品川港南口で四半世紀。なぜか裏口から入って来てしまう客が後をたたない
品川駅港南口を出て、階段を降りると広場がある。横断歩道を渡ってまっすぐ行くと、昔ながらの店が軒を連ねている。そのなかに赤い幌の味な店『絵芙』がある。
え、ココ? 周囲をグルリと見回してみたが、Google mapが示すのは間違いなくここだった。ほら、看板に「チャイニーズ」って書いてあるし、メニューもあるし。入り口を覗くと地下に続く階段があり、ガラスのドアから薄暗いライトが見えて何やら怪しげだ。
思い切って店に入ると、細い通路には段ボールなどが積み上がっている。本当にここが入り口で合っているだろうか、とブツブツつぶやき不安を感じながら『絵芙』のドアを開けた。
店内には大きなピアノがあり、ラウンジのような落ち着いた雰囲気でほっと一息。社長の正田英彦さんが迎えてくれた。「どっちから入ってきました? 赤い屋根の細い方?」と、社長はいたずらっぽく笑う。筆者が苦笑いでうなずくと、「なんでか、みんなあっちから入ってくるんだよね(笑)。カラオケの『まねきねこ』のとなりにあるのが“正式な”入り口なんだけどね」。
そうだったんですね! 安心しました〜。ところでこのお店はいつオープンしたんですか?
「1997年です。私はもともと郵政省の外郭団体が持っていた施設で洋食のコックをやってたんですよ。それで、その会社がレストランバーをやるから手伝ってくれと。まずは銀座のプランタンに入っていた店を任されていたんだけど、姉妹店だったココの店をやらないかと言われて。それで独立して『絵芙』をオープンしました」。
「当時、この辺りにはラーメン屋はあったんだけど、中華料理はなかったんです。それはいいなと思って、横浜中華街で働いてた知人に話したら、店を手伝ってくれると。オープンのためのメニューは彼が作ってくれたんだけど、チーフクラスの人だったから次の仕事が決まっていて。代わりに彼の知人で中華街で働いていた今のシェフが来てくれたんです。自分で言うのもなんだけど、うちの料理はうまいですよ!」と正田さん。
オープンから25年以上も店を営業し続けていると聞けば、それも納得。ランチが楽しみだ!
横浜中華街のシェフが作る、庶民派だけど上品なランチ。早い、ウマいランチタイムの救世主
ランチメニューは平日の月・火・水と木・金でメニューが変わる定食2品とラーメン2種のほか、麺類やチャーハンがズラリ。提供が早くてボリューム満点だからか、男性が大半を占めるという。一度食べるとハマってしまう魅力もありそうだ。まずはメニューをチェック!
どれもおいしそうだが、B定食の牛肉の四川炒め&春雨炒め950円をオーダーした。すると、シェフが厨房で手際よく料理を始めた。シェフは指揮者みたいに流れるような線を描いたかと思えば、時に激しく鍋を振る。
注文から10分ほどで定食が運ばれてきた。は、早い! それでは、熱いうちにいただきまーす。正田さんいわく、「うちのは本格中華ではなくて日本人の口に合うような料理なんですよ」という。
まずは牛肉の四川炒めから。脂の少ない牛もも肉だがとても柔らかく、醤油ベースのピリ辛だれが肉と野菜によく絡んでいる。素材や香辛料の風味が生きていて味付けに上品さがある。
もうひとつのおかず春雨炒めは、作りたてでアツアツ! ふわふわで絹のような舌触りに驚いた。舌のタッチは優しいが、豚ひき肉、干しシイタケの旨味が味の土台を支えつつガッツリ黒コショウが利いていて、なかなか刺激的な味わいだ。黒コショウ好きなもので、個人的には両手でミットを構えないと吹き飛ばされそうなくらいドストラーーーイクッ!
牛肉の四川炒めも、春雨炒めもめっちゃご飯に合う。どうか筆者にご飯をください。すべてのおかずをご飯の上に乗せてください!
マスタードが利いたポテトサラダも見逃せない。ご飯もスープもたっぷりだったが、あれよあれよという間に完食。いや〜、食べた。口の中が少しひりつく余韻も愛おしい。すると娘の倫子さんが「杏仁豆腐が人気なんですよ。ぜひ食べてみてください!」とおすすめしてくれた。ちょうど冷たいスイーツを欲していたところなのでありがたい。かたじけない。
アンニン豆腐はひんやりと甘さ控えめで、冷凍イチゴの酸味と甘さが心地よい。つるんと喉を滑り落ちていき、グラスを傾け最後の1滴までお腹の中に収まった。ごちそうさまでした。
人が人を呼ぶ。自宅のリビングみたいな温かさから常連に愛される『絵芙』
品川駅から近いが、雑居ビルの地下にあるため知る人ぞ知る存在の『絵芙』。25年以上も続けてこられたのには、「ひとえにお客様のおかげ」と正田さんは言う。
「この店がオープンした頃、大きな建物といえば芝浦食肉市場くらいしかなくて、お客さんも港関係の人ばかりだったしね。そしたらどんどん開発が進んで、名だたる大企業のビルが建ってしまった。僕らは地下に潜ってるから、あっという間に地上がビジネス街になっちゃった感じです(笑)」。
常連客が会社の同僚や知人・友人を連れてきてしだいにその人も常連になっていく、という具合らしい。
「25年もやっていると、若い頃から通っていただいていた方が昇進して社長や部長になって部下たちを連れてきてくださったりね。あと、大企業だから地方へ転勤される方もいるんですけど、本社で会議があったからとお土産を持って立ち寄ってくださったり、退職する方がわざわざ挨拶に来てくださるなど、本当にいいお客さんに恵まれています」。
常連客は正田さんを「パパ」、店を手伝う奥さんを「ママ」と呼ぶらしい。さながら店は正田さんちのリビングで、常連客は自宅に招いた友人という雰囲気なのだろう。人との関わり方が変化している昨今。人の温もりを感じさせてくれるこんな店が必要だ。
構成=アート・サプライ 取材・文・撮影=パンチ広沢