元ピン芸人・初代えーちゃんさんがバイトで習得したラーメンの腕をふるう
駅で降り、山手通り沿いをJR目黒駅方面にテクテク歩いていると、下目黒歩道橋のたもとに行列ができているのが見える。近づくとここはラーメン店『えーちゃん食堂』だ。窓越しにラーメンを食べている人を見ていたら、無性に食べたくなってきた。
行列が収まるのを待って店に入ると、店主の佐藤栄市さんが「仕込みも調理も提供も、全部ひとりでやってるんですよ」と、人懐っこく笑った。その笑顔はとっても愛嬌がある。聞けば、佐藤さんは元芸人さんなのだそう。
「初代えーいちというピン芸人をしていたんですが、7〜8年くらい芸人と並行してラーメン屋さんでバイトしていたんですよ。今は芸人を辞めてラーメンだけです。未練はないですよ。すげえ面白い同期の芸人が売れないんだという現状も見てきて、自分が売れるのは難しいだろうなと思って辞めたので。よく、一発屋芸人をバカにする人がいるけど、僕からしたら一発でも当てるのはめちゃめちゃすごいことなんですよ」と話す。
芸人を辞めた後、知り合いの出資を受け、中目黒に「中華そば えもと」をオープン。ここではメニュー開発、調理、営業とすべて1人で賄っていた。固定客も増え行列ができる店となっていたが、定借物件だったため2022年に閉店。「今度は自分の店を持ってみよう」と独立を決心し、2023年4月に『えーちゃん食堂』をオープンした。
福島のラーメンがルーツ。毎日違う風味のスープを楽しめる
「芸人の時もピンでやってましたけど、ラーメン店もひとりで集中してやっていたいタイプなんです」と語る佐藤さんの朝は早い。毎日2時半から仕込みをはじめ、7時前には開店。 売り切れたら閉店し、午後は麺などを仕込む。毎日閉店時間前に売り切れる人気店になっても1日100杯しか作らないのは自分の限界を超えないためのルールだ。誰かに任せて2号店を作ろうという発想もない。
「この店のことは人に任せたりしたくないんです。それなら辞めてしまったほうがいいと思っているので」と、意志は固い。
ワンオペでも早く提供できるようにスープは1種類のみにし、チャーシューもあらかじめカットしてから店を開く。「メニューは8つありますが、ベースのスープと麺は同じものです。唯一、甘みと辛味を加えているつけ麺がありますが、ベースは同じです」と話す。
淡麗系の醤油スープは、香味油を生かし風味よく仕上げているのだそう。「福島出身なんで、イメージは白河ラーメンや喜多方ラーメンのような味わいを目指しました。でもね、僕のラーメンは毎回違う味なんですよ」という。佐藤さんは頻繁にラーメンの食べ歩きをする“マニア”でもある。そこで得た知識や体験をこの店で発揮しているのだ。
「うちは不定期で月に5回限定メニューを提供するんですよ。軸はサバなどから取った魚介スープなんですけど、スープの鍋は1つしかないので残った魚介のスープを入れたまま水を足し、そこにたとえば大山鶏を継ぎ足して限定のスープを作ります。限定の翌日にはまた魚介のスープを作るのですが、そのときは大山鶏の味が強めに残っています。東京で食べた好きなラーメンを掛け合わせて、スープを継ぎ足したりして味を深めてくっていうイメージですね」
いつも同じ味であることにこだわっている店があるけれど、こういう店があっても面白い。「うちは6割が常連さんなんです。だからみなさんがいつ来ても違う味を楽しんでいただけるようにしているんですよ」。ほほ〜。じゃあさっそく食べてみましょう。
じんわりまろやかな醤油スープに甘みとコシのある自家製中太麺が身体に染み入る
いよいよ実食。入り口を入るとすぐのところにある券売機でラーメン1000円の食券を買い、佐藤さんに手渡した。
それからすぐ調理に取りかかる。併設した製麺所で毎日打つ自家製麺を茹で、並行して丼に醤油だれ、香味油、スープを丼に注ぐ。
スープの味がその日によって変わるのは前述した通りだが、チャーシューもその日によって変わる。「品種や部位はお肉屋さんに任せているので、それによってチャーシューの大きさも変わります」。今日はバラ肉の薄切り4枚に分厚いモモ肉が1枚のっているけど、明日は大きな薄切りが2枚かもしれない。
仕上げにネギ、ほうれん草、メンマ、海苔をのせて完成。オーダーから5分足らずでテーブルに運ばれてきた。うーん、いい香り!
まずはスープをひと口。スープは醤油の色が濃いものの、香味油の香りや旨味が相まって見た目以上にまろやかだ。中太麺はモチモチとして甘みを感じる。つるっと喉越しがいいのは、きっとうどんの要領で作っているからだろう。
まろやかなスープ、ほどよくコシがある麺、キリッと醤油がきいたチャーシュー3つを一緒に食べるとすごくいいバランス。筆者はこの組み合わせで食べるのが気に入った。
「チャーシューは一度スープで煮てから醤油で煮ているので親和性があるんだと思います。国産の銘柄豚を使っているんですけど、いつもお願いしているお肉屋さんが岩中豚とか林SPFを持ってきてくれますね。原価は高いんですけどやっぱりうまいです」
完食する頃には体が一気に温まり、身体中にエネルギーが満ちている感じ。朝ラーはいいですなぁ。水を飲みながら口の中をクールダウンした。
佐藤さんの人柄を表すような武骨ながらもやさしい味わいのラーメン。自宅近くに『えーちゃん食堂』があったらいいのにと思ったので、再び「もうひとつ店を出してもいいんじゃないですか?」と聞いてみた。だが、「いやあ。70歳くらいまで同じスタイルで営業していくのが目標です」と言って笑った。残念!
でも、逆に言えばあと30〜40年くらいはここのラーメンが食べられるということだ。次はSNSをチェックして限定ラーメンを食べにこよう。
構成=アート・サプライ 取材・文・撮影=パンチ広沢