1階は、大正時代の街を再現したコーナー。写真は駄菓子屋を営む母娘と職人さんの一家の設定だそうです。子供の頃は、まだこんなケースに入った駄菓子を買った記憶があります。(でも大正生まれではありません、念のため)

2階にも銭湯の番台を再現したコーナーのほか、高度成長期に入った頃でしょうかテレビや黒電話に足踏みミシンを置いた部屋もあります。
TBSドラマ「時間ですよ」のシーンを思い出す人生経験が豊かな方もいらっしゃるのではないでしょうか。(私はそれほどではありませんが)
昨今は古い銭湯が見直され、人気化しているとか。昨年の朝ドラも一役買ったのかも知れません。
「さんたつ」さんでは、2021/8/28公開 ー『おかえりモネ』の下宿先にもなった名銭湯〜時代を超えて風情と人情が生き続ける町のお風呂屋さん『明神湯』ー で現役の銭湯が紹介されていましたね。

さて、これからが本題です。突然ですが、こんな巨大滑り台が不忍池にあったなんてご存じでしたか?
これから紹介するのが、博覧会で上野公園に設けられたアトラクションや施設です。これは、ウォーターシュートとあるので、さしづめ、ビッグサンダーマウンテンの最後の部分を大きくしたようなモノでしょうか。長さはありそうなので、それなりの速度は出たでしょう。絶叫コースターがお好きな方には向いているかも知れませんが、苦手な私には不向きです。
これは、明治40年に開かれた東京勧業博覧会です。

この頃の不忍池は一大観光地だったようです。
寛永寺の執事浦井正明著『「上野」時空飛行』によると、明治17年には不忍池畔で競馬が催されたとの事。(内国博覧会ではないそうです)
池の周りを一回りしたのでしょうか。全く今からは想像出来ませんね。

上野では、西南戦争中の明治10年に第1回内国勧業博覧会が開催され、第3回(明治23年)には摺鉢山と両大師堂を結ぶ日本初の電気鉄道が人気を呼んだのだそうです。
この写真は、大正3年に行われた東京大正博覧会です。不忍池上空を行くロープウェイ、乗ってみたい気がしますね。

一方これは不忍池から上野公園の噴水前広場を繋ぐエスカレーターです。
ほんの僅かな移動距離ですが、日本で初めて稼働したエスカレーターとして大層な人気だったそうです。
日本電気協会関東支部のウェブサイトにある「電気ゆかりの地を訪ねてvol.31」の記事にはこう記されています。
ー「秒速一尺(30cm)で動き、これに乗るには10銭※を必要とする」※当時の物価はそばが4銭、散髪が10銭ほどでした。ー
高さは10mほどらしいとの事なので、随分と料金が高いと思うものの、何しろ日本初なのだとすると、やはり乗ってみたくなるモノだったのでしょう。
この記事には地図も掲載させれていたのでみてみると、どうやら動物園通りを挟んで上野精養軒へ登る坂の付近にあったようです。曲がりくねった坂道で古い石垣が積まれた道なので、恐らくその脇の林の中だったのではないかと想像します。

お次の写真。これは、ハウステンボス、それとも東京駅?と勘違いするような光景で、現存していないのがなんとも残念です。
正面の建物はたぶん現在カンガルーやハシビロコウ、オカピがいて、左手は爬虫類館がある辺りではないかと思います。動物園は、すでに明治15年には開業していましたが、この頃は現在の西園はほとんど無かったようですね。

今度は、山に上がり、ありし日の上野の大仏様です。
関東大震災では、お顔が落ちてしまった事があったそうですが、ついに太平洋戦争時には、胴体が金属供出されてしまったため、現在はお顔だけしか残っておらず、残念です。
ただ、その後「これ以上落ちない」大仏として知られ、合格祈願に訪れる人が多いパワースポットとなっています。
果たしてこれで良かったのでしょうか?
私には分かりません。

そしてこれは、上野戦争の激戦地とされる寛永寺黒門の姿です。西郷さんの銅像が建っている山王台から不忍池側の崖の下にありましたが、現在では三ノ輪の円通寺に移設されています。

さて、資料館を出るとハスの花が咲いていました。上野戦争時には、この池に彰義隊士が潜み、息を吸いに水面に出てきたところを(官軍に)捕まった(「彰義隊遺聞」森まゆみ著)話もあるようです。
いかがでしょうか。なかなか面白い発見がありませんでしたか?他にも浅草にあった凌雲閣というタワーの模型など、まだまだ見るべきものがありますが、とても紹介し切れません。
ハスの花を観ながらもよし、歴史を感じるもよし、雨天でも気にせずにお出掛けしてみませんか?