ということで、ひとり待ち会をすることにした。こういうのは懇意の編集者が「やりましょう」と言い出してやるものらしいが、物乞い顔のおっさんに「いやぁ……実は最終候補に残ったんですよぉ」なんて言い出された編集者はたまったもんじゃないだろう。誰にも言わず、一人結果を待つ。

「大賞が決まったらすぐに電話するので近くにいてくださいね」

 担当編集者からそう言伝(ことづて)されたので、当日は講評会が行われる帝国ホテルの近くで待機することにした。

 しかし、どこで待てばいいのだろうか。こういうのは作家のいきつけの居酒屋やバーなどで待つのが王道なのだろうが、日比谷にそんなものが、いや、それ以前に絶頂チェーン店な俺にあるわけが……あった。

 帝国ホテルの斜(はす)向かい、見慣れたあの顔『すしざんまい』。見ろ。マグロ大王が両手を広げて「待ち会にも、すしざんまーい」と歓迎しているではないか。

 午後2時40分。講評会がはじまる直前にカウンター席の、一番端っこに滑り込んだ。

「いらっしゃい」

 板前のFさんが落ち着いたトーンで迎えてくれる。名札を見れば趣味はプレステ。ソニー気質のいい職人さんだ。

「何にしましょうか?」

 オーダーに詰まる。こういう時に酒でも飲みながら気楽に待てりゃいいんだろうが、審査員の皆様が講評くださる真横で、審査される側がヘラヘラ酒を飲んで待つなど罰当たりであろう。刺し身の盛り合わせと、うざくに熱いお茶で待つ。

「今日は長居させていただくことになりそうですよ」

 そんなことを言いながら、カウンターのメニュー表のところに携帯電話を立てかけて、待ちの態勢を整える筆者は傍から見ても明らかに尋常ではなかった。

 時計の針が進むたび、一刻と緊張感が増してくる。きっと俺の顔には「どうしたのか聞いてくれ」と書いてあったに違いない。空気を察した板さんから「どうしました。浮かない顔して?」と、質問が放り込まれる。「聞いてくれよFさん」ダボハゼのごとく喰いついた。
「実は文学賞の発表で~」なんて、これみよがしに答えるや「おお、すごいじゃないですか! なるほどねぇ。先生、大丈夫ですよ。僕はここ一番の運がいいので絶対大賞獲れますよ」なんてFさんが調子いいことを言う。ああ、なんてぬるま湯に浸からせてくれる心地よく実の無い会話をくれるのだろうか。その温度感がうれしかったりする。

 午後5時。開始から2時間、例年ならそろそろ決まる時間だ。いやーこんなに緊張するものだとは思わなかった。ノドがカラカラで、ホールのおばちゃんが茶運び人形になるほどおかわりを頼む。ああ、ビールが欲しい。アルコールに逃げたい。みんな酒飲んで待つのって、この緊張感から逃げたいからなんだな。

 電話が掛かってきたら、相手の第一声はなんと言うのだろう。大賞獲れたら「おめでとうございます」だろうな。他の言葉であれば、それは獲れなかったということだ。

 その時、俺はなんと答える? 受賞なら「ありがとうございます」だろう。ダメだったら「すしざんまーい……か?」なんて考えながら鳴らぬ電話を睨(にら)み続ける。

「サービスですよ」

 空のゲタに玉子焼きが乗せられる。だがもうノドを通らない。

 午後6時。電話はまだ鳴らない。メニューの表紙にいるマグロ大王が、もはや開高健に見えてきた。サカナ釣ってるのはおんなじだしね。両手を広げている。俺に賞をあげると言っているようだ。ありがとうマグロ大王。この際、マグロ文学賞でも大間ソーイチ賞でも貰えるものはぜんぶ欲しい。

そんな折に、ポンポンと手際よく寿司を握る板さんの、米を握る直前にポンと手を叩く仕草が気になった。

「職人それぞれだと思いますが、僕は気合いを入れるためですね」

 なるほど。いい寿司を握るため、その一瞬に魂を入れる。寿司とは寿を司る縁起のいい食べ物。いいことを聞いた。俺も電話が来たら気合いを入れよう。

 午後7時を過ぎた。1分1分がとてつもなく長く感じられる。もはや息をしても緊張で戻しそうだ。

「大丈夫。絶っ対に獲れます」

 板さんが励ましてくれつつ、

「どうぞどうぞ、大賞持って行ってください。すしざんまーい」

 マグロ大王が語ってくる。アンタの賞は開高賞じゃなくてカイタイショーだろ、とうまいこと言いつつも、やはりこの店にはなんだか縁起がよさそうな空気が流れている。そりゃそうか。マグロ大王は初競りでこの縁起に命を懸けてきたんだもんな。『すしざんまい』で待ち会してよかった。

 そう思った刹那。俺のガラケーの16和音が店内中にとどろいた。

「おおっ、きましたね!」

 板さんほか、お茶を19杯も注いでくれたおばちゃんたちが息を呑のむ。俺はひとつポンと手を叩き、電話に出た。さぁ、第一声だ! おめでとう来い!

「すみません……」

 ああ……逃した。そう思った瞬間、重圧や悔しさ、申し訳なさに気恥ずかしさ、もんごういかにキハダマグロが怒涛のように押し寄せてきて、頭が真っ白になる。何か言わなければ。電話口で言葉を絞り出す。

「逃がした魚の分、寿司食べませんか」

 それから1時間後。悔しい悔しいと嘆きながら担当編集者がやってきてくれた。自分の作品にこんだけ悔しがってくれる編集者がいる。俺は幸せもんだと思いつつ、人生で一番苦くて美味い寿司を食らい、酒を飲んだ。ああ。もうなんだ。やっぱり悔しくなってきた。チェーン店で待ち会してるような安っぽい書き手でも、立派なものが書けるのだと証明したい。この先、俺がまた何かの賞にノミネートされるようなことがあれば『すしざんまい』に行くだろう。その時は、Fさん、また寿司を握ってくださいな。

文=村瀬秀信