない。けれども、ここの墓所は清潔で、鴎外の文章の片影がある。私の汚い骨も、こんな小綺麗な墓地の片隅に埋められたら、死後の救いがあるかも知れないと、ひそかに甘い空想をした日も無いではなかったが、今はもう、気持ちが畏縮してしまって、そんな空想など雲散霧消した」
短編小説『花吹雪』より。
太宰治の墓は、森鴎外(森林太郎)の斜め向かいにあります。
◆陸橋・ 三鷹跨線人道橋
太宰治は、中央線や三鷹車両センターをまたぐ「三鷹陸橋」から見える景色がお気にいりで、友人とよく訪れていました。
老朽化に伴い、2023年の12月より解体作業の真っ最中です。
●参考サイト
三鷹市HP「太宰が生きた街、三鷹」
https://www.city.mitaka.lg.jp/dazai/index.html
●三鷹市美術ギャラリー、太宰治展示室、
https://mitaka-sportsandculture.or.jp/gallery/dazaihouse/
さんたつ公式サポーターがおすすめするスポットやお店のメニューなど、街で見つけたいいものが満載!
偶然、三鷹の「太宰治」を見つけて。
JR三鷹駅
更新日:2024.10.29
まやぎはとこさんの投稿
食べること、着ることが好き、な一方、どケチで優柔不断なオバはん。 そのせいで常に頭の中がぐちゃぐちゃ、書くことでなんとか正気を保っています。
最初に、告白しておきますと、太宰文学は、ほとんど読んだことがありません。
30年以上通う歯医者が、三鷹にあり、引っ越しで距離的に遠くなろうとも、電車と徒歩1時間以上かけて通い続けています。父と息子2世代に渡る歯科クリニックで、馴染み深い三鷹という地に根付いたクリニックという点で、他を当たる気にはなれないのです。
少々話がそれました。そんなわけで、半年毎の定期健診日、駅前中央通り商店街をスタスタ歩いていると、太宰治「斜陽」の一節が刻まれた本型のモニュメントが、あることに、はじめて気が付き、さんサポの投稿お題「小説・漫画・映画の聖地」が、頭をよぎってしまった、という次第。
これも何かのご縁でしょう、「斜陽」を読みはじめたら、今まで読んでいた小説とは全く違う独白調と、女主人公の思考回路と行動に驚いたり、共感したりで、今さらですが太宰ファン、になってしまいました。
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