やって来たのは、王子神社です。神社の案内板によると、元亨二年(1322年)豊島郡を支配していた豊島氏が、熊野の方向を望む石神井川沿いの高台に紀州熊野三社権現から王子大神を勧請し、若一王子宮として祀られるようになったそうで、今年は創建700年となります。
鳥居をくぐって左側には、本社神輿蔵があり、ガラス越しにきらびやかな御神輿に見る事ができます。
令和元年の例大祭では、天皇陛下御即位を奉祝して本社御輿渡御が初めて行われ、この蔵は同年に竣工されたとの事です。
さて、お詣りを済ませ、左手を見ると、小さな社が見えます。行ってみましょう。
やっと出て来ました。王子の関はコチラ。
関神社という王子神社の末社です。
案内板を見ると、
『蝉丸公は、延喜帝の第四皇子にして和歌が巧みなうえ、琵琶の名手であり、又髪の毛が逆髪な故に嘆き悲しむ姉君のために侍女の「古屋美女」に命じて「かもじ・かつら」を考案し髪を整える工夫をした事から「音曲諸芸道の神」並びに「髪の祖神」と博く崇敬を集め(以下略)』
と書かれ、神社の御祭神は蝉丸公、逆髪姫、古屋美女とあります。
ここでようやくタイトルとのつながりをお分かりいただけたと思います。
ところで、日本の古典芸能である能にはこの「蝉丸」にスポットを当てた同名の人気演目があります。
公益社団法人能楽協会のサイトでは、
『延喜帝の皇子蝉丸は、生まれつきの盲目のため逢坂山に捨てられ、悲しみの琵琶を弾く。逆髪の姉君も不遇に狂乱し、放浪の末琵琶の音に誘われて弟と出会う。幸薄い我が身の宿業と互いの悲運を泣き合う人間の姿が描かれる作品。』
と紹介されています。
能では、成功者よりむしろ、不幸に見舞われた人を主人公として取り上げた曲(演目)が多くあります。軍に敗れた平家の武将が主役(シテ)となるような敗者の鎮魂がテーマとも言える作品はその典型例です。
美しい装束、心落ち着く調べと舞が能を観る者の心を癒します。
ストレスの多い世の皆さん、関神社にお詣りしたら、今度は能楽堂に足を運んでみませんか。